第七四話 愛鈴 二
「馬鹿! 何してんだよ、陸王!」
雷韋が慌てて愛鈴の背中から伸びている血管を断った陸王の左腕を取るが、陸王は何も言わずにその手を払った。
陸王には突っぱねられた形になったが、雷韋も退かない。
「陸王、こんなに出血してんだ。あの子、死んじまうよ! 俺が治してもいいだろ?」
「駄目だ」
「何言ってんだ、あんた。だって、このままじゃ……」
陸王は必死に言い募る雷韋に冷たく言い遣る。
「死んじまった方がいいんだ。吸血鬼諸共」
「そんな!!」
非難の声を聞き流し、陸王は寝台に一歩一歩、近づいていった。
「お前はそこにいろ」
「え? 何すんだよ?」
雷韋の困惑した声には何も答えず、陸王は寝台の傍まで行って帳を真横に切り裂いた。吊されていた薄い絹地がはらりと落ちる。
それを見て、雷韋は更に慌てた。すぐに駆け寄って、再び陸王の左腕を取る。
「陸王、洒落になってねぇって。この子に何するつもりだよ」
「こいつの首を刎ねる」
「な!?」
「血管を打っ手切ってみて確信した。硬度はなくなっていたが、僅かに血管が飛び跳ねた。そいつは吸血鬼の反応だろう。人間である姫さんの反応じゃねぇ」
「でも、そんな……」
雷韋が言い淀むと、低く嗤う声が聞こえてきた。
はっとして二人が少女の方へ目を向ければ、顔の半分が笑い、もう半分が苦鳴を上げて涙をぼろぼろと零していた。苦鳴の中に助けを求めて父母を呼ぶ少女がいて、同じように吸血鬼が醜く歪めた少女の顔で嘲笑っている。
顔の中心から真っ二つに別の人格が顔を覗かせていたのだ。
よく見れば、舌も真ん中から蛇の舌のように二つに分かれている。
「いやはや、面白いですねぇ」
瞬間、陸王の眉が寄る。
「姫君と私の感覚は同調しているのですよ? 私の感じる痛みで、身体が勝手に反応してもおかしくはないでしょう。同一体にあるのですから、姫も私の感じる苦痛を覚えるのです。第一、血管を斬られれば痛みもある。何も不思議なことではありません」
そう言っている間にも、同じ声で少女の方は弱々しくすすり泣きながら父母に助けを求めていた。
「なら、余計ぶっ殺しておかんとな。一心同体って事は、完全に寄生しているってこったろう。姫さんには悪いが、ここで死んで貰う。お前にも、ほかに新しい肉体をくれてやるわけにはいかんからな」
感情もなく口にした瞬間、雷韋が陸王の腕を強く引っ張った。その力の強さに、危うく均衡を崩すところだった。
「何しやがる、ガキ」
「駄目だ! お姫さんを殺すなんて駄目だ。この子はまだ生きてる。吸血鬼だけ殺せばいい!」
「分離させようってのか」
「出来るはずだ!」
「方法は」
「それは……」
言い淀むという事は、雷韋にも見当がつかないのだ。陸王はそれを当然だと思う。本当に愛鈴が生きていて、分離させる方法があるなら陸王だってそれを選びたい。しかし、そんなものはないのだ。それどころか、目の前で両親に救いを求めているのが本物の愛鈴かどうかすら分からない。確かめようがないのであれば、とる方法は一つだ。
愛鈴は死んだものとして扱い、身体に寄生している吸血鬼を肉体ごと討ち滅ぼす。
寧ろ、完全に乗っ取っている可能性の方が高い。泣いている半身は吸血鬼の演技だと思えばいい。まやかしだと。
今の吸血鬼の肉体は人のものだ。中身がなんであれ、どんな力を使おうと人の肉体なのだ。だとすれば、陽の下でさえ歩けるだろう。今は単に陸王達を揶揄っているだけだ。
愛鈴が生きているように見せかけて、隙を突いてあの歪みに飛び込む算段だろう。でなければ、操っている玄芭に空間を開かせたりはしない。今、吸血鬼がここにいるのは、紫雲が召喚した悪魔の横槍が入ったせいだ。だが、もうそろそろ吸血鬼は逃げ出そうとしてもおかしくはない。元々血管の触手は悪魔に絡め取られている。その血管を陸王が断ち切ったのだ。
吸血鬼は自由を得た。
それで動き出さなければ、間抜けとしか言いようがない。今は好機なのだ。同時に陸王達にとっても、絶好の機会だった。
あるいは、上手くここから逃げ延びられるか。
あるいは、肉体を殺して、存在を滅することが出来るか。
互いに選択肢は一つしかない。
陸王は素早く刀を振り上げた。それを目にした吸血鬼の目が細まる。逆に、涙を流して泣いていた少女の目が見開かれる。
そこには恐怖の色があった。恐怖による小さな悲鳴も聞こえた気がする。
「いや……。やめて!」
少女の口から命乞いが漏れる。それを見ても聞いても、陸王の表情は変わらなかった。
「姫君が殺さないでくれと懇願していますよ。姫が生きているのは嘘ではありません。姫が死なないよう、私が彼女の魂を握ってこの身体の中に留めているからです」
陸王は吸血鬼の言葉を聞いても尚、表情を変えなかった。それどころか、未だに纏わり付いている雷韋の腕を払って、吉宗の刃を少女の首根目掛けて振り下ろす。
「陸王!」
雷韋の叫びと少女の悲鳴が一緒くたになって響いた。
