第六九話 悲報
男の悲鳴が聞こえた。それも絶望を感じさせる。
それは全くの断末魔だ。
次に、女と子供の悲鳴が聞こえてきた。こちらは断末魔ではない。何か恐ろしいものを見たときの悲鳴だ。
鉄臭い臭いが室内を満たす。
**********
真夜中、宿の扉が激しく叩かれた。何度も何度も延々と。
男の怒鳴り声も混じっている。
怒鳴り声は、二階の開けっぱなしの窓からも入ってきた。その尋常ならざる怒声に、二階で眠っていた者達は雷韋を除いて皆目を醒ます。
「なんだ?」
陸王が誰ともなしに問う。
「村長を出してくれ! コリン村の村長を!! 領主様が襲ってきた!! 村長を出してくれ!!」
怒声はそう言っていた。
ややもすると、階下から物音が聞こえてきて、階段をどたどたと上がってくる物音が続いた。
扉が開けられて、
「村長!!」
と一人の男が現れた。
その時には既に部屋のランプはつけられていて、部屋を照らしている。
コリン村の村長は驚いた様子で立ち尽くしていたが、陸王と紫雲は身仕度を調え終わっていた。
「な、何があったのだ。秀士よ」
秀士と呼ばれた中年の男は顔を真っ青にして、捲し立てる。
「覚冉の一家が領主様に襲われて、覚冉が食い殺された! 女房も殺られた! 俺がレイザスに向かう前までは、家の中からは覚冉の親父と子供の声が聞こえていたが、今はどうなってるか分からない!」
秀士と呼ばれた男は混乱していて話の要領を得なかったが、要約すると前述のようになるらしかった。
陸王は訝しげに秀士に問うた。
「領主というと、玄芭が兵を率いて出てきたって事か?」
「違う! 兵士は一人も来てない。領主様が食ってたんだよ! 覚冉の腕を持って、屍食鬼みたいに食らい付いてた! あれは領主様だ。夜着のままだったが、間違いない! みんなで松明を持ってきて照らした!」
「ほかには誰もいなかったか? 玄史は? 本当に兵士の姿はなかったか?」
「領主様一人だったと思う。玄史様は見掛けないと思ったけど、少なくとも兵士は一人もいなかった」
秀士曰く、真夜中に覚冉一家の悲鳴が隣家に聞こえてきて、何事があったのか訪ねたところ、玄芭が覚冉の腕に食らい付いていたというのだ。その時にはもう、覚冉は生きていなかったらしい。ほかの家族はその時点では見えなかったという。ただ、村人が集まって覚冉の家を取り巻いたときには、家族の悲鳴が聞こえたと。中でもとりわけ妻の悲鳴が激しかったという。おそらく襲われたのだろうという事だった。
そこまで陸王に向いていたが、秀士はすぐにコリンの村長に向かって言う。
「村長、とにかく大変なんだ。今すぐ一緒に戻ってくれ! 被害が広まったら大変だ!」
「あ、あぁ。そうだな。皆、わしは一度村に戻る。本当に領主様が襲ってきて人を食ってるなら、もう気が触れているという事になるだろう。領主様への対応はまた、改めて決めるとしよう」
コリンの村長が言うと、ほかの村の村長達もそれぞれに頷いた。
そこへ陸王が声をかけた。
「村に領主がいるのなら、俺達も行こう。人が人を食うなんてな、尋常な事態じゃねぇ」
「秀士さんと仰いましたか。領主の瞳の色は見ましたか?」
紫雲の言葉に、秀士は面食らった顔をする。
「な、なんで、そんな事」
反射的に思い出そうとしているが、声は狼狽えていた。
「瞳は紅くはありませんでしたか?」
紫雲が重ねて問いかけると、秀士は慌てて首を振った。
「いや、そんな色じゃない。領主様の瞳は綺麗な青だ。さっき見たときも、目付きはおかしかったが、青だった。紅なんかじゃない」
「では、屍食鬼」
紫雲が呟くと、陸王が返す。
「屍食鬼は屍食鬼を増やす。なら、玄史の解呪が完全じゃなかったってことか?」
「まさか。私は完全に解呪しましたよ。万が一の場合も考えて、念入りに」
陸王は事態がはっきりせず舌打ちをしたが、
「とにかく、行ってみるしかねぇな」
そう声をかけると、紫雲が頷いた。
陸王は騒ぎの中ですやすやと未だ眠っている雷韋の上掛けを剥がして、少年の細い身体を肩に担ぎ上げた。
「このガキも連れて行く。村まで案内しろ」
陸王は秀士に声をかけたが、秀士は何がなんだかさっぱり分からないという風に困惑していた。思わず村長に顔を向ける。
その様子に村長は、数度頷きを返した。
「この方達が吸血鬼を滅ぼしてくれたんだよ」
「この人達が!?」
驚きに驚きを加えているが、陸王はそんな事はどうでもいいという風に階段を降りていく。そのあとに紫雲も続いた。
「村までの道案内をお願いします」
言うだけ言って、階下へと降りていく。
「秀士、行くぞ」
コリンの村長も身仕度を調えて、秀士に声をかけて下へと降りていった。そこまで来て、秀士ははっとしたように我に返り、慌てて降りていく。
