第三八話 謎
階段に腰を下ろしていると、助祭を伴って男達がやってくるのに気付いた。それを目にして陸王は、なんだ? と思った。
「なぁ、陸王さん」
男のうちの一人が気遣わしげに声をかけてきた。
陸王が無言でいると、男は続ける。
「こんなところにいないで、納屋に行こう。あそこなら司祭様達の神聖語の朗読があって安全だし、こんなところにいたらまた何が起こるのかも分からない」
「お前らだけで戻れ。どうせ吸血鬼は今夜はもう来ん。手傷を負わせたからな。だから連れ去ろうとした雷韋を宙から落としたんだ。それより、俺も疲れた。今夜は宿で休む。雷韋が目を醒ませば、聞きたいこともあるしな。宿の主人を呼んできてくれんか。扉に鍵がかかっているだろう」
「いや、しかし」
「今夜は大丈夫だと言ったろう。宿の主人を。何度も言わせるな」
憮然と言って、腰を浮かそうともしない陸王に助祭が声をかけてきた。この男は陸王よりもいくつか年上だ。納屋の中にいたもう一人は陸王と同じくらいか、少し下かも知れない。
「陸王さん、でしたね。お友達が無事でよかったです」
社交辞令らしい社交辞令に、陸王は大きく溜息をついた。こいつらにとって、雷韋が死のうが生きようが関係ない。所詮、余所者。村の者ではないのだから。
陸王はそう感じ取って、あまりにもつまらない社交辞令に何も答えなかった。何も答えず、無言を貫き通す。視線さえ逸らした。
助祭は少し困り顔になったようだが、いきなり鋭いことを口にした。
「少しお聞きしたいことがあるのですが、よいでしょうか。貴方から神聖魔法の名残のような感覚が感じられまして」
どきりとした。未だに苛まれている神聖魔法の気配を、僧侶に感じ取られてしまったのだ。こう言う場合、彼等は決して間違うようなことはない。使う者が限られてくる魔術の気配だからだ。
いきなりの質問だったが、さっきからずっと平静を装っていたお陰か、動揺したことは悟られていないはずだ。
「陰陽術の祓いと、神聖魔法の祓いの気配が似ているだけじゃねぇのか? よく知らんが」
ぶっきら棒に言い遣った。
「そうなのでしょうか」
「さてな。俺は陰陽術を囓ったことがあるだけだ。詳しいところは何も知らん」
「ですが、基礎くらいはご存じでしょう」
「もう忘れた。俺は術が使えれば、それでいいだけだからな。根源魔法も使うが、基礎なんてものはもう覚えてねぇぞ」
嘘だ。基礎を覚えていなければ、魔術は使えない。陰陽術も然りだ。しかし、相手は大陸の僧侶。陰陽術のことは何も知らないに違いない。嘘は貫き通せると踏んだ。
「そうなのですか? 基礎をしっかり覚えていなければ、魔術と言うものは使えないと聞いたことがあるのですが」
「しつこい」
むっつり言うと、助祭は引き下がった。
「すみません。お疲れのところをお邪魔しました」
「本当にな」
年嵩の助祭は小さく頭を下げると、男達のもとへ戻っていった。「行きましょう、皆さん」と声が聞こえ、男達の気配が少しずつ遠ざかっていく。そのうちの何人かはちらと陸王を見遣っていたが、助祭を先頭にして歩いて行った。
男達の気配も随分と遠くなって、ほとんど何も感じなくなってから陸王は、疲れ果てたようにがくりと頭を垂れた。身体中から一気に力が抜けたという感じだ。はっきりとした眠気も兆してくる。
まだ身体の中で神聖語が反響しているが、それも大分ましになっていた。雷韋と一緒にいて、魂の安堵を感じているせいかも知れない。対とはこれほどまでに力強いのかと、今更ながらに思った。
気が付けば、雷韋の顔から険が取れていた。恐怖のうちに寸断された意識だったが、意識を取り戻さぬままに眠りに入ったのかも知れない。
それとも、これも魂の共鳴のせいか?
