第七六話 酸鼻を極める
玄芭がどうして急に意識を失ったかは分からないが、呼吸も脈拍も正常ならその報告に半ばほっとした。が、それも束の間。陸王の足下で首を刎ねた屍体が、もろもろと崩れていったのだ。身体の一部はかさかさに干からびている。
目の前にいた玄史はそれには気付いていなかったようだ。それも当然かも知れない。姪が死んだばかりだというのに、実の兄が血肉を大量に吐き出すところを目の当たりにしたのだ。衝撃の連続だ。
「おい、見ろ」
陸王が声をかけて、やっと皆は愛鈴の屍体の変化に気付いた。
雷韋は見たものの驚きに、声を震わせて言う。
「お姫さんの身体が崩れてる。って事は、お姫さんは死んでたのか? 俺達が見たお姫さんの顔や聞いた悲鳴は偽物だったのか?」
「この屍体からして、そう言うことになるだろうな。肉体を乗っ取ったときに、姫さんの魂を追い出したんだろう」
陸王が答えると、雷韋は陸王の名を呼んだ。
それに対して、どうした、と答えると、雷韋は問うてきた。
「吸血鬼って、傷を早く治すことが出来るんだよな?」
「そんな事を言ってたな。それがどうした」
「だったら、背中についた傷、治すことも出来たんじゃないのか? なんでわざわざ血を流しながら俺達と対峙してたんだ?」
「身体が人のものになっていたからだろう。もとの身体なら、傷は治っていったろうさ」
突っ慳貪に言い遣る。
「そっか。……でも、これでも充分嫌がらせ出来てるよな」
「あ?」
今度は不機嫌な声が出た。眉もこれ以上ないほどにしかめられている。
「言ってたじゃん。意趣返しにもならなかったって。でも、そんな事ない。あいつの嫌がらせは充分効いてるよ」
「お前を傷つけられただけで、俺には充分な意趣返しで嫌がらせだ」
「うん。でも、嫌がらせして、気が済んで死んでいったのかな?」
「んなもん、知るか」
陸王の言いように、雷韋は困ったような吐息をついた。
「吸血鬼は、みんなを滅茶苦茶に傷つけた大悪人だ。でもさ、あいつもあんなことしようと思って生まれてきたわけじゃないんだよな。生まれは光竜が決める。どうして光竜が魔族を産み出すのかは知んないけど、そこにもきっと意味があるんだ。その理由、全然分かんねぇけど」
「阿呆らしい。魔族は親の腹に生命を持った瞬間からから邪悪なんだよ。確かに光竜が、どうして害しか与えない魔族を産み出すのかは知らんが、そこに意味を求めても俺達には分からん。あまりにも大きな意識は、理解しようとしても理解が追いつくわけがねぇんだ。俺達は創られたものだからな」
陸王はそこまで言って、それまで以上に気分を害したという風に声を出した。
「それにしても、意趣返しや嫌がらせをするんじゃなく、とっとと死ねってんだ。お陰で余計に死人を出した。誰にとっても嫌がらせは成功しただろう」
言う陸王の言葉に、雷韋もその部分では同じ事を思ったから黙っていた。思わず逸らした瞳の色は、既に深い琥珀色に戻っている。
「ったく、化け物の考えていることは分からん」
大声で言ちていると、玄史のもとへ兵士が集まってきた。中でも大将格と思われる男が玄史に声をかける。
「大臣、一度領主様をお連れして砦へ戻りましょう。それから、その……」
「なんだ」
玄史が促すと、大将格は愛鈴の亡骸に目を移した。ぼろぼろでかさかさの、ついさっきまでは肉だったものに。
玄史はそれを見て、強く頷く。
「分かっている。姫も一緒に戻る」
そこで、再び玄史の目から涙が溢れた。一筋だけつーっと涙を流して、それを拭いもせずに玄史は立ち上がろうとした。それを脇から兵士達が手伝う。松葉杖を持たせ、身体を支えながら立ち上がらせた。
風が緩く吹くだけで、もう愛鈴の身体は風に流されそうになっていた。それを兵士達が慌てて風除けになり、屍体が散ってしまわないように護る。
それと同時に、玄史を庇って吸血されて死んだ兵士の身体も、風から護った。
「誰か、姫のお身体を収めるものを借りてきてくれぬか?」
玄史が周りに声をかけると、これまで様子を窺っていた数人の女達が駆け寄ってきた。彼女らの手には、雪掻き用の円匙が二本と底の浅い大きな箱があった。
