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第一九話 たった一言の慰め

 雷韋(らい)は風球の力でこちらの様子を窺うようなことを言っているが、普段の雷韋を見るに、寝台で横になったらすぐに眠ってしまうのを陸王(りくおう)はよく知っている。それなのに、眠る時間は自分で決めると豪語する雷韋を鼻で笑って馬鹿にし、言いたいことを言ってやった。

「風の精霊魔法(エレメントア)を使っているってことは、雷韋(お前)にはほかの精霊魔法は使えんのだろう。所詮、連絡要員だ。好きにしろ」

 陸王も紫雲(しうん)も、まだ雷韋が二つの精霊を同時に扱えないことを知っている。だから陸王はそれを言って、その場から離れた。背後から紫雲に呼ばれたが、それは無視して納屋の中に入っていく。陸王は手にしていた風球を懐にしまい、納屋の入り口に置かれている火の入っているランタンの一つを手に持って、納屋の一番奥まで行くとそこに腰を下ろしてようやっと食事を始めた。

 固いパンに塩が利いたスープが吸い込まれ、少し柔らかくなっているそれを口に運ぶ。

 そうしながら納屋の中にいるほかの見張りや、今夜から隔離されることになる女子供を眺めた。見張りの方はまだ食事を摂っている者もいるが、女子供は既に食べ終わっているらしい。大人や年長の少年少女などは硬い表情をしている者が多いが、あまり事情を理解出来ない小さな子供達や納屋に泊まることに興奮を覚えている者は、納屋の中を走り回って遊んでいる。それを見咎められたりするものの、咎められたあとは僅かばかり大人しくなるが、放っておくと再び騒ぎ始める。

 陸王は眺めながら、自分にはこんな時期はなかったなと思う。子供同士で遊ぶなど。物心ついた時には周りに子供などいなく、それどころか、大勢の大人全てに疎まれていた。唯一心を許したあの女も、結局は陸王を見知らぬ場所へ放逐した。酷く傷ついた。傷心を抱えて野垂れ死に寸前のところを山賊に拾われて、ぼろ雑巾のように雑に扱われたが、その代わり、ナイフや剣の扱い方を教えてくれた。それだとて、正しい道のために教えられたのではない。自分達の手駒として、便利に使えればいいという程度でだ。

 納屋の中で遊び回っている五、六歳の子供達の姿を眺めながら、同じ頃の自分は人を傷つけること、人を殺すこと、そのやり方を教わっていたなと、ぼうっと思考を巡らせる。

 堅焼きパンを囓りながら、あの子らには幸せであって欲しいと心の隅で思った。傷つけることも、傷つけられることもなく、平穏であって欲しいと。

 金のために動いているが、それはある意味、建前だ。陸王は雷韋の望みを叶えてやりたかったし、こうして目の前で元気にはしゃぐ子供を見れば、やはり護ってやりたくなるのが人情だ。陸王は人族ではないが、人族と変わりない感情も理性も持っている。

 仕事だからと思う反面、昨夜の子供は残念でならなかった。あの時点で仕事を請けていたわけではなかったが、本当ならここにいたかも知れないのだ。陸王自身でとどめを刺したあの子の未来は、吸血鬼によって一方的に閉ざされた。だから今、目の前ではしゃいでいる子供らには指一本触れさせないと思う。

 陸王が青蛇殿(せいじゃでん)から放逐された時、自分の未来も閉ざされたと思った。世の中のことをろくすっぽ知らなかったあの頃、死しか目の前に立っていないと思ったのだ。それが山賊に拾われ、奴らのもとから逃げ出したあとは、親のない子供らを集めて人を襲って生きた。だがそのあと、幸運なことに日ノ本に渡って暖かい日常をおくれた。陸王のこれまでは辛い日々もあり、暖かい日々もあった。辛かった時のことは思い出したくもない。それに連なるあの女の顔も名前も、思い返したくなかった。

 本当に(さち)だったのは日ノ本に渡れたことと、大陸に戻ってからは、対である雷韋と出会えたことだ。

 今の状況から見て、結果としてはツイていた。陸王が魔族だと知ったあとも、雷韋はそれまでとなんら変わらず接してくれた。恐れる素振りすらなかったのだ。全くの幸運だった。

 このツキを子供達にも、女達にも僅かずつでも手渡そうと思う。

 これ以上、酷い目に遭わないように護る。仕事だからでもあり、私情でもあった。

 決して吸血鬼には渡すまいと強く思うのは、雷韋の声を聞いたせいかも知れない。あの少年は、陸王の心の扉を容赦なく開いていく。次々と。一夜会わずにいて不意に声を聞いたせいか、心の柔らかいところを掻き混ぜられた。乱暴にではなく、柔らかなところを更に柔らかな声で、柔らかに。

