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異端なる神聖調査官と聖騎士の奇跡事件録  作者: 嘉乃いとね
第4録:魔女の聖歌事件
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7. 隣に

 足は自然に、装置の中心部――魔導共鳴板へと向かっていた。

 あれを破壊すれば、演出の全てが止まる。

 それだけは、視覚記憶が教えてくれていた。

 だが、その瞬間――セオドールが動いた。

「……それは、許しません」

 静かに、だが確かに、彼がミハエルの行く手を遮った。

 次の瞬間、金属の悲鳴のような音が、空間を裂いた。

 風が生まれた。

 それを裂くように――黒い外套が、空間へ飛び込んでくる。


「下がれ、ミハエル!」


 耳に届いたのは、聞き慣れた――けれど、今、響くとは思わなかった声。

 コンラートだ。

 一瞬、ミハエルの息が詰まった。

 救いなんて信じてないはずの自分の中で、心臓が跳ねた。

 振り返る間もなく、鋭い風と共に黒い外套が視界を裂き、剣が閃く。

 それは、かつて合わなかった光景――けれど今度だけは、確かに俺の目の前に間に合ったように彼の剣が、セオドールの目の前を斬り抜けると同時に、魔導装置の補助柱の一部が、火花を散らして吹き飛んだ。

 轟音と共に、天井のレンズ装置が片側だけ崩れ、光の焦点が大きくずれた。

 共鳴板が悲鳴のような音を上げ、音の振動が乱れる。

 装置が――止まった。

 爆裂音が収まり、煙が引いた後、最初に聞こえてきたのは、誰かのすすり泣く声だった。

 祈っていた修道女たちの数人は、床に膝をつき、茫然と立ち尽くしていた。

 彼女たちは何が起きたのか理解していない。

 けれど、光が消えた瞬間、それが神の光ではなかったことだけは、誰の目にも明らかだった。

 中には、少年の無事を確かめに走る者もいた。

 台座から降ろされた少年は、まだ意識はないが、安定した呼吸をしていた。

 「……お母さん……」と、うわごとのように呟いた声が、ミハエルの胸をかすかに締めつけた。

 数人の修道女は戸惑いながらも、仲間の手を引き、少年を抱えて部屋を後にする。

 この空間に残されたのは――ミハエルとコンラート、そして、崩れた祭壇だけだった。

 ミハエルは思わず、ぐっと息を飲んだ。

 崩れた光とざわめきの中で、コンラートはミハエルを一瞥し、剣を構え直した。

「遅れて悪かった」

「……いや、ちょうどだ」

 その背中に、確かに安心が宿る。

 そして目の前には、再び静かに立ち上がるセオドールの姿。

「なるほど。奇跡は、失敗ですか」

 セオドールは、微笑んでいた。血もなく、怒りもなく――ただ記録者として、冷たく。

「……やっぱり、お前は一人じゃ無理だと思ってな」

 剣の刃が閃く。

 コンラート・ハインリヒ・フォン・アイゼンシュタインが、ミハエルの横に立っていた。

「……遅ぇよ、騎士様。死ぬかと思ったわ」

「だが、まだ死んでないだろ」

「フン。……なら、こっからは一緒に地獄を覗いてもらおうか」

 二人は、並んで立つ。

 そして、対面に――セオドール・クレメンスがいた。

 彼は相変わらず表情を変えず、静かに二人を見つめていた。

「なるほど……否定する者と、守ろうとする者……ようやく揃いましたね」

「構造に当てはめるなよ。人間は予定調和で動かねぇ」

 ミハエルが言い放つと、セオドールは首をわずかに傾けた。

「それはどうでしょう。すべてが定められた通りに動く――その姿こそ、神の模倣です」

 その言葉と同時に、床の魔導円が光り、空間がわずかに歪んだ。

「……お前、これ、ただの演出じゃないな」

 コンラートの声に、セオドールは、ほんのわずかに笑った――その目だけで。

「ええ。仕掛けは、どこにでもあります。貴方たちの足元にも、心の中にも」

「ミハエル。あの装置、止められるか?」

「わかんねぇ。でも、壊せば止まるだろ」

「では、俺が時間を稼ぐ」

「へえ、今回は騎士様が囮かよ」

「たまにはいいだろ。……お前を信じてる」

 ミハエルは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに口元を歪めて笑った。

「……ありがとよ。信じるなんて柄じゃねぇが、今だけは借りるぜ、その言葉」

 剣が抜かれる音。魔導銃の構え。

 二人は同時に動いた。

 コンラートは一直線にセオドールへ。

 その動きは洗練されていて、一切の無駄がなかった。

 セオドールは避けず、ただ指先をひとつ振る。