「大臣様、姫様に使うには失礼かとは思うんですが、今すぐに持ってこられたのがこれだけで」
女達が円匙と箱を差し出してくるのを見て、玄史は柔らかく笑った。
「かたじけない。有り難く使わせていただこう」
言って、傍にいる兵士に視線だけで命じる。命じられたのは二人の兵で、風除けをしている者達の前に落ちているように置かれている愛鈴の屍体を丁寧に円匙で掬って、なるべく形が変わらないように努めながら浅箱に収めていった。
紫雲のもとにも兵士が来ていた。
「領主様はご無事なんだな?」
兵士に問われて、紫雲も返す。
「心配いりません。身体の方は正常だと思います。吸血鬼の支配が切れたので肉片と血を吐き出したのでしょうし、それでよかったんですよ」
「そうか。だが、俺達はこれからどうすればいいのか」
「領主が自分で自分のけじめをつけるでしょう。なるようにしかならない。今はそれしか言えません」
そこで別の兵士が声をかけてきた。
「お前、不思議な魔術を使ったな。鉤爪からして、修行僧だろう? それなのに召喚魔法が使えるのか?」
紫雲は困ったように小さく笑った。
「寺院には寺院の決まりがあります。教会では禁じられていることでも、寺院では禁じられていないことも色々とありまして。その時に習い覚えた、と言うところでしょうか」
紫雲は召喚魔法と言った兵士の言葉を口には出さなかった。召喚術とも言わない。彼が勘違いしているなら、それを利用させて貰おうというところだ。
ばたばたする周りを放って、陸王はその様子を窺っていたが、極めて面白くない気分だった。紫雲が何も言わないのが気に食わない。過去は誰にでもある。その全てを話せというわけではないが、腹の底がもぞもぞするのだ。
その陸王の隣に立って、同じように紫雲を眺めていた雷韋がぽつりと言う。
「紫雲、召喚術が使えるのか? もとは僧侶だって聞いてたけど、まさかあの若さで司教になったわけじゃないよな」
「さてな。人には過去があるから詮索するなってこったらしい」
「なんだよ、それ」
面白くないという風に雷韋は唇を尖らせた。
「あの野郎が言ったんだ。話さない以上、口出しもできんだろうが」
「仲間なのに、なんか狡い」
「お前が仲間だと思っていても、あの野郎が仲間とは思っていない可能性もある」
「そんなぁ」
急にしょぼんとして、雷韋が項垂れる。
その頭を陸王はぽんぽんと撫で叩いた。
「気になるなら聞いてくればいい。それで答えてくれるかどうかは知らんが。俺はあいつとは合わん。今回のことで、それが分かってせいせいだ」
言うと、その場所から移動した。
「ちょっ」
雷韋が慌ててあとを追っていく。
どこへ向かうかと思えば、例の家だ。
あの家の前には五、六人の男衆が集まっていた。皆、揃いも揃って顔色を悪くしている。かと思えば、家の中から飛び出してきた者が少し離れたところで嘔吐していたりもした。
陸王は嫌な想像をしなければならなかった。だと言うのに雷韋は何も考えず、こう言うのだ。
「陸王さぁ、あんた、そういう時はこっちから歩み寄らなきゃ駄目だろ。俺はやってみるぜ」
「あぁ? 紫雲のことか。なら、好きにしろ」
「あんたも一緒に歩み寄ろうよ」
陸王は雷韋の言葉に肩を竦めてみせる。その態度から、まるっきりやる気がないのが分かった。そんな陸王に「もー!」と不満の声を上げたが、陸王は構わずに家の中に入って行こうとした。それを男衆が慌てて止めに来る。
「お、おい。中に入るつもりか?」
「そのつもりだが?」
陸王が平然として言うと、男衆も返してくる。
「中は酷い有様だ。やめておいた方がいい」
「ま、酷ぇ有様だってのは想像がついてる。それを承知できたんだが」
男衆がそれぞれ目を見交わし合って、
「あんたは肝が据わっていそうだからいいが、坊主はやめておいた方がいい」
急にそこで止められて、雷韋はぽかんとした顔をした。
「なんだよ。なんでだよ?」
「いや、そりゃあ……」
「ま、俺は好きにするさ」
陸王は言って、男達を掻き分けて玄関から中へ入っていった。
家の中は血塗れだった。家に近づく前から血の甘い匂いは存分に漂っていたが、中は惨烈を極めていた。
