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第20問 プールは肉体を問題にするか

 肉体(にくたい)は厄介(やっかい)だ。

 プライベートでデリケートでセンシティブで。

 プールは、それを突(つ)き付(つ)ける。


 夏休(なつやす)みの炎昼(えんちゅう)に、藤村(ふじむら)は学舎(がくしゃ)の屋内(おくない)プールで浮游(ふゆう)していた。

 すると、何(なに)か藤村(ふじむら)に触(ふ)れる物(もの)が在(あ)った。

 藤村(ふじむら)はそれを摑(つか)むと、水底(みなそこ)に足(あし)を着(つ)けて、それを確(たし)かめた。

 それは水泳帽(すいえいぼう)だった。

 誰(だれ)かの落(お)とし物(もの)が流(なが)れて来(き)たのだろう。

 届(とど)けるか、と藤村(ふじむら)はプールサイドに上(あ)がった。


 プールサイドには、ライフガードが居(い)る。

 そのライフガードは、無帽(むぼう)の女生徒(じょせいと)と話(はな)していた。

 この水泳帽(すいえいぼう)の持(も)ち主(ぬし)は恐(おそ)らく彼女(かのじょ)だろう。

「すみません」

と藤村(ふじむら)は彼(かれ)らに声(こえ)を掛(か)けた。


「此方(こちら)の帽子(ぼうし)は貴女(あなた)の物(もの)でしょうか」

「あら、藤村(ふじむら)くん…。見(み)つけてくれて、ありがとう」

 その聲(こえ)には覚(おぼ)えが有(あ)った。

 髪(かみ)が常(つね)ならず、三(み)つ編(あ)みでツインのお団子(だんご)に纏(まと)めていたうえ、濡(ぬ)れて乱(みだ)れていたから、気付(きづ)けなかった。

「空野(そらの)だったのか」

「………」

 空野(そらの)は藤村(ふじむら)に見詰(みつ)められると、蚕貝(かいこがい)のように白(しろ)い耳(みみ)を、みるみる赤(あか)らめた。

 ライフガードはその様(さま)を見(み)て、

「熱中症(ねっちゅうしょう)かもしれないね。お嬢(じょう)さん、休(やす)んで来(き)なさい。水分(すいぶん)も摂(と)ってね」

と空野(そらの)に告(つ)げた。

「はい」

 空野(そらの)は纖(かぼそ)い聲(こえ)で答(こた)えると、ひらりと藤村(ふじむら)に背(せ)を向(む)けた。

 藤村(ふじむら)は空野(そらの)に避(さ)けられたように感(かん)じた。


 空野(そらの)が水練(すいれん)をしている。

 藤村(ふじむら)は座(すわ)ってスポーツドリンクを舐(ねぶ)るように飲(の)みながら、その姿(すがた)を目(め)で追(お)っていた。

 飲(の)んでも飲(の)んでも喉(のど)が渇(かわ)いて堪(たま)らなかった。

 まるで吸血鬼(きゅうけつき)にでもなったようだ。

 青藍(せいらん)のワンピース型(がた)のスクール水着(みずぎ)に身(み)を包(つつ)む空野(そらの)が、プラムのように美味(おい)しそうに見(み)える。

 いかんな。

 藤村(ふじむら)は瞼(まぶた)を鎖(とざ)した。


「藤村(ふじむら)くん」

と纖(かぼそ)い聲(こえ)で囁(ささや)かれて、藤村(ふじむら)は瞼(まぶた)を上(あ)げた。

 見(み)えたのは、桜貝(さくらがい)の爪(つめ)が生(なま)めく素足(すあし)だった。

 空野(そらの)が藤村(ふじむら)の斜(なな)め前(まえ)に屈(かが)んで、片手(かたて)で目元(めもと)を、もう片手(かたて)で口元(くちもと)を覆(おお)いながら、藤村(ふじむら)の様子(ようす)を窺(うかが)っていた。

「空野(そらの)、何(なに)があった」

「え…」

「貌(かお)を隠(かく)す。聲(こえ)が纖(かぼそ)い」

「…あ」

「俺(おれ)のせいか…」

「う……。藤村(ふじむら)くんの具合(ぐあい)が悪(わる)くなければ良(い)いの。ごめんなさい」

 空野(そらの)はそそくさと立(た)ち上(あ)がると、逃(に)げるように去(さ)っていった。


 藤村(ふじむら)は知(し)りたかった。

 藤村(ふじむら)が空野(そらの)に嫌(きら)われるような事(こと)をしてしまったのか。

 しかし、空野(そらの)が言(い)いたくない事(こと)を、強(し)いて言(い)わせてはいけない。

 それは、カミングアウトの強要(きょうよう)や、プライバシーの侵害(しんがい)のように、空野(そらの)を傷(きず)つけるから。

 空野(そらの)を二次被害(にじひがい)で苦(くる)しめたくない。

 空野(そらの)は藤村(ふじむら)に話(はな)したくないようだから、諦(あきら)めよう。

 藤村(ふじむら)は悄然(しょうぜん)とプールを出(で)た。


 空野(そらの)の首(くび)は、白(しろ)く細(ほそ)く艶(なま)めかしく、鶴(つる)のそれのようだった。

 もし、その首(くび)に手(て)を掛(か)けたら、如何(どう)なるだろう。

 空野(そらの)は、俺(おれ)を恕(ゆる)してくれるだろうか。


 藤村(ふじむら)は目(め)を醒(さ)ました。

 藤村(ふじむら)は藍氷(らんひょう)学園(がくえん)の中等部(ちゅうとうぶ)に通(かよ)っていた。

 そのまま高等部(こうとうぶ)に内部進学(ないぶしんがく)する予定(よてい)だった。

 しかし、藤村(ふじむら)は白蓮(びゃくれん)高校(こうこう)に外部受験(がいぶじゅけん)をした。

 藤村(ふじむら)が空野(そらの)を縊(くび)りたくなってしまったから。

 空野(そらの)から藤村(ふじむら)を遠(とお)ざけなければならなかった。

 もう会(あ)わないつもりだった。

 もう会(あ)えなくなってしまった。

 それらは似(に)ているが同(おな)じではなかった。

 空野(そらの)には、生(い)きて幸(しあわ)せになって欲(ほ)しかったのに。

 こんな事(こと)になるならば…………。

 藤村(ふじむら)は深(ふか)く息(いき)を吐(は)いて、シーツの海(うみ)に沈(しず)んだ。

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