 それだけで、床の装置から突き上げるような魔力の奔流が弾けた。


 雷撃。


 コンラートは剣に魔力をまとわせ、それを斬る。

 白刃に宿った雷の煌きが、セオドールの術式を斬り裂いた。

 ミハエルはその間に裏側の装置へと滑り込む。

 魔導触媒のコアが露出している。

 複雑な魔法陣が交差し、仕掛けが神の意志を模倣している。

「へえ……こんな風に、祝福って作れるんだな」

 ミハエルはポケットから小型の魔導火薬を取り出し、コアにぴたりと貼り付けた。

「お疲れ、神様。芝居はここまでだ」

 そして、火をつけた。

 爆裂音と共に、祭壇の光が弾け飛んだ。

 装置が崩れ、光の柱が一瞬で霧散する。

 修道女たちが叫び、祈りの声が途切れた。

 そして――セオドールが、初めて表情を変えた。

「……ああ。なるほど。やはり、あなたは……」

「導かれた記録じゃ、俺はただの構造を読む駒だったらしいがな」

 ミハエルは一歩前に出る。

「……悪いが、舞台から降りさせてもらうぜ」

 セオドールは静かに後退し、指を鳴らした。

 それが退場の合図だった。

 足元に魔導の光が走り、彼の身体が霧のように分解されていく。

 だが、その分解の途中、彼の輪郭が一瞬だけ歪み、何重にも重なる“誰か”の影が揺らいだ気がした。

「お会いできて、光栄でした。あのお方も、きっと喜ばれるでしょう」

「おい、逃げんな。まだお前の顔、ちゃんとぶん殴ってねぇ」

 ミハエルが銃を構えたが、もう遅かった。

 セオドールの姿は、完全に消えた。

 だが、空間にはいつまでも皮膚の裏にざわめくような、奇妙な違和感だけが残っていた。

 地下の空気は静まり返り、祭壇の残骸の中、かすかに揺れる祈りの痕跡だけが残っていた。

 奇跡の光は消え、祈りの声もなく、ただ瓦礫と焦げた空気の匂いだけが残っている。

 床の魔導陣は砕け、祝福の象徴だった祭壇も、無残に崩れていた。

 それはまるで――神が最初から、ここにいなかったかのように。

 ミハエルは、片膝をつきながら書類の残骸を拾い集めていた。

 焼け焦げた羊皮紙、ひしゃげた金属片、魔導触媒のコア……導かれた記録と呼ばれた芝居の小道具たち。

「これで、奇跡は終わりか」

 ぽつりと呟いた声は、静かな空間に吸い込まれていった。

「終わったな」

 背後から、コンラートの声。

 彼は剣を納め、静かに立っていた。

 傷だらけの外套には、灰がまだ残っている。

「再演の仕掛けは全部壊した。少年も、無事だ」

「そうか。……なら上出来だ」

 ミハエルは葉巻を取り出し、口にくわえる。火はつけない。

 少しだけ口元が緩んでいた。

「……昔、母が祈ったんだよ。俺のために……ひどい熱が続いて、医者も匙を投げた。母は、それでも祈ってた。何日も、夜が明けても……それでも、神は沈黙した。ただ、それだけのことだ」

 言葉は淡々としていたが、その奥に、乾いた傷のにおいがあった。

 コンラートは黙って、それを聞いていた。

「……そっからずっと、信じるってのが分からなくなった。信じても意味がないって、自分に言い聞かせてた」

 コンラートは静かに息を吐いた。

 ――それじゃあ、お前は今、ここにいるのはなぜだ? そう問いかけたくなったが、今は言葉にする時ではない気がした。

 ミハエルの横顔には、長い孤独を背負った者だけが見せる影があった。

 問いは喉まで出かかったが、コンラートはそっと呑み込む。

「…………それでも、今日お前は動いた――あれが信じるってことだ」

 ミハエルは、ちらりと横目で見た。

「……お前、ずいぶん軽く言うよな、信じるって」

「軽いさ。だが、俺は重くするために信じてる」

「……変なやつ」

 ミハエルは葉巻を噛んで、火のついていない先をじっと見つめた。

「けどまあ……信じたって、いいのかもしれねぇな。信じても壊れねぇ何かが、隣にあるなら」

 ミハエルはわずかに目を細めた。

 そして、静かに立ち上がる。

 上を見上げれば、崩れた天井の隙間から、灰色の空が覗いていた。

 雲は重たく、太陽は見えない。

 けれど、風は吹いていた。

 そして、それはどこか、次の旅路の始まりを告げるようでもあった。

「……ま、次があるなら。皮肉も構えておくさ。俺らしく」

「期待してる」

 二人は、無言で並んで歩き出す。

 奇跡が偽りだったとしても。

 祈りが届かなかったとしても。

 それでも歩き続けるしかない。

 信じることと、疑うことのあいだを。

次回、最終話ですが、短いので番外編と2本合わせてアップします

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