第七五話 吸血鬼の終幕
「愛鈴! ああ、なんと言うことだ……」
玄史は愛鈴の様子に膝立ちだった格好から、松葉杖など放り出して地面に蹲ってしまった。傍で支えていた残った一人の兵士も、愛鈴の変わり果てた姿に言葉をなくしていた。
「叔父様、助けて! 身体中が痛いの」
愛鈴のしゃくり上げる声を聞いて、にわかに暴れ出したのは玄芭だった。これまでにない暴れようだ。影のような女の髪を引き千切ろうと足掻く。足掻くが、まともに身体を動かすことも出来なかった。それでも呻きは大きくなる。吠え猛りたいのを遮られてどんどん呻きが大きくなっていく。
そんな玄芭に対して、少女の姿の吸血鬼が言う。
「領主殿、そんな者に捕まって、恥を知りなさい。私は人間を、いえ、人間だけではなく、この三人も喰らってしまいなさいと言い含めていたではありませんか。それが何故、こんな事に?」
「煩ぇぞ。手前ぇの相手は俺だ。今のお前に操り人形を御せるとでも思ったか」
陸王が嫌悪を込めて言い放つ。
「えぇ、そうですね。こんな人形はもうどうでもよろしい」
そう言ったかと思えば、愛鈴の顔をしていた半面も、もう一方に引き摺られるように吸血鬼の表す歪な顔になっていった。
愛鈴の顔が完全に消えたのだ。
そこにいるのはケダモノのように、ただただ醜い表情の少女だ。
吸血鬼が言った『人形』とは愛鈴のことだと、陸王も雷韋もこの時点で初めて気付いた。
これでいよいよ、愛鈴がいるのかいないのか分からなくなった。本物だったのか、それとも吸血鬼の巧妙な演技か。
殺さなければ分からないと陸王は思った。屍体が普通に残れば、愛鈴は生かされていたのだと分かる。魂がしっかりと肉体と同調しているからだ。反対に、崩れたりなんなりして屍体が壊れれば、それは吸血鬼が愛鈴の魂を追い出して身体を奪っていたという証拠になる。借り物の身体だからこそ、馴染むまでに時間がかかるはずだ。そんな状態では、吸血鬼の魂が抜けたところで肉体が崩れ落ちるのがオチだろう。
陸王に強く血管を引っ張られて、それでも踏ん張って近づかないようにする吸血鬼だったが、ある瞬間、急に自ら血管を背から断ち切ると、蹲っている玄史へと向かった。
それまで強く抵抗を受けていた左手から抵抗がなくなって、僅かの間だけ陸王は均衡を崩した。
吸血鬼に反応したのは陸王の後ろにいた雷韋と、悪魔の傍で構えていた紫雲だった。
雷韋が玄史の前で吸血鬼に飛びつき、背後から動きを封じる。
紫雲は牽制のために喉元に鉤爪を振り当てた。
玄史は目の前で起こったことに絶望の眼差しを向けつつ、吸血鬼とも目がかち合っていた。
三者三様の動きで吸血鬼を封じる。
吸血鬼は醜くはあるが少女の顔のままで、虫けらでも見るように玄史を見下ろしていた。
「大臣殿よ、貴方には色々世話になりましたね。食料の調達、実にご苦労でありました」
言葉とは裏腹に、吐き捨てるような言い様だった。
そう声をかけられ、玄史の顔からは全ての表情が消えた。絶望さえも抜けきってしまったらしい。ただただ、感情のなくなった眼差しで見上げるだけだ。
打って変わって吸血鬼は陸王に顔を向けた。
「侍殿。名はなんといいましたかな? 確か、陸王とか」
「だったらなんだ」
傍まで来ていた陸王がつばを吐いて、面白くなさげに答える。
「貴方は私に聞きましたね。どうしてこの領地にやって来たかと」
「あぁ。お前は偶然だと言っていたが、本当のところはどうなんだ」
吸血鬼は低く笑った。
「本当に偶然ですよ。たまたま空腹の時に、ここを通りかかった。私達は長く血を飲まなくてもいい。ですが食事をするとなれば、食事をしなかった月日分だけ貪欲に食事に集中します。たったそれだけのことです。この地で起こったのはそれだけのことなんですよ。それにこの肉体。奪って、領主殿をいいように動かしてやろうとも思いましたが、貴方達への嫌がらせにもなりませんでしたね。私をあんな形で殺した事への意趣返しにもならなかった。どうやらこれも、ただの悪足掻きだったようです」
