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第4問 空野詩織の髪にテントウムシは付いていたか

「空野(そらの)。髪(かみ)に、テントウムシが付(つ)いている」


 麗(うら)らかな春(はる)の昼下(ひるさが)りだった。

 藤村(ふじむら)は学舎(がくしゃ)の渡(わた)り廊下(ろうか)を歩(ある)いていた。

 前方(ぜんぽう)に女生徒(じょせいと)の後姿(うしろすがた)が見(み)えた。

 女生徒(じょせいと)の後髪(うしろがみ)は腰(こし)に届(とど)くほど長(なが)かった。

 その髪(かみ)で悟《さと》った。あの女生徒(じょせいと)は空野(そらの)だと。

 ところが、藤村(ふじむら)は違和感(いわかん)を覚(おぼ)えた。

 何(なに)が違(ちが)うのか。

 藤村(ふじむら)は女生徒(じょせいと)の後姿(うしろすがた)を観察(かんさつ)して気(き)が付(つ)いた。

 女生徒(じょせいと)の後髪(うしろがみ)、項(うなじ)辺(あた)りに、何(なに)か在(あ)る。

 それは赤(あか)く小(ちい)さい。

 テントウムシだった。


 それで、藤村(ふじむら)は女生徒(じょせいと)に声(こえ)を掛(か)けたのだ。

「空野(そらの)。髪(かみ)に、テントウムシが付(つ)いている」

と。


 女生徒(じょせいと)は立(た)ち止(ど)まった。

「あら」

と驚(おどろ)いたにしてはおっとりと云(い)いながら、淑(しと)やかに振(ふ)り返(かえ)った。

 やはりその女生徒(じょせいと)は空野(そらの)だった。

 空野(そらの)は目(め)を丸(まる)くしていた。

「テントウムシさんがいらっしゃるの、私(わたし)の髪(かみ)に」

 空野(そらの)の聲(こえ)が、藤村(ふじむら)の耳(みみ)には、異星語(いせいご)のように聞(き)こえた。

「藤村(ふじむら)くん。テントウムシさんを、見(み)つけてくれてありがとう。私(わたし)では気付(きづ)けなかった」

 空野(そらの)にとって、テントウムシが髪(かみ)に付(つ)くことは、由々(ゆゆ)しいことではあっても、悍(おぞ)ましいことではないらしい。

「お願(ねが)い、藤村(ふじむら)くん。テントウムシさんの居(い)る所(ところ)、私(わたし)に教(おし)えてくれる?」

 そう言(い)って、空野(そらの)は両腕(りょううで)で大切(たいせつ)そうに抱(だ)き抱(かか)えていた本(ほん)を、片腕(かたうで)で持(も)ち直(なお)そうとする。もう片方(かたほう)の手(て)を空(あ)けるつもりなのだろう。

 空野(そらの)の本(ほん)は重(おも)そうだった。

 危(あぶ)なっかしかった。

 藤村(ふじむら)は見(み)かねて言(い)った。

「空野(そらの)より、俺(おれ)が取(と)る方(ほう)が良(い)い。俺(おれ)が取(と)って良(い)いか?」

「恐(おそ)れ入(い)ります」

 藤村(ふじむら)は手櫛(てぐし)で、空野(そらの)の髪(かみ)を梳(す)くようにして、テントウムシを取(と)ろうとした。

 藤村(ふじむら)は空野(そらの)の髪(かみ)に触(ふ)れた。

 空野(そらの)の髪(かみ)は墨色(すみいろ)で、春日(はるひ)を集(あつ)めて温(ぬく)かった。

 空野(そらの)の髪(かみ)はなめらかで、藤村(ふじむら)の手股(たなまた)をさらりと擦(す)り抜(ぬ)けた。

 テントウムシは飛(と)んで行(い)った。

 藤村(ふじむら)の手(て)に残(のこ)ったのは、空野(そらの)の髪(かみ)のなまめかしい感触(かんしょく)だけだった。

 藤村(ふじむら)は疚(やま)しさに襲(おそ)われた。

「…テントウムシさん、もう行(い)った?」

「………ああ」

「良(よ)かった。これでテントウムシさん、自然(しぜん)に帰(かえ)れるね」

 空野(そらの)は頑是(がんぜ)無(な)く微笑(ほほえ)んだ。

 藤村(ふじむら)は溜息(ためいき)を吐(つ)いた。


 起床(きしょう)してすぐ、藤村(ふじむら)は洗面所(せんめんじょ)に向(む)かった。

 鏡(かがみ)を見(み)る。

 髪(かみ)にテントウムシは付(つ)いていない。

 当然(とうぜん)だ。


 藤村(ふじむら)には記憶(きおく)がある。

 かつて空野(そらの)の髪(かみ)にテントウムシが付(つ)いていた記憶(きおく)がある。

 今朝(けさ)の夢(ゆめ)とは違(ちが)うエピソードの記憶(きおく)。

 あのときあんなことがあった、と空野(そらの)と語(かた)り合(あ)えたら良(よ)かったのに。

 空野(そらの)はいない。

 確(たし)かめることはできない。

 あれは本当(ほんとう)に、現実(げんじつ)にあったのだろうか。

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