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第三九話 出来事

 意識が浮上したのは、小さな呻き声がした瞬間だった。

 はっと目を醒ますと、まだ夜は明けきっていない時間帯で、部屋の中をランプの灯りが薄暗く照らしているままだった。頭の中で、ランプはつけっぱなしにしていたな、と言葉がのろのろと回る。

 陸王(りくおう)は、まだまだ怠い身体を寝台から引き剥がして起き上がった。額に手を当てて、ふと考え込む。何故、目が醒めたものか、と。

 目を瞑って考えていると、小さな呻き声に一気に頭の中身が持って行かれた。

 そうだ、雷韋(らい)だ、と。

 陸王はすぐに隣の寝台に近寄った。ランプの灯りに照らされて、雷韋は眉根を寄せて苦しげにしている。

「雷韋」

 寝台の端に腰掛けて、雷韋の肩を揺さぶってみる。何度か鼻から抜けるように呻きが上がったが、この程度ではまだ目覚めそうにない。

 今度は肩を揺さぶるのに付け加え、頬を数度張ってみることにした。

 雷韋はむずがるように陸王を引き剥がそうとしたが、その手を掴むと、ふと目を開けた。開いた目には恐怖の色がありありと存在している。まだ暗いせいもあるかも知れないが、瞳孔が恐怖に開ききっていた。何かよくない夢を見ていたのだろう。あるいは現実にあったことを夢で再生させたか。

 雷韋はぱちぱちと数度瞬きしてから、ゆっくりと視線を陸王に向けた。雷韋の琥珀の瞳と陸王の黒い瞳がかち合って、少年から溜息が漏れた。それはまるで、安堵したとでも言うかのような溜息だ。

「どうした、雷韋。何か悪い夢でも見たか?」

 宥めるように静かに声をかけてやると、雷韋はもう一度息を吐き出した。次は目を瞑ってから、更に一つ息を。

「俺……」

「なんだ」

「陸王がいるって事は、助かったってことなんだよな?」

 開いた目には微かに涙が見えた。安堵したからか、紅を差した目尻にそのまま涙が溜まっていく。

「もう大丈夫だ。それより、どこか調子の悪いところはないのか? 濃い魔気をもろに食らっただろう」

「そう……なんか?」

 陸王が微かに呆れを含んで見ていると、雷韋は横になったままパタパタと手足を動かしている。それに合わせて、陸王は雷韋の手を離した。

 様子を見てみるに、身体の方は大丈夫のようだ。あとは精神的なものだが、魔気を食らったことすら覚えていないと言うことは、その部分だけ抜けていると言うことだろう。魔気の影響と言うより、これはおそらく恐怖によるものだと思われる。

 だから陸王は静かに問いかけた

「ここで何があったのか、話せるか? いや、思い出せるか?」

 それを聞いて、雷韋は急に表情を曇らせる。

「思い、出せるよ。凄く、怖かった。あいつがいたんだ」

 言う声はぶつぶつと切れて、微かに震えていた。

「あいつってのは吸血鬼か?」

「だと思う。いきなり冷たい気配がして、その感覚で、俺、駄目かもしんないって、簡単に思った」

「だが、違ったんだな?」

 陸王の言葉に、こくんと雷韋は頷いてみせた。

「出来るだけ詳しく話してくれ。恐怖や魔気の影響で記憶が飛んでいる箇所もあるかも知れねぇが、思い出せる限りでいい」

「ん」

 返事を返して身体を起こすと、雷韋は寝台の上に膝を抱えるようにしてちょこんと丸まって座った。


          ○


 雷韋は陸王に置いて行かれて、宿でぶすくれていた。陸王に部屋に閉じ込められてからほとんどすぐに陽は暮れ、室内は真っ暗になる。ランプは使うなと言われていて、明かりを採ることも出来ない。しかし、雷韋の目は猫目だ。僅かな光があれば、暗闇の中でもものが見通せる。

 例え星明かりでも、光さえあれば昼間と同じに見ることが出来るのだ。その代わり闇の中では、本物の猫の目のように大きく広がった瞳孔が、角度によってきらきらと光を反射するが。

 雷韋が閉じ込められるのに前後して、村の者達が納屋の方へ移動をしていた。

 それを窓から見送りながら、雷韋は唇を尖らせる。街から戻ってきた昼間は紫雲に再三街へ戻るように諫められ、夕刻辺りからは陸王に頭ごなしに否定されて何も出来ない自分が悔しかった。折角ここまでやって来たというのに、手伝いをさせて貰えない口惜しさは陸王や紫雲には分かるまいと。

 確かに上位魔族の亜種であれば、雷韋には分の悪い相手ではある。それ以上に恐怖も感じる。だからと言って、こんな風に閉じ込められなくともいいはずだ。例えどんな些細なことでも手伝えることがあればと思ってやって来たのだ。それなのに、この扱い。第一、陸王と紫雲では決め手がないように思ったのも大きい。何かが足りないと思ったのだ。なのにそれを上手く説明できなかったせいで、こんな風に閉じ込められてしまった。その事実が一番腹に据えかねていた。

 することもなく、外の騒ぎもやがて収まった。

 雷韋は陸王によって荷物袋から取り出された干し肉を、行儀悪くも寝台に横になったまま囓っていた。どうせ誰も見ていないとなれば、食べ方などどうでもよかった。行儀がよかろうが、悪かろうが。陸王辺りがいれば煩く言われもしようが、今は咎める者はいないのだ。

 そんな風に時間を過ごしてどのくらいが経っただろう。干し肉は二枚ほど囓ったが、不機嫌すぎてあまり味もしなかった。長いことかけて干し肉を囓っていたが、その()は随分と永い時間だったように思う。