白刃が風切り音を鳴らして寝台に深く沈み込む。が、そこに姫の身体はなかった。姫君の身体は吉宗の刃から逃れるように寝台の端へと移動して、再び浮かび上がっていた。今度は身体を立てて。それを確かめるように見て、陸王は歪む空間手前まで一気にさがった。
吸血鬼を逃さないためだ。
それを見止めて、吸血鬼も再び触手を陸王に向かって伸ばす。
五本ある血管が襲ってくるが、陸王はそれでも避けようとはしなかった。五本の触手のうち、四本は四肢に突き立った。陸王は四肢に突き立った触手に、硬度が復活していることを知る。いや、それだけではなく、額を狙ってきた五本目を吉宗で防いだのだ。それが金属質な音を立てて、硬度が復活していることを知らせていた。
血管はまるで生き物のように、陸王の中にある潤沢な血液を毒液と引き換えにして吸い出す。
だが陸王にとって、毒液を流し込まれるなどどうともないことだった。身体は勝手に解毒を始め、血だとて多少吸われても問題ない。雷韋のように血液が迅速に作られるわけではないが、半分程度までなら余裕で耐えられる。普通の人族なら、三割も失えば生命にかかわると言うのに。
吸血鬼は半分の顔でにやりと笑い、勝機を掴んだ気になっていた。
そこで陸王は驚きの行動に出た。まず最初に、刀で受け止めている触手を手に取った。掴み、ぐっと力尽くで捻じ曲げてから、陸王は刀を雷韋の方へ放り投げた。
「ちゃんと持っていろよ」
「な、なんだよ、これ。それよりあんた……」
「いいから持っていろ」
言うだけ言って、陸王は両手で一本一本、己の四肢から触手を引き抜いていった。突き刺さった部分から身体の中に細かく根を生やしていたようだが、強引に引き抜いた。肉に絡まっていた根ごと引き抜くと、肉片が纏わり付いていた触手が嫌な音と共に抜ける。
吸血鬼は血管をぐねぐねと蠢かせてなんとか逃れようとしているようだが、陸王は決して血管の触手を離さなかった。それどころか片手に纏め上げて、少女の身体を引っ張る。
小さな身体は宙に突っ張って動こうとはしなかったが、やがて陸王の力に抗えなくなって少しずつ、ぐ、ぐ、と引き寄せられた。その際、半分の少女が痛みに叫んだが、陸王は容赦しなかった。本物の愛鈴が叫んでいたとしても、同じように陸王は吸血鬼ごと彼女を引き寄せただろう。
吸血鬼である可能性がある限りは、情けなどかけない。
陸王に引っ張り寄せられるばかりの自分に苛立ちを感じたか、吸血鬼はいきなり動いた。
雷韋の方へ。
雷韋のいる位置の方が吸血鬼に近いのだ。素早く動けば、陸王に引き寄せられる前に雷韋を襲える。そう踏んで動いたのだ。
力尽くで引っ張っていた陸王の体勢が、吸血鬼自らが手前に動いたことで急に崩れる。危うく尻餅をついて触手まで手放してしまいそうなところを、なんとか足を踏ん張って堪えた。
「逃げろ、雷韋!」
咄嗟のことに、そう叫ぶのが精一杯だった。
雷韋は雷韋で、自分の方へ顔半分ずつ違う表情の奇妙な少女が向かってきたことに対して、本能的な恐れを感じていた。陸王に言われるまでもなく、雷韋は陸王の背後に隠れようと床を蹴る。
その雷韋の背に向かって少女の手が伸びたが、わずか数センチのところで取り逃し、新たに陸王に引き摺り寄せられた。反射的にその場に留まって、足を踏ん張る。
顔半分の愛鈴の悲鳴がさっきから煩かった。
それは陸王にも吸血鬼にも。
特に吸血鬼は苛立っていた。愛鈴の様子を見せれば大人しくなるかと思ったが、予想外に陸王は躊躇いを見せなかった。その上、触手を掴まえられてしまう始末だ。一時は陸王の血を啜っていたのに、彼は自分の身体を傷つけながらも触手を己の支配下においた。それで完全に吸血鬼は動きを封じられてしまったのだ。
陸王は吉宗を持った雷韋が背後に隠れたことで安心し、安心すると同時に雷韋の手から吉宗を分捕った。
次の瞬間、陸王は力任せに吸血鬼の触手を引っ張り、吸血鬼を連れて背後にある歪む空間に飛び込んだ。雷韋も陸王に腕を引かれる。
次に雷韋が気が付いたときには、外だった。空気は自由に流れ、暗い中に根源魔法で顕した光の球や、何十本もの松明が辺りを照らしている。目の前には村人達と兵士達が驚いた顔で、突然現れた陸王達を見ていた。いや、実際、驚いたのだろう。さっきはこの赤い空間の中へ入って消え、いきなりまた姿を現したのだから。
三人が姿を現したことでざわついたが、すぐに皆、異変に気付いたようだった。
陸王に引き連れられた愛鈴の姿を見たからだ。
顔が左右で表情が違う。叫びを上げ、すすり泣く少女の顔と醜悪に歪んだ顔の少女がいるのだから、驚くなと言う方が無理な話だった。
その中でも最も早くに愛鈴に気付いたのは玄芭と玄史だった。玄芭は悪魔の髪で縛められたまま、口も塞がれているために声を出しても呻き声だけだ。玄史ははっきりと「愛鈴!」と叫んだ。
そのことで、皆も奇っ怪な表情の少女が愛鈴姫だと理解したようだ。それだけではなく、背中から触手のように五本の血管が伸びていることに対しても驚愕している。その先端を陸王が握って、今も引き寄せようとしているのだ。愛鈴は相変わらず抵抗していたが、赤い空間の向こうで何が起こったか知る者はいない。