 だから、昨夜の子供のことも、酷く残念に思い出すのだ。

 とどめを刺そうと思ったあのときは、反射的な行動だった。自分がやらなければ、きっと誰にも出来ないような気がして。

 今頃になって沁みてくる。躊躇を見せた男達の思いも、助祭の青年の言葉も、村長の言葉も皆。

 生まれ落ちた頃から知っている子供なのだ。

 陸王も日ノ本で、少年の頃から見知っている仲間達の首を初めて叩き落とした時、悲しみのあまり吐き気を催した。辛かった。死んでいるとは言え、動き、襲いかかってくる仲間の首を断ちきるのは地獄を見る思いだった。分かっていながらもやるしかなかった。でなければ、自分が死ぬ。闇に紛れた魔族が操っているのを分かっていながら、魔族を仕留める余裕がなかった。死んだ者が次々と自分に襲いかかってくる──仲間が襲いかかってくる。悲しかったし、恐ろしくもあった。なにより、彼等は無念だったろう。だから斬った。斬り捨てて、光竜のもとへと送ってやったのだ。

 肉体も、魂も。

 あの所業を正しい判断だと思う自分がいる反面、あれでよかったのかと未だ迷う自分もいる。何年経っても何が正しかったのかなど、実のところ、今もよく分かっていない。

 ただ、自分が通った道だから、村の者にも通らせようとした一方的な己もいたのだ。

 頭の中が矛盾だらけで、どうしていいか分からなくなってくる。いたずらに雷韋の声など聞いてしまったせいだ。存在そのものが容赦なく心に踏み込んでくると、途端に、下した判断が正しいのか間違っていたのか判別出来なくなってしまう。

 昨夜、あの場に雷韋がいたなら、こんな思いは抱かなかったろうと思う。雷韋はきっともっと楽に眠らせてやろうとしただろうし、陸王の独りよがりな判断を糾弾してくれたと思う。雷韋に責められつつも、あの判断を正しいと断じて実行していたのなら、今頃こんな思いを抱かずにすんだはずだ。

 雷韋は陸王にとって、色々な意味での抑止力であり、原動力だ。対だからこそ、その役割を担っている。それは雷韋にとっても、陸王は抑止力であり、行動の原動力なのだ。

 緊張の糸が切れてしまったと、ふと思う。雷韋の声を聞いた瞬間、切れたのだろう。

 口元に、苦々しい自嘲が浮かんだ。今、陸王は、自分でも最も嫌いな自分の一面と向き合っていると思った。同時に、弱いとも思う。

 陸王は疲れたように目を瞑り、天井に顔を向けた。頭の中を空っぽにしたかったから、目を瞑って世界を遮断したのだ。

 何も考えないでいると、まだはしゃいでいる幼子達の声が聞こえた。甲高い叫び声があり、笑い声があり、ぶつ切りの単語を投げつけるようにして喋っている子供もいる。無心にそれを聞いて、ぽつりと頭の中に浮かんできた言葉があった。

 ──必ず護る。女も子供も。

 子供の頭を杭で打つのは、もう御免だと思った。

 二度としたくない。誰にもさせたくない。

 出来ることなら、今夜中にけりを付けたかった。相手が、魔人である陸王がいることを知らない今夜のうちに。もし、逃がしてしまった場合であっても、陸王は魔気で吸血鬼を威嚇する気はなかった。魔に連なる者がいると知れば、どんな行動に出るか分からない。おそらく相対した時、目を合わせて魔気を叩き付けてくるだろう。昨日感じた魔気の強さ、濃さなら、普通の人族であれば、目を合わせた瞬間に昏倒する。だが、陸王にはどれだけ魔気を浴びせかけようとも効かない。どんな強さでも濃さでも、魔族と同等のこの身には効かない。そこを逆手にとって、一気に斬り掛かる。首を刎ねることが出来れば上出来だ。

 なんとか上手く好機を掴むしかない。

 陸王は肚を括って、中断していた食事を再開した。

 陸王がスープの染みたパンを囓ったとき、雷韋から一言だけ思念が届いてきた。

『きっと大丈夫だ』

 静かな声音だった。慰めるでも発奮させるでもなく、静かに一言だけ聞こえた。

 陸王の思念が、雷韋にそのまま伝わったのだろう。雷韋にも話したことがある日ノ本での過去の一部。知っているからこそ、雷韋は静かに一言だけ告げたのだろうと思う。

 雷韋の一言に、乱れた心が鎮まっていくのが分かった。

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