第26問 ノブレス・オブリージュとは何か
秋は忙しない。
空野が机上の手帖に向かって黙考している。
「大変そうだな」
と藤村が声を掛けると、
「お天気次第よ」
と空野は真剣に答えた。
「まず、秋のお彼岸のお墓参りは、登山日和が良い」
「何故」
「家のお墓はお山に在るから」
「だからといって、登山日和でなくとも…」
「家のお墓ね、古いの。墓埋法より古い、所謂『みなし墓地』で、持ち山に在るの。お墓参りでは、その山に登るの」
「………」
藤村はカルチャーショックで言葉を失った。
それは藤村の知らない墓参りだった。
空野は墓守兼山主だったらしい。
「次に、裏畑の薩摩芋堀り。芋掘りは、猪さんとの競り合いなの。穫り入れが遅すぎると、猪さんに先取りされてしまう。けれど、早すぎても、お芋さんがまだ小さい。そもそも、今年は秋雨が続いてしまったから、お芋さん、腐っていないかしら…」
「………」
それも藤村の知らない芋掘りだった。
「それから、颱風の捩じれ様によっては、雨漏りするから、何時でもバケツを出せるように備えておかないと…」
「………」
颱風には捩じれ様なるモノが有るのか。
藤村は気が遠くなった。
「あと、何をしなければならなかったかしら…」
「………」
日本の家制度は法的にもう現存しないが、空野は旧家に長子として生まれたらしい。
それ故か、空野には「Noblesse oblige.」(位高ければ徳高かるべし。)のesprit(精神)が宿っていた。
仏蘭西語の「obligation」は、古く「恩義」を指す。
そして、空野は「κοσμοπολίτης」(自然法則に忠実な者)を自認していた。
故に、空野は、自然の「御恩」に対して、コスモポリテースとして自然に「奉公」しているようだった。
藤村はノブレス・オブリージュについて考えた。
実は、逆ではないか。
尊い者ほど責務を負わなければならない、というよりむしろ、恩義に醻いる行為こそが貴いのではないだろうか。
「大変なんだな…」
と藤村は、空野の大変さが分からない事に隔たりを覚えながら、云った。
「藤村くん、気に掛けてくれてありがとう」
空野は、月草のように咲った。
藤村は白蓮高校の教室で目を覚ました。
黒板には白文が残っていた。
それは漢詩だった。
王維の七言絶句『九月九日憶山東兄弟』。
訓み下すと、「九月九日山東の兄弟を憶う」。
その文は、藤村の脳内で、空野の清亮たる聲で再生された。
何時も何処かで菊は舞う。




