第18問 花火は誰と囲むものか
提灯の明々たる境内は、祭客で賑わっていた。
藤村は銃を構えた。
発砲。
コルク弾が景品を撃ち落とす。
藤村は空気銃を下ろした。
射的屋から景品の燐寸匣を受け取る。
その燐票が、藤村の目に入る。
比翼の鳥の絵。裏返して見れば、連理の枝。
何故、自分は独りなのか。
藤村は急に侘しくなった。
もう帰ろう。
藤村は祭の輪から離れた。
道すがら、藤村は燐寸匣を持て余していた。
藤村には燐寸を使う処がない。
物思いに沈みながら歩いていると、藤村の手から燐寸匣が滑り落ちた。
燐寸匣はすーっと流れて、誰かの足元で止まった。
一瞬、雪女に見紛う程、その人は髪が長く、白いワンピースを着ている。
彼女は、靱やかに裾を捌いた。
片足を半歩後ろに引いた。
白いレースアップサンダルの、アンクルストラップのようなバックリボンが、蝶のようにひらりと舞った。
背筋をしゃんと伸ばしたまま、ゆっくり腰を落とした。
淑やかに指先を揃えて、燐寸匣を拾った。
すっくりと立ち上がった。
彼女は藤村に体の正面を向けた。
「「あ」」
声が揃った。
藤村は相手を空野と知り、空野は藤村と知った。
空野は燐寸匣を両手に載せて、藤村に差し出そうとして、猶予った。
空野は、泉の神のように物々しく問う。
「貴方が落としたのは、比翼の鳥ですか、それとも、連理の枝ですか」
藤村は恭しく答えた。
「いいえ、何方でもありません。徒の燐寸匣です」
空野が藤村に燐寸匣を渡した。
「正直者に幸あれ。貴方の願うものは何ですか」
「燐寸が要る処」
「ならば、此方へ」
空野はすたすたと歩き出した。
藤村はふらふらと後を追った。
空野は髪をハーフアップに結んで、真珠のポニーフックを挿していた。
生温い夜気は海水のように抵抗があった。
ワンピースの襞がひらひらと揺れるのが、鰭のように見えた。
空野は夏の夜をすいすいと泳ぐ。
だんだん街灯が減ってゆく。
どんどん田野は暗くなる。
やがて空野と藤村は、古風な屋敷に行き着いた。
門灯の下には「空野」の表札があった。
「ようこそおいでくださいました。ぜひ庭花火をご一緒しましょう」
「…お邪魔します」
藤村は庭先が見える縁側に招かれた。
藺草の円座と、ギヤマンに注がれた麦茶を勧められた。
「夏草や、引けど引けども、また生える。でも、草引きを怠らないで良かった。こうして藤村くんと、庭花火が出来るもの」
藤村は立水栓からバケツに水を汲んだ。
空野は庭土の上に燭台を設けた。
「いざ」
空野に誘われて、藤村は燐寸を擦って、蝋燭に火を燈した。
「ついた!」
空野がペチペチと拍手をした。
まず、藤村が蝋燭から手花火に火を移す。
暗闇に彩光が映えるかと思いきや、白煙が朦々と燻り、花火が暈けて見える。
「風上に立つ方が、綺麗に見えるわ」
続いて、空野が花火を手にする。
白煙が棚引き、パチパチと火花が弾ける。
火花は稲妻の如くリヒテンベルク図形を描く。
空野の手から雷が迸る。
そうして、空野と藤村は、代わり番こに花火をつけていった。
最後の線香花火が散った。
「藤村くん、燐寸をありがとう。私の燐寸は尽きていたから、独りで花火は出来なかったの」
藤村の喉が詰まった。
ドン、と雷鼓が轟いた。祭の方から。パッ、と晴れた空に花火が揚がった。
夜の静寂は、やがて途切れた。
鷺の聲、蛙の聲、鈴虫の聲……。
生きとし生けるものたちが、また唱い始めた。
こんなに多くの生きものに囲まれていたのか。
藤村は驚いた。
されど、此方は蕭寥としていた。
藤村は口を開いた。
「…祭には、行かなくて良かったのか」
「喪が明けるまで、神社には参れません」
藤村は、空野の祖母が亡くなっていた事を思い出した。
「空野は穢れてなどいない」
「いいえ、藤村くん。私は思ったの。多かれ少なかれ、誰しも穢れている。祭は晴。穢を祓うから晴。ならば、褻とは? 穢を清むのが褻。払えば落ちる汚れがあれば、洗わなければ落ちない汚れもある。死という非常で穢レた魂を、鎮めるのは褻の平常。祭という魂振りの、晴の正常では、合わないと」
空野は藤村を見て微笑む。
「つまり、私にはただ、いつものように藤村くんが居てくれた事が、何より幸なの」
藤村は空野に、何か云いたかった。
何も云えなかった。
空野は藤村に、西瓜を一玉、風呂敷で包んで、土産として持たせた。
西瓜はずっしりと重かった。
これで藤村は、のろのろと帰る事になる。
「藤村くん、元気で、ね………」
空野は寂しそうに微笑んだ。
藤村は目を覚ました。
今は昔と違うから、昔と同じでは在れない。
それが正しいと分かっていても、淋しかった。