そう言って、最後は己から首を差し出した。断てとでも言うかのように。これ以上の抵抗はしないつもりのようだ。
が、陸王は垣間見た。白っぽい金の髪に隠れた少女の表情の中から、口元が笑みに歪んでいるのを。
「雷韋、離れろ!」
咄嗟の陸王の怒声に雷韋が黄色い瞳に驚きの色を載せたと思えば、少年の胸を五本の触手が貫いた。雷韋の背中から、真っ直ぐに血管の触手が生えている。反射的な反応なのだろうが、雷韋が小さく咳き込んだ中に血が混じっていた。
その様が、嫌にゆっくりと陸王の視界に映る。
気が付けば陸王は、愛鈴の身体から雷韋を引き剥がしていた。引き剥がすと同時に、胸を貫く五本の血管を雷韋の中から引き抜く。その己の動作さえ、やけにゆっくりと感じられた。そんなはずはないのに。
雷韋の中から血管を引っ張り出して、地面に投げつける。
酷く腹立たしかった。自分の身体ならいざ知らず、雷韋の身体に傷をつけられたのだから。そのことが酷く癪に障った。だからだろうか。雷韋を地面に横たえさせると、すぐに陸王は愛鈴の顔をした吸血鬼の膝裏を蹴りつけて、小さなその身体を跪かせた。
がくんと、操り人形の糸が切れたように地面に跪いた吸血鬼が、ぼそりと呟く。
「お仲間を傷つけて、これで意趣返し程度にはなりましたかねぇ? 吸血しなかったことは、私からの情けですよ。こんなにいい匂い……」
言葉が途中で途切れる。
陸王が問答無用で首を断ったのだ。全ては怒りにまかせた行動だった。
首を落とされた身体は、ぴぅぴぅと一吹き二吹きと僅かばかりの出血をしただけで、あとは地面に崩れ落ちて終わりだった。
吸血鬼の身体だったときには、陸王の頭部を汚すほどの激しい出血があったが、少女の身体からはほとんど出血はなかった。それは純粋に、魔族と人族の身体の違いだったのだろう。姫の身体は出血が多すぎて、首を落とされた際に噴き出す血がほとんどなかったのだ。
そんなぎりぎりの身体で、最後の最後に陸王に対する意趣返しをしてみせた。もとの身体の時にいいようにされた事への、ある種の復讐の執念かも知れない。
目の前で姪の首が落とされた玄史は、そのまま地面に伏してしまった。玄芭の宝物を護ろうと必死だったのに、結局は何も出来ずじまいだった。首を落とされた愛鈴の身体を前に、役立たずだった自分を責めるほかない。
陸王は崩れ落ちた少女の身体など放って、雷韋の脇に片膝をついた。陸王が僅かでも吸血鬼を相手にしていた間に、紫雲が雷韋の容態を気にかけている。
「雷韋君、何があったか分かりますか?」
紫雲は雷韋の意識の程度を探っていた。
「だいじょ、ぶ。びっくりしたけど、分かって、る。すぐ、魔術で回復できる」
所々で軽く咳き込みながら言う雷韋の手は既に胸に当てられ、その当てられた手からは淡い緑色の光が発されていた。
植物の精霊魔法だ。
雷韋が答える脇から、陸王も声をかける。
「雷韋、自分で治せるか? 辛いようなら、俺が回復の術をかけてやるぞ」
陸王は雷韋の頭を撫で付けながら、様子を窺った。
そんな陸王に、雷韋は小さく笑ってみせる。
「あんがと。でも、自分で治す方が治りが早いよ。それに傷口も、小さいし」
陸王はそれを聞いて、小さく首肯した。確かに精霊使いの雷韋が自分で治療した方が早いことは早いだろう。そもそもが魔術に慣れているし、雷韋が言うように傷口そのものも小さいのだ。
決して細い血管ではないが、それでも所詮は血管なのだ。太さには限界がある。陸王が受けた血管の傷も、それほど大きなものではない。今ではもう、四肢からの出血はほとんど止まっているようだった。