倒れた卓の向こうには、床の上一面に内臓と食い残した骨が覗く腕や足、胴体の一部がぶちまけられていたのだ。しかも、それで遊んだ風もあった。箪笥の倒れた壁に血糊がべったりと張り付いていたのだ。その下には投げつけたのか、内臓が積み上がっている。
「全くいい趣味だ」
呆れて言うが、背後に雷韋の気配があるのに気付いて振り返って見ると、少年は今にも吐き出しそうな真っ青な顔をしてこの惨状を見ていた。瞳は再び警戒色の黄色に染まっている。
「見なくていいもんは見るな。そら、行くぞ」
雷韋の両肩に手を当てて、回れ右させると陸王はそのまま家をあとにした。
家の前で男衆から心配されたが、雷韋は何も答えられずにいた。雷韋もまさかあんな状態だとは思わなかったのだろう。
陸王達が家を出て辺りの様子を見回していると、ここ、コリンの村長の姿を見つけた。やっと到着したようだ。全てが終わってしまってからの到着となったが、村の男女に囲まれて話を聞いているようだった。ここであった話をしているのだろうが、吸血鬼の末路しか分からないだろう。
陸王は考えて、空間を越えて砦の邸にあるのだろう愛鈴の部屋に行ったことはわざわざ言う必要もないと判じて、黙っていることにした。始まりと終わりさえ分かっていれば、それでいいだろうと考えて。
そもそも、今ではあの赤い陽炎は綺麗に消えてなくなっている。聞かれれば答えてやらなくもないが、正直、面倒だ。だから敢えて、今は言わないことにした。
それよりも、家の中は凄惨を極めていたし、玄芭が吐き出した肉の処理もある。どうせなら、肉の山を家の中に運び込んで、家ごと燃やして火葬にしてしまえばいいと思った。どうせ誰も住む者はいないのだ。一家全員を玄芭が食い殺した。燃やしてしまっても困ることはあるまい。
それを伝えようと一歩踏み出したとき、玄史と紫雲が一緒になって村長のもとへと向かって行くのが目に入った。
「陸王、俺、ここにいたくないよ。気持ち悪い。胸がむかむかする」
「吐けるなら吐いちまえ。その方がずっと楽だろう」
「いや、ここにいたくない。この家から離れたい」
「分かった。なら行くぞ」
村長達の方へ歩き出した陸王の袖が、急に引っ張られた。
見れば、雷韋が気分悪そうにしながら、陸王の袖を掴んで凭れ掛かっているのだ。吐く吐かないではなく、その有様は今にも倒れそうな雰囲気だった。
「おい、吐くならまだしも、こんなところで倒れてくれるなよ」
「あぁ、嫌なもの見た。気持ち悪い。ぞっとする。怖いよ」
「お前がなんでもホイホイついてくるからだろう。止められたにもかかわらず」
「だって、あんたはすたすた行っちまうし、中があんなになってるなんて思わなかったんだもんさ」
言葉だけは強いが、それを言う声は非常に弱々しかった。
それでも置いていくわけにも行かず、陸王は半ば雷韋を引き摺るように歩いていった。
雷韋を引き摺って歩いて行ったところで、途中で紫雲が陸王達に気付いた。駆け寄ってくる。
「陸王さん、雷韋君……って、どうかしたんですか? 随分と顔色が悪いようですが。それに瞳の色が……」
雷韋の顔色と瞳の色を見て、紫雲が驚いたように問うてきた。
「やなもの見ちゃってさぁ」
弱々しい溜息をつきながらの答え。次の瞬間には、瞳は常の深い琥珀色に戻った。
「なんですか? 嫌なものって」
それに対し雷韋は「あぁ……」と言うだけではっきりとは答えようとしなかった。代わりに答えたのは陸王だった。
「一家が襲われた家があっただろう。あの家の床一面に、臓物と食い残しがぶちまけられていたのを見たんだ」
「それは……」
紫雲も話を聞いて、流石に顔をしかめた。
「全くいい趣味してやがる、玄芭の野郎」
「そう言う問題ですか?」
「やめてくれよ。思い出したくない」
雷韋が駄々をこねるように言葉を吐き出した。
確かに思い出させるのは惨いと紫雲は思った。話に聞くだけでも陰惨な光景なのに、雷韋はそれを生で見てしまったと言うのだ。その衝撃は大きいだろう。思い出したくないのは言わずもがな。聞いたこちらの方が気分が悪くなりそうな話でもある。




