身体強化の呪文
「すみませんね。すぐ竜崎さんのとこへ逃げ込んでくる癖つけてしまって。もう甘やかさないで結構なんで」
と男がにやにやしながら言った。
カイは肩をすくめてみせたが、
「お前の方こそ大概にしとけ。女殴って、楽しいのか」
とカイは言ったが、その時、エミルの右腕がぼうっと光っている事に気がついた。
唱えてるのは身体強化の呪文だった。
「エミル!」
カイはエミルを止めようとしたが、それには遅すぎた。
エミルは右腕の袖をまくってから、一歩踏み出した。
拳を握って、男の腹にパンチを打ち込んだ。
「ぐぼぉ!」
と男が呻いて、身体を二つに折って膝をついた。
「カス野郎、和美はお前とは縁を切ると言ってる。だからもう和美に構うな。けど、お前みたいなクズ野郎に口約束なんぞ意味が無い。だから、今度和美を殴ったら、こういう目に遭うって先払いしてやる」
とエミルが言った。
エミルの唇が動いた瞬間、腹を抱えて床に倒れている男の周囲に立ついくつかの影。
それは眼球が飛び出し、腐臭がただよう死人達。
蛆が湧き、どろりどろりと垂れる肉の汁。
恨み辛みを呟きながら、男を見下ろす。
男の顔に腐った肉や汁が降り注ぎ、目も口も鼻の穴をも開けておくのが地獄のような酷く臭い匂いだった。
うげえうげえと男は鼻水や涙を垂らしながら蠢いているが、それを見えるのはエミルだけだった。和美はぽかんとしているし、カイは察して肩をすくめている。
「エミル……この世界でそれを使うなって。お前、闇魔……」
言いかけてカイは口をつぐんだ。
異世界の話はむやみにするべきではなかった。
例えこちらでマンガや小説の中の話だとしても、自分達が行き来できる以上、確かに繋がっているのだから。
エミルもカイをちらっと見て、和美に視線を移した。
「さて、和美、餞別にカイに十万くらい貰って、田舎へ帰りなさい。このチンピラは大丈夫よ。無い知恵搾ってまたこの街でケチな暮らしをすると思うわ。あんたを追わせたりはしないから。行きなさい。ちゃんと土産を買って帰るのよ」
カイが財布から札束を出し、和美に握らせ背中を押して部屋の外へ追い出した。
和美がその足で田舎へ帰り平和に暮らすのかどうかは分からないが、エミルは肩の荷が下りたという風な顔をした。
「お前、言うに事欠いて占い師ってよ」
「あら、占い師、いいアイデアじゃない? これからこれで稼いでいこうかしら」
「それはそうと、おまえが全属性持ちの魔術師なのは知ってたが、こっちでやたらと使うなよ。さっき死霊を呼び寄せてこいつを襲わせたな?」
まだ床に伸びている男を指し、カイが言った。
「厳密に言えばさっきのは闇魔法じゃないわ」
「は? じゃあ、なんだよ?」
「あのねぇ、私達はもうパーティじゃないのよ? 勇者に何でも打ち明ける義務はないわ」
「要するに?」
「空腹なんだけど」
「確かに、飯でも行くか」
「ラーメン! ステーキ! スイーツ!」
「あっちじゃ食えなかったもんな」
とカイが笑った。
「ファミレスかぁ……」
「全部、揃ってるだろ? ラーメンもステーキもスイーツも」
「それはそうだけど」
二人はファミリー向けのレストランで向かい合って座っていた。
10年ぶりの調味料を使って丁寧に清潔に調理された料理は非常に美味だった。
おかわり放題の様々な種類のドリンクも甘く冷たいアイスもエミルの胃を十二分に満たした。
「あー、やっぱ食べるモノはこっちがいいわね」
「酒もなー、それで?」
「何?」
「さっきの死霊を呼んだ技さ。闇魔法じゃないつったな?」
カイは少し声を落とした。
「ああ、あれ。あれは魔法じゃないもの」
「魔法じゃない?」
「ええ、あれは魔法じゃなく、霊能力だから」
カイはポカンとした顔でエミルを見た。
「何?」
「霊能力よ。おばあちゃんがちょっと名のある霊媒師だったのね。私もまあ、視える方だから。多分だけど、霊能力が異世界で魔力に変換して、だから魔術師としてやっていけたんじゃないかしら。さらに修行でパワーアップしちゃってさ。さっきのは霊力で精神に干渉して悪夢を少し見せてやるだけだったのに悪霊来ちゃって。まあ、闇魔法ってより単なる霊能力ね」
「すげえな。霊的能力で死霊どもを呼び出すのか」
「滅多にやらないわ」
とエミルは肩をすくめた。
「霊能力ってのがあるなら、占い師になるつうのも納得だな」
「そうねぇ。でも、これからは地味に生きるわ。誰かの思いを背負ってくのはもうまっぴらよ。とりあえず離婚してのんびりする。こっちで換金出来そうなブツもあるし」
とエミルは笑った。