と、雷韋が咳払いをする。喉に血でも絡んだのかも知れない。
陸王は自分で治療中の雷韋の身体を横向きにさせて、肩を押さえてそのまま固定してやった。
すると、雷韋が一度咳き込み、そのあと少量の血を吐き出した。それから大きく息を吸い込んで、身体を起こす。
「大丈夫か?」
「ん、もう傷口は綺麗に塞がったよ。驚かせてごめん」
陸王が尋ねるのに、雷韋はそう答えて苦笑いした。それから足下の方に倒れている愛鈴の身体を見遣る。
「殺しちゃったんだな」
「所詮は化け物だ。姫さんとは違う」
「でも、身体が崩壊してない。お姫さんの魂、やっぱ残ってたんじゃ」
雷韋が言うと、くつくつと嗤う声が聞こえてきた。
しかもその声音は少女のものだった。
玄史がその声にはっと顔を上げる。
陸王達も少女の遺体に釘付けになった。
「さぁ、皆さん。この身体が残るか、崩れるか、それをしっかりと確認してくださいねぇ」
その言い口は間違いなく吸血鬼のものだ。だが、その言葉が終わったあと、続く言葉はなく、陸王が少女の髪を掴んで持ち上げてみても、半開きの瞳に光はなかった。数秒前には確実に言葉を喋ったはずなのに。
陸王は嫌悪のまま、持ち上げた少女の頭を放り出した。それでも崩れる様子はない。と言う事は、愛鈴の魂が吸血鬼の魂と同時に存在していたと言う事か。
崩れないという事は、そう言うことなのだろう。
その事実に雷韋は呆然とし、紫雲は俯き、玄史は絶望に涙を流した。陸王は嘆息を一つ付いただけで、特別な感情は見せなかった。
そもそも、身体は出血多量で死んでいたも同然なのだ。陸王がしたことは、吸血鬼のせいでいつまでもずるずると生かされたのを介錯してやったも同然で、感謝されこそすれ、恨まれる謂れはない。
その時だった。悪魔に絡め取られていた玄芭の様子がおかしくなったのは。
両目を見開き、真っ青な顔になっている。呼吸も苦しげに早い。
紫雲が神聖語で何か命を下すと黒い影の女は、玄芭と絡め取っていた血管の触手を全て捨てて、未だに宙に浮いている召喚陣の中へとすっと消えていった。女が召喚陣の中に消えると、召喚陣自体も音もなく白い残像を残して消えていった。
陸王は強い神聖語の羅列にに背筋がひやりと冷たくなったが、それよりも今は様子のおかしい玄芭を注視する。
残された玄芭は喉を掻き毟り、次の瞬間、嘔吐した。がぼがぼと喉を鳴らして、食っていた肉を吐き出す。人肉だ。肉と一緒に血液も吐き出され、玄芭の前は血塗れの山になった。肉が山を作ったのだ。
暫く玄芭は吐き出し続けた。肉はともかく、大量の血は人の胃腸では消化できないのだ。気分が悪くなって当然だった。人肉を喰らったときに、ワインの代わりのように血を飲んだに違いない。肉も大量だったが、血も大量に吐き出した。身体のどこに、こんなにも血肉が入っていたのか謎なくらいだ。腹はそれほど膨らんでいたようには見えなかったが。
果たして玄芭は何人喰らっていたのだろうか? 分からないが、吐き出される肉は人ひとり分より更にある。子供も喰らっていたから、邸の召使いと子供二人分は優にあるだろう。いや、一家は両親も祖父も殺されたはずだ。
それを全部喰ったというのだろうか?
陸王ですら、ぞっとしない話だ。
玄芭が最終的に吐き出した人肉は、二つの小山を作った。肉の部位によっては髪の毛が絡まっていたりと、それは空恐ろしい光景だ。
玄芭も流石に最後の方では胃液を吐き出して、からえずきをする場面が多くなった。血肉は全て吐き出せたらしい。
いいだけ吐き出して力尽きたのか、玄芭は足下をふらつかせ、そのまま倒れた。紫雲が駆け寄ったが、意識はなかった。代わりに呼吸は正常にしている。早くも遅くもないらしい。脈拍まで紫雲は調べたが、そこでも異常はなかった。
それが場にいた者達に知らされる。




