第四〇話 互いの危機
思い返して一通り語ったところで、
「最後の方、ほんとに何がなんだか分かんなくて。でも俺は今、陸王と一緒にいる」
雷韋は安堵の息をついた。
外は既に、白々と明け始めている。短いようで長い話だった。
「今思うと、ずっと聞こえてきてた何かって、あんたと紫雲の声だったんだ。紫雲にも俺の思念が届いてたみたいで。今もこの話、黙って聞いてくれてる」
「お前の様子に気付いていながら、あいつからは何も言葉は飛んでこなかったぞ」
「あんたが俺のことで手一杯になってたから、気付かなかったんだよ、多分ね」
雷韋の複雑そうな物言いに、そうか、とだけ陸王は相槌を打つ。
心苦しくて、それ以上何も言えなかったのだ。
村人が狙われると考えたから雷韋を一人ここに残していったが、それとは逆の結果になってしまった。ぎりぎりで雷韋を取り戻すことが出来たが、間に合わなかったらと思うとぞっとする。こんな事なら、初めから皆といさせるべきだった。そうすれば、すぐ傍に雷韋を置いておけたのだ。危険な目にも遭わせずにすんだ。
だが、問題はこれからだ。雷韋を一人、また街に戻すのは夜中と同じ轍を踏むことになりそうだ。吸血鬼は既に雷韋の匂いを覚えたのだから、匂いに敏感な魔族なら簡単に見つけ出してしまうだろう。
特に血を糧とする吸血鬼なら尚のこと。
それを考えると、やはり自分の目の届く場所にいさせるしかないかと判断すべきだった。
陸王には苦だが、雷韋は神聖語で護る方がいいだろうとも思った。魔族にとって、神聖魔法は苦だからこそ、その中で護ってやるのが一番ではないかと。
魔族を超越している魔人の陸王ですら、神聖魔法は苦痛に感じる。上位亜種とは言え、魔族である吸血鬼になら尚更、手が出しにくいはずだ。
陸王が頭の中で考えを巡らせていると、雷韋から声がかかった。
「なぁ、陸王。あんたさっき、身体に不調がないか聞いてきたけど、俺、どうして助かったんだ? 魔気食らってたって言ってたけどさ、司祭とかに解呪して貰ったのか? じゃあ、みんなはどこだ?」
「それか……」
陸王は少し苦みのある表情で、雷韋の思念を受けた後からのことを掻い摘まんで説明してやった。
心配をかけることになるから言いたくはなかったが、魔気に冒された雷韋を救うため、陸王自らが神聖魔法をかけたことも話した。これを飛ばせば、どうやって雷韋が魔気から救われたのか説明がつかないからだ。
案の定、雷韋は両目を驚きに見開いて陸王を見た。
「そんな! そんなのって、自殺行為じゃんか!」
「じゃねぇと、お前を助けられなかった。それに自殺行為でもねぇ。祓っただけだからな」
「でも……!」
なおも食い下がる雷韋に、陸王は手で言葉を遮った。
「ほんの少しの傷口から、動脈でも切ったような夥しい出血があった。濃い魔気をいつまでも体内に留めることも出来なかった。あのときのお前の身体は、正常な血液すら作れていなかったんだからな。これだけで、俺が神聖魔法を使わなけりゃならなかった理由には充分だろう」
「でも、やっぱり、そんな事……」
俯いて、酷く落ち込んだ顔をする。辛そうな顔だった。
が、ぱっと顔を上げると、雷韋は陸王の眼前に迫ってきた。
あまりの勢いに、陸王は思わず仰け反った。
「なんだ」
「もう、どこもなんともないのか? 辛かったんだろう!?」
「きつくなかったと言ったら嘘になるが、今はもう大丈夫だ。どこもなんともねぇ」
「ほんとか? 紫雲だって心配してる。聞こえないか、紫雲の声。あんたに話しかけてる」
言われてみれば、さっきから雑音のように紫雲の声が聞こえてきていた。
『陸王さん、陸王さん。聞こえていますか? 解呪と言っても、貴方自身が使えば何が起こっても不思議ではなかったんですよ。万が一と言うこともあったかも知れません』
「煩ぇ。過ぎたことを言ってもしょうがねぇだろうが。第一、雷韋が危険だったんだ。それにこいつは俺の対だ。勝手に死なれちゃ堪ったもんじゃねぇ」
『それは貴方にも言えたことです。雷韋君だって、貴方に勝手に死なれれば堪ったもんじゃないでしょう』
そう言い終わったあと、溜息をつく気配が伝わってきた。会話の流れから、救いようのない馬鹿だと言われたような気がして、陸王は紫雲との思念を一方的に遮断した。
