第七〇話 喰らう者
コリンの村に辿り着いて、馬に騎乗したまま件の家まで向かう。
その家は街道から一番近くにあった。村道に入ってすぐのところにあったのだ。二階建ての小さな家だったが、未だに村の者達が集まっている。しかし、扉は閉じられていた。遠目に家の周りには男衆が集まって、こぢんまりとした家を松明で照らしている。
秀士はへっぴり腰で馬から下りると、乗馬の疲れで足腰ががくがくしていたが、なんとか人々の中を突っ切って最前列に向かっていく。
そのあとに陸王達も馬から下りて続いた。見慣れぬ陸王達三人に、村人達の目は自然と釘付けになったが、彼等は構わなかった。
「おい、領主様はどこだ? 家の中にいるのか?」
秀士が松明を持つ周りの男達に声をかける。
「戻ったのか、秀士。村長は?」
「事情は説明してある。今、俺が乗っていった馬車でこっちに向かっているところだ」
秀士と話していた男が「ん?」と陸王達を見つけて、怪訝な表情になる。
「その人達は誰だ? 今は旅の人なんか構ってる場合じゃない」
「いや、違う。この人達が吸血鬼を殺してくれたらしいんだ」
「え? この人達が? その子供もか?」
言って、男が雷韋を指さす。
「この二人と一緒にいるって事は……そうなんだろう?」
秀士は最後、雷韋に語りかけていた。
「あったり前だい。俺だって戦ったんだ」
そう言うと、雷韋は腰に両拳を当てて胸を張る。
僅かながら秀士と男は無言になったが、すぐに意識を寛冉という男の家に向けた。
家の中は明かりが灯っているのか、ほんのりと窓に橙色の光が覗えた。
「領主様は中か?」
秀士が聞くと、別の男が「そうだ。籠もってる」と声を返してきた。
「親父さんと鮮は?」
「分からん。領主様が中に籠もる前までは声が聞こえていたが、そのあとはしーんとしてる。生きてるのか死んでるのかも分からん」
陸王はそれを確認して、雷韋に声をかける。
「雷韋。一応、腕に傷を作っておけ。魔気に当たるかもしれん」
「え? 魔族なのか? 領主なんだろ?」
「それは分からんが、念のためにな。今は玄芭がどんな状態になっているのか、それを調べにゃならん」
と、陸王は紫雲に視線を投げる。それに気付いた紫雲が小さく頷いた。二人で家の中を見てこようというのだ。
雷韋はそれを不安げに見ていたが、陸王はその場に光の球を残して紫雲と共に姿勢を低くして素早く家に近づいていった。
その様子を見た人々が、ざわと声を上げる。
陸王と紫雲は扉を挟み、壁に背中を預けた。そこで陸王は吉宗の刃を引き抜き、紫雲は鉤爪を填め終わっていた。陸王の側に大きな窓があったので、彼が中の様子を窺う。
ランプが一つついているようだった。弱いが部屋の中を橙色の明かりが照らしている。しかし、陸王の位置からだと室内を全て見渡すことが出来なかった。戸棚のようなものがいくつか倒れているし、部屋の中央には四角い大きな卓も倒れていている。ランプはその陰にあるようだ。窓はしっかり閉じられていたが、隙間から血の匂いが強く香って漂ってくる。屍体も卓の向こうにあるのだろうか。
もう少しよく見てみようと陸王は、さっきよりも少し腰を浮かせた。瞬間、卓の向こうから何かが投げ飛ばされてきた。その飛ばされ方は、特に意図をもって投げられたものではない。どちらかというと、放り出したという感じだ。陸王の傍までごろごろと転がってきたのは、骨の露出した女の腕だった。右腕のようだ。細めの指が力なく開いているのが見て取れる。
陸王は腰を落として、再び扉の傍まで戻ってきた。
「俺が扉を開ける。お前が先に突っ込んでくれ。卓が倒れていて、その向こうに玄芭はいるようだ」
陸王は声を潜めて紫雲に告げた。
紫雲も「分かりました」と返答して、扉から少し離れてそこに立つ。
その時だった。大勢の足音が聞こえ、馬の蹄の音も響いてきたのは。
村人は音のする方へと身体ごと振り向いた。
陸王も紫雲も気を取られたが、陸王はすぐに家の中へと意識を戻した。人々のざわめきや足音などが大きすぎて、中からの音など掻き消されてしまっているが、気配だけは感じられた。
中の気配は特に動きを見せない。
「紫雲」
声をかけると、気を散らしていた紫雲も改めて振り返る。
