第15問 藤村龍治は七夕に何を願うか
ロングホームルームで、担任の鵬先生が告げた。
「七夕なので、短冊を配ります。願いを書きましょう」
そして、文房四宝を始めとする書道用具が配置された。
五色の短冊の内、藤村には黒が当たった。
さて、この短冊に、願いを書かなければならない。
藤村の額に冷汗が滲む。
黒に縁取られた短冊は、ぽかんと空白で、藤村は雪山で遭難したように凍み氷ってしまった。
しばらくして、
「あ、藤村もまだ書けてない?」
と、鵬先生に声を掛けられて、藤村はのろのろと顔を上げた。
「空野も書けないらしくてさ。七夕を詠んだ和歌を書き写していいか訊かれた。写すのは無しだけど、創るなら有りにした。藤村もそうするかい?」
「……はい」
藤村はこくんと頷いた。
空野は短歌を詠んだ。
織姫に成り切って、彦星に宛てて認めたらしい。
「藤波の 夜の羽衣 潮解けば 機屋に織らむ 笹分衣」
(貴方の衣が涙で濡れるなら、私は機屋で織りましょう、貴方が笹原を分けて行けるような衣を)
枕詞や掛詞による重層的な機微は、藤村には読み取れなかったが、そのように藤村は読み解いた。
「藤」を含むこの歌の彦星は己であると、自惚れても許されるだろうか。
その歌に当てられて、藤村は詠んだ。
「清かなる 朝顔姫に 見ゆれば 牛の歩みも 安らかるかな」
(明るく冴える織姫にお逢いするので、彦星の牽く牛の歩みも安らかなことだ)
「朝顔姫」はもともと「機織姫」だったが、あからさまに「詩織」を示して気恥ずかしいので、言い換えた。
また、「牛」には「憂し」を掛けた。
織姫に逢うと思えば、彦星は、牛のように遅い歩みが辛くとも、歩いて行ける、という想いを込めた。
空野に伝わるかは分からない。
藤村だって、空野の上の句を読み解けてはいない。
それでも、藤村が空野に、短冊地獄から救われて、感謝しているのは、本当だった。
藤村は目を覚ました。
藤村には兄がいた。
藤村虎哲。
天才だった。
藤村は兄の背を遠くに見て追い掛けていた。
特別になれますように。
兄さんのような、特別になれますように。
父さんと母さんが、僕を見てくれますように。
ずっとそう願っていた。
兄が家から出て行くまでは。
天才でも特別でも、幸せではなかったのだろうか。
龍治に折紙を教えてくれた、兄は、その眼鏡の向こうで、どんな目をしていたのだろう。
どんな目で、弟を見ていたのだろう。
だから、藤村は、短冊に願いを書けなかった。
無意識に抑圧していた感情が解凍されて、逆行再現されるから。
空野の浮世離れしたところは、兄に似ていた。
藤村は空野に、兄を重ねて見ていたのだろうか。
空野を知れば、兄のことも分かるかもしれないから。
真実だけで生きて行けたら良いのに。
藤村は強くなかった。
太陽を直視すると失明してしまうように、真理を直接知ろうとすると心が壊れる。
それでも知りたいから、間接的に知ろうとする。
虚構の鏡に影を映して、光を逆算していく。
すると、察する。
自分が兄を慕っていたこと。
空野を思っていること。
自覚はまだ無い。
でも、願う。
貴方に幸がありますように。