「あ。紫雲が怒ってる……って言うか、呆れてる? もう、こんな時に喧嘩すんなよ」
「別に喧嘩した覚えはねぇがな」
面白くもなげに呟く。それから、腿をぱんっと叩いて立ち上がった。
「それよりも、腕を見せてみろ」
「え? 腕?」
雷韋は思わず自分の両腕を眺めて、血で汚れている方の腕を差し出した。
「なんか、さっきから臭くない? どこからだろ。なんかが腐ったような臭いがする」
鼻をふんふんさせて、辺りの臭いを嗅ぐ。
「お前の血だ」
「へ?」
ぽかんとした顔をする。
陸王は溜息をついて、どこか嫌そうに言う。
「乾いてもまだ臭うな。今は乾いちまってるからこの程度だが、血が噴き出したときはもっと酷い臭いだった。はっきり腐敗臭がするくらいには、お前の血は変質しちまってたんだよ。村の連中にも気付かれたくらいだ」
「あ……それで俺に神聖魔法」
ぽつりと口にした。
「そう言うこった。どれほど自分が危険な状態だったか分かるな? すぐに祓ったとは言え、後遺症らしきものがないのが不思議なくらいだ」
陸王の言葉に雷韋はこくりと頷いたが、しょげた顔をしている。
それに対して陸王は何も言わず、雷韋の腕についた傷口を調べ始めた。
小柄で切った傷口自体は小さいのは分かっていたが、瘡蓋の状態を知りたかったのだ。傷そのものがどれほど治っているのかを。
陸王は瘡蓋を強く親指で押しながら、雷韋に問いかけた。
「痛みはあるか?」
「ないよ。ただ圧迫されてるって感じしかしない」
「なら、傷は治っているな」
「うん、多分」
受け答えは普通にしているが、雷韋に元気は戻らなかった。表情も様子も、さっきしょげていたままだ。
「いつまで元気のない面してやがる。何があったにせよ、今こうして俺もお前も無事なんだ。ぐずぐず考えるな」
「分かってるけど、でも今回ばっかりは考えちゃうよ。一歩間違えてたら、あんたは……」
「そうなっていたとしても、お前も道連れだ。なら、今は互いの無事を喜ぶべきだろう」
「ん~。そだな……あんがとな、陸王」
そこで急に雷韋はくすりと笑った。
「どうした」
「紫雲があっちで呆れてっからさ」
「放っておけ、あんなくそ坊主。それより、汚れた腕を洗いに行くぞ」
陸王は言って、吉宗を腰に差した。その上から上着を着る。
「あれ? なんで吉宗」
雷韋があまりにも不思議そうに見るので、陸王は上着の腰帯で雷韋の腕を縛ったことを話した。そのあと解いたが、結局、腰帯は外に置きっぱなしになっていることも。あのあと、誰かが片付けただろうか? 分からない。
「そっか。俺、やっぱりあんたに、いっぱい迷惑かけたんだな」
「俺の判断に誤りがなければ、昨夜のようなことにはならなかった。こいつは俺の落ち度だ。お前が気にする事ぁねぇ」
言いながら陸王は靴を履いて、雷韋を急かすように見た。
「あ、うん」
雷韋も慌てて寝台から降りると、さっと身仕度を調えたが外套は羽織らなかった。これから腕を洗いに行くのだ。外套は必要ない。
陸王に続いて雷韋も外へ出たが、建物がある程度密集しているだけで、どこに井戸があるのか分からなかった。どれかの建物の陰になっているのだろう。
陸王のあとについて歩いていた雷韋は、地面の変化に気付いた。そこは昨夜、雷韋が大量に血を流した場所だったのだ。今はもう血は地面に染み込んでいるが、それでも血の噴き出した跡というのは酷い惨状だった。
手桶にでも入れた血を、何杯も乱暴にぶちまけたような跡だったからだ。陸王が雷韋に説明した『動脈を切ったような血の吹き出し方』の意味がようやく少年にも理解出来た。そして雷韋は、陸王は自分からだけではなく、今でも腐敗したような血臭を嗅いでいると知る。魔族は血の匂いに敏感だ。血の量からして、昨夜はもっと酷い有様と臭いだったに違いない。村人でさえ臭いに気付いたと言っていたくらいだ。
けれども、雷韋はそれについては敢えて触れなかった。
きっと陸王は、腐敗臭の中からでも血臭を嗅ぎ分けているような気がしたからだ。それがなんとなく嫌だった。当然、好きで匂いを嗅ぎ分けているとは思わない。本能的なものだろうと思う。だからこそ、尚、嫌だった。
陸王自身も嫌っている魔族として見たくなかったから。