「いくぞ」
だが紫雲の目は『まだだ』と言っていた。
陸王が怪訝な顔をすると、遠くから「領主様はいらっしゃるか!」と声が聞こえてきた。それも複数の声が聞こえてくる。
ややもすると、松明を掲げ持った一団がやって来た。
砦の兵士だ。
それだけではない。
兵士達の中央で馬上の人になっているのは玄史だった。
けれど玄史の顔色は松明の明かりに照らされていても青白く、生気が半分ほど失われているような状態だった。
それを見たのは陸王達だけではない。当然、村の者達も目にしている。皆が皆、それまでざわついていただけだったのが、一気に大声を張り上げて救いを求め始める。
「大臣! 実は領主様が!」
「あの家に籠もりまして、中で一体何をしていらっしゃるやら」
「俺は領主様が寛冉を食っているのを見ました!」
「お助けを!!」
皆が「お助けを!」「お助けを!」と兵士に両脇へ押し戻されながら、玄史に声をかけ続けた。
玄史の前は兵士によって、既に道が作られている。
蹌踉めくようにして玄史が馬から下りると、すぐに兵士に両側から支えられた。兵士達の中からほかに玄史に向かって走り寄る者があり、彼は二本の松葉杖を玄史に手渡す。玄史もそれを受け取って身体を預けると、両脇から兵士に支えられつつも自力で歩き始めた。相変わらず顔は真っ青で、ふらついている。
「兄上は、人を喰らったか?」
家の前にいる陸王と紫雲に声をかけてくる。その声も、やけに弱々しい。
それも当然だ。吸血鬼に大量に血液を奪われたのだから。二日、三日程度で回復するわけがない。
村人と一緒くたにされて脇へ避けられていた雷韋が、人垣を割って陸王の方へと駆け寄ってきた。
「陸王、どうだったんだ?」
雷韋が問うと、陸王は雷韋を見ずに玄史に目を向けた。
「食っていたかと問われれば、間違いなく食っていたな。食い終わった女の腕が、倒れた卓の向こうから放り投げられてきた」
息を飲んだのは玄史ではなく、雷韋だった。
玄史は驚きよりも、諦念を顔に浮かべている。
彼は顔を歪めて俯く。「兄上」と吐息のような声が出た。
その時、中で気配が動くのを陸王は感じだ。確かに動いた。陸王は雷韋を引き摺るようにその場から離れ、紫雲も玄史より後ろへ退いた。玄史だけがその場から動かない。彼だけは両脇に介添人を連れたまま、扉から三メートルほど離れて家の真正面に立っていた。
様子を窺っていると、おもむろに扉が開かれた。
現れたのは、夜着姿の玄芭だ。手には付け根からもぎ取られた人の足を持って、それに噛み付いているところだった。だが、その足はやけに幼く小さいものだった。この家の子供だろう。既に殺されていたのだ。だとするともう一人いた男、子供にとっては祖父に当たるが、彼も死んでいるだろう。
玄芭の口元から、くちゃくちゃと嫌な音がする。何度も生肉を噛んでいる音だ。と思えば突然、ぶちっと肉の引き千切れる音がした。玄芭は口元から足を離し、引き千切ったばかりの肉を噛んでいる。口を閉じて肉を噛んでいるのに、ちゃっちゃっという音が生々しく聞こえた。顔中を血に染めて、旨そうに肉を食っている。白い夜着の胸元も膝辺りも真っ赤に汚れていた。手を拭ったあとなのか、夜着の腹もとまで掠れ掠れに汚れている。
いいだけ肉を噛み終えて飲み込むと、俯いている玄史に玄芭は、実に楽しそうに笑いかけた。
「玄史よ、人の肉というのはなかなかに旨いものだな。脂身がほどほどにあって、なかなかよい。心臓は硬すぎて、食いちぎれなかったが。そうだな、あれは焼いて切り分けると旨く食えると思う。鹿の肉も旨いが、人の肉もなかなかだ」
「兄上、なんと言うことを……」
俯いた顔を上げることも出来ずに、玄史は辛そうな声を絞り出す。
雷韋は玄芭の言葉を聞いて、陸王の陰でえずいていた。食事時のことを思い出したのだ。鹿肉が食べたいと言った自分の言葉と、玄芭の「鹿の肉もいいが、人間の肉もなかなか」と言う言葉が重なったのだ。不意に胃液が込み上げてきて、喉を酷く焼いた。瞳も毒々しい黄色に変色する。
その気配を察したのか、陸王が後ろ手に雷韋の腕をぽんぽんと叩いた。それだけで雷韋は救われる気がした。