一同を見送っていた村長達も、
「どうして領主様が人を……」
「被害が広がっていなければいいが」
そんな事をぽつりぽつりと口にしていた。
**********
「ぎゃあああああぁぁ!!」
馬上から、光に照らされて雷韋の悲鳴が上がった。
「騒ぐな、落ちるぞ」
陸王の常と変わらぬ声が頭上から降ってくる。明かりのもとは、根源魔法で顕した光の球だった。
「なんで!? え? 馬ぁ??」
馬の背に身体を渡すように乗せられていて、雷韋は混乱の極みにあった。髪の毛も結わえられていない。
馬もかなりの速度を出して走っている。陸王が片手で押さえていなけれえば、雷韋は頭から落ちて今頃どうにかなっていただろう。
陸王は雷韋を押さえていたその手で、少年の背中をぽんぽんと叩いた。
「雷韋、落ち着け。俺の手に掴まって馬に跨がれ」
「いいいいぃぃぃぃ!?」
妙な奇声を発して、雷韋はなんとか陸王の手に掴まって馬を跨いだ。
「ちょっと! なんで馬の上だし、俺パンイチなの!?」
「色々とあってな、急いで出てきた」
「何それ、わけ分かんないよ! つか、マジでなんでパンツ一丁で馬に乗ってなきゃならないのさ!? シャツくらい着せてくれたってよかったじゃんか! なに急いでんのか知んないけど!!」
雷韋はやけくそに叫ぶ。
「心配するな。服も靴も持ってきてある。あとで着ろ」
「今着る! 服寄越せ!!」
「無茶言うな。こんな走ってる馬の上で着られるわけねぇだろう。落ちるぞ」
「いいから!!」
馬はかなりの速度で走っていた。砦の騎馬で、調教されてほかの馬と比べれば揺れは少ない方だが、それでもかなり揺れている。今は陸王が雷韋の背後から腹を抱えているから落ちないが、下手に動かれると落ちてしまう。
「陸王、服!!」
あまりにもしつこい雷韋に陸王は舌打ちし、
「手前ぇのケツの下だ。靴は鞍につけてある。今の状態で着れるもんなら着てみろ」
面白くないとばかりに、ある場所だけ教えてやった。
と、雷韋が自分の尻の下をもそもそと探り出す。
「ん? なんだこれ?」
「手前ぇ、何、気易く人の股間を触ってやがる!」
陸王はわざと耳元で怒鳴った。
「うぇ!? きったねぇ!!」
大げさに叫んで、馬に跨がる陸王の腿に手を擦り付けてくる。
「ぶっ殺されてぇのか、手前ぇ、このクソガキ」
さっきからいいだけ騒いでいる二人のもとに、斜め前方に馬を走らせていた紫雲が、その速度を落として陸王と雷韋のもとまでやってくる。
「雷韋君、目が醒めましたか?」
言う紫雲の後ろに男、秀士が紫雲にしがみ付いて乗っていた。
「あれ? 紫雲、そのおっさん誰だ?」
「俺は秀士だ、坊主」
秀士は揺れの中で、舌を噛まないように必死の様子だった。
宿をあとにしてから、秀士は道先案内人として紫雲と馬に同乗、陸王は雷韋を連れて馬に跨がった。砦の騎馬は樸人村長の家の厩舎に預けてあったので、先に行って村長を起こしておいてくれた宿の主人に礼を言い、コリンの村長は秀士が乗ってきた馬車で先に村を発った。それも二人ずつに分かれて乗った二頭の馬に、途中で追い越されてしまっていたが。
今はコリンに向かっている最中だ。雷韋が目覚めたのも、馬の揺れのためではない。陸王が雷韋を起こす為に、尻を引っ叩いたから目が醒めただけだ。
雷韋はこれまでの経緯を全く知らない。だから馬上で陸王から事態を聞かされる。それを「ふんふん」と聞きながら、陸王に抱えられている状態とは言え、激しい揺れの中でいつの間にかきちんと服を身に着け終わっていた。
「お前の平衡感覚はどうなってる。どうやったら馬から下りずに着替えが出来るんだ。猿か」
呆れが陸王の口をつく。
「猿じゃないってばさ。でも、目の前が見える方が、馬って案外怖くないのな。それとも陸王が後ろにいてくれるから、落ちないって思ってんのかな、俺」
自分を抱えてくれている陸王に目を向けて言う。だが、陸王は呆れた顔をしていた。
「それよかさ、ほんとに領主が人を食ったりしてるのかよ?」
「あぁ、秀士が見たと言って慌ててレイザスまで来たからな。だが、何が起こってるんだかまるで分からん」
事態が把握できないことで、陸王は苦々しく言った。
紫雲は念入りに、吸血された玄史を祓ったと言っていた。それが本当なら、玄史が屍食鬼になるはずがない。玄史が屍食鬼にならずに、ではどうして玄芭は屍食鬼のようになってしまったのか? 玄芭は吸血されたのではなく、魔気に当たっただけだ。何故、玄芭は人を襲ったのか。それも村まで出てきて。人を喰らうのなら、邸の者でもよかったはずだ。意図があってやって来たとしか思えない。それは何か? 分からない。
分からぬままに、馬を走らせるしかなかった。
とにかく、今は一刻を争うのだ。