 途中、陸王が宿の前までやってきたのだが、雷韋の希望は叶えられることはなかった。

 あっけなく希望を断たれて、仕方なく再び寝台に横になると、気が付けばうとうととしていた。特に眠気を感じていたわけではなかったが、知らないうちに夢現の状態になっていたのだ。

 大きく息を吐き出して、はっとする。しんと静まった室内に、やけに呼吸の音が大きく響いたように思って自分で驚いたのだ。

 雷韋は半ば寝惚けたまま起き上がって窓の外を見てみたが、今夜は新月で、月も現れていない。その代わり、雷韋には星の明かりが眩しく映った。

 夢現がどのくらいの間続いていたのか知らないが、雷韋は陸王の様子を風球を通して窺ってみた。

 陸王が何やら苦しげにしている様子に驚き、もっとはっきり窺ってみると、納屋の中で神聖語(リタ)が呟かれているのに気付いた。

 雷韋がその事実に驚いて立ち上がると、いきなり冷たい気配に襲われた。それは昨夜、精霊達が運んできた気配と同じものだ。反射的に、吸血鬼が来た、もう駄目だ、と簡単に諦めが雷韋を襲う。

 本能的に、奴に喰らわれると感じたのだ。

 昨夜のように意識が寸断されるほどの凄まじい気配。いつ意識が途切れてもおかしくないくらい攻撃的なのに、どうしたことか、意識は断たれることなく気配だけが大きくなっていった。

 自然と早く浅い呼吸になっていく。恐怖と緊張に、全身から冷たい汗が噴き出た。

 陸王に助けを求めたかったが、何故か求められない。自分の意識なのに、誰かほかの意識でも覗いているような、そんな不可思議な感覚に自分でも驚く。陸王の『り』の字さえ意識に浮かばない。それどころか、見たくないと思っている窓へ視線が自然と動いていた。

 真っ赤だった。

 深紅の瞳。

 血を滴らせたような瞳が、意識の中に飛び込んできた。

 雷韋は一瞬にして支配されていた。二階の屋根に立って、窓から真っ直ぐ覗き込んでくる吸血鬼に。

 今、雷韋に出来る唯一のことは、瞬きをすることだけだ。だから何度も瞬きをした。これでも抵抗しているつもりだ。瞬きを忙しなくしていれば、吸血鬼の支配が解かれる気がして。

 紅い瞳から、視線を引き剥がせない。否応なしに、そこに焦点が当てられる。

 頭のどこか遠くで警鐘を鳴らす己の意識が、ぽつねんと浮いていた。支配を受けて尚、警告を発する自分がいる。それに意識を向けようとしたが、悪いことに、浮かび上がる警鐘が次から次へと掻き消されていった。

 おそらくは意識を支配している吸血鬼によって。危険だと自分に言い聞かせる雷韋の別の意識を、片っ端から消滅させているのだろう。

 自分が発する警告がなくとも、見つめる紅い瞳が危険だという事は嫌というほど分かっていた。どうにかして今の状態を陸王に知らせたい。

 なのに、その意識すら根こそぎ奪われた。

 恐怖と緊張に身体が対応しようとするも、指一本動かせなかった。雷韋だけの武器である、火の精霊が凝った『火影』を精霊界から召喚するどころの騒ぎではない。

 雷韋の何もかもが封じられ、それなのに、身体は窓へ近づいていった。

 吸血鬼は二階の屋根に立ったまま、じっと待っている。

 雷韋が意思とは正反対に窓を開けると、吸血鬼が囁きかけてきた。

「これはとてもいい匂いがする。その肌の下を流れる血は、さぞかし甘露の如しであろうな」

 粘質な声が耳に入って、ぞっとする。なのに、次に雷韋が発した言葉は自分でも信じられないものだった。

「あんたと一緒に行く。連れて行ってくれ」

 恍惚とした声音だった。まるで女が男に媚びるような響きを伴っている。そのくせ、瞳だけは警戒色に変貌していた。深い琥珀から、毒々しい黄色に染まっているのだ。

 自分自身の警鐘が沸き起こってから、ずっと頭の中で何かが聞こえていた。次々と掻き消されていく自分の意識ではない。でも意識を向けようとすると、自分の意識と同じように掻き消される何かだ。

 ずっとずっと、繰り返されている。

 知っているはずなのに、知らない何か。

 絶対的な恐怖と、恐ろしいまでの緊張と、正常であろうとする意識が、滅茶苦茶に引っ掻き回されて引き千切られそうだった。

 いい加減、精神(こころ)が壊れそうだと感じた瞬間、吸血鬼はふっと姿を変えた。

 紅い瞳の大きな蝙蝠に変化(へんげ)したのだ。薄い皮膜に覆われた翼と、鉤爪を持つ足。蝙蝠の口の中は、ぎざぎざの歯がびっしりと並んでいる。

 それを目にした瞬間、どうでもいいと思った。何がどうなろうが、どうでもいいと。死のうが生きようが、どうでもよくなったのだ。

 どうしてか、生は既に捨てていた。

 だからだろうか、窓から両腕を差し出して、身を乗り出す。早く捕まえて連れて行ってくれとでも言うかのように。

 誰かの声が聞こえてきた気がしたが、そんなもの、なんの問題にもならない。

 一瞬、視界が真っ暗に閉ざされた。同時に、肩に鋭い感覚。それは食い込むようでいて、食い込むことはなかった。

 捕まえられたか、と諦めにも似た意識が心の底から湧き上がる。

 次に気が付いたときには、肩を捕まえられて宙を舞っていた。足の下に何もなくて、酷く心許ない。

 そのあとは何も記憶に残るものはなかった。月もない、ただ真っ暗な世界に飲み込まれていっただけだ。

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