そんな事を思うも、何も分からない。雷韋の心身に異常があるのかないのかも、吸血鬼がどうやって現れたのかも。けれど今はただ、雷韋を手に戻せたことを素直に喜ぶべきだと思った。
息を大きくついたあと、兆した眠気に少しだけうとうとしたように思う。が、はっと目を醒ました。
人の気配があったからだ。二人か三人の人の気配。松明の明かりがちらちらして、こちらに近づいてくる。
陸王は雷韋を抱えて立ち上がった。さっきまであった神聖語の反響は、今はほとんどなくなっている。
ちらちらする明かりの方を見ていると、さっきここへやって来た男のうちの一人と、宿の主人が松明の明かりに照らされて現れた。
それを目にして、やっと来たかと思う。
宿の主人は抱えられた雷韋を見て、慌てたようにこちらにやって来た。
「あぁ、お客さん、坊主が襲われたと聞いたけど、大丈夫だったのかい?」
「見ての通りだ。今は眠っている」
主人は雷韋の顔を覗き込んで、
「助かってよかったよ、本当に。あんたが坊主を閉じ込めると言うから、ずっと心配していたんだ」
眉根を下げてそう言った。
「それは悪かったな。それよりも、玄関の鍵を開けてくれ。俺も疲れてるんだ」
「あぁ、そうだったね。今すぐに開けるよ」
主人は扉に飛びつくようにして鍵を開けて、扉を開いてくれた。
「さぁ、早く、早く」
急かすように大きく手招きをしてみせる。
陸王は特に何も言わずに宿に入っていくと、二階へと上がっていく。二階の扉には鍵が刺さったままになっていた。当然だ。陸王が差し込んで雷韋を閉じ込めたのだから。
雷韋を抱える片手で錠を解錠すると、陸王は器用に扉を開けた。部屋へ入るまでの間、陸王は手を使ったが、雷韋をどこにもぶつけることなく室内に入っていく。
室内に入ると、窓が一箇所だけ開いていた。吸血鬼はそこから雷韋を連れ去ったのだろう。
ここで何が起こったのか、今は知る由もない。全ては雷韋が目覚めたあとだ。その時になってから、陸王は全てを聞こうと思っていた。
宿の主人が部屋に入ってくると、密度の濃い闇が蟠っていた室内が明るくなる。
ランプに火を入れて持ってきてくれたのだろう。この部屋にもランプはいくつかあるが、手早く松明の明かりで火を入れて持ってきてくれたに違いない。一つきりのランプだと、広い部屋のあちこちに闇溜まりが出来た。だがまぁ、それもいいだろう。これから休むのに、必要以上に明るくする必要はない。
そう思いつつ各寝台を見ると、使った跡が残っているものがある。雷韋が使っていたものだろう。開いている窓のすぐ傍だ。
取り敢えず陸王は、雷韋をその寝台に横たわらせて靴を脱がせた。窓を閉めたのは、少年に上掛けを掛けたあとだ。腕についている血は、もう乾いている。傷口も塞がっているようだ。
芯に甘さを残した血の臭いが気にならないと言えば嘘になるが、今はそれさえも雷韋の生きている証と思えた。今夜は以前のように、血に酔うようなことはないだろう。
陸王も隣の寝台に腰を下ろす。意識せぬままに、深い溜息が出た。
その様子に、主人が声をかけてくる。
「何か必要なものがあるかい?」
「そうだな、水を一杯くれないか」
「分かった。すぐに持ってくるよ」
場に残されたのは、陸王と眠る雷韋、それとここまで宿の主人を連れてきてくれた男だけだ。
「なぁ、ここでその坊やが襲われたってことは、招き入れたってことか?」
残っていた男は不意に問いかけてきた。
「だろうな」
「だとしたら、この宿も安全じゃないってわけか」
陸王はそれを聞いて口を閉ざした。
雷韋はおそらく眠っていなかったはずだ。陸王の風球と雷韋の風球が繋がっていたままだった。その感覚はあった。だとしたら、どうやって招き入れるようなことになったのか。しかも雷韋は、陸王の名を呼ぶことすら出来ずに囚われたのだ。
何故?
それを思いはするが、雷韋が目を醒ますまでは聞くことは出来ない。唯一の証人は今、眠っている。今から引っ叩いて起こそうなどとは思わなかった。陸王自身も疲れているし、流石に体力を消耗しすぎている。話は夜が明けてからだ。
「とにかく今は、皆休んだ方がいいってことだ。話は朝になったら俺が聞いておく。何か分かり次第、村長に報告に行く。そう伝えてくれ」
「まぁ、そうだな。この子が目を醒まさないと聞ける話も聞けないからな。村長にはあんたの言葉を伝えておくよ」
「そうしてくれ。俺も寝不足が祟って、疲れてる」
陸王が言ったとき、宿の主人が戻ってきた。
杯に入れられた水は温かったが、喉に流し込むと、やけに甘く感じられた。それだけ身体が渇き、疲れていたのだろう。
甘い水を陸王は一気に飲み干すと、助かったと礼を言った。話はそれまでで、二人は陸王と雷韋を残して納屋へと戻っていった。
玄関の鍵は内側から小さめの閂を掛けて欲しいと言われたので、陸王は閂を掛けるために、二人を玄関先まで送ってやった。
それから疲れ切った状態で部屋に戻り、寝台に仰向けになった。が、寝るには腰の吉宗が邪魔になる。
上着の腰帯は雷韋の止血に使ってそのまま外に放置してきてしまったから、刀は服とズボンを留めるために巻いている内帯に差してきたのだ。
陸王は怠そうに身体を起こすと、上着を脱ぎ、腰から吉宗を外してから改めて寝台に横になった。靴は横になってから手を使って脱いで、寝台脇に放る。乱暴な手つきで上掛けを掛けると、陸王は隣の寝台で眠っている雷韋に顔を向けた。
雷韋の呼吸は大きくゆっくりとしていた。完全に眠りに落ちている態だ。
健やかな寝息に安堵する。
陸王は雷韋から顔を逸らして、今度は睨め付けるように天井を仰いだ。
果たしてこの部屋で何が起きたか。今思えば、風球を通して冷たい感覚が伝わってきたのだ。あれは吸血鬼の現れたときの感覚だ。昨日はその感覚を精霊が届けただけで雷韋は昏倒している。だが今夜は何があった? 雷韋は昏倒していなかった。恐怖と緊張に骨まで凍えたのだ。一体、何があったのか。どうして窓を開けたか。
何が起きたのか全く分からない。謎だ。陸王は目を瞑ると、小さく静かに息を吐き出した。
何があったにせよ、雷韋に聞かなければ分からないのだから、ここで焦ってもしょうがないことだとは分かっている。分かっているが、どうしても気になった。今は気にするだけ無駄なのに。
あと心に引っかかっているのは、魔気を受けた雷韋になんらかの後遺症が残っていないかだ。これはとても心配だった。
壊されてしまった者の姿も見ているから、余計に。
何度か頭の中でぐるぐると思いを巡らせてみたが、どうにもならなかった。
そうこうしているうちに、気持ちのよい睡魔が襲ってきた。頭の中にあることを悉くとろかしていく。目元に手を当ててもう一度考えてみようと思うが、上手くいかなかった。考えるよりも先に、睡魔が眠りの中へ引き摺り込もうとしてくるのだ。
気持ちのよい夢の中へ。
少しばかり陸王は抗ってみたが、いつの間にか眠りの淵にするりと滑り落ちて行ってしまった。




