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異端なる神聖調査官と聖騎士の奇跡事件録  作者: 嘉乃いとね
第2録:聖者の黄金(サンクトゥム・アウルム)事件
32/52

12. 神聖調査官の権限

 朝靄が広場を覆っていた。

 冷たい空気の中、静寂を切り裂くように鐘の音が鳴り響く。


 ――ドォォン……!


 それは、処刑の始まりを告げる合図だった。

 石造りの広場には、すでに多くの人々が集まっていた。

 中央には高く組まれた処刑台。

 その上には、手足を縛られた数人の男たちが並ばされている。

 恐怖に引きつった顔、必死に訴えようとする口。

だが、審問官たちの冷酷な手はそれを許さない。

 男たちの膝が震えるたびに、粗末な衣服がかさりと音を立てた。

「異端の裁きの刻が来た」

 異端審問官監督役――バルド・フォン・バルトハイムが、処刑台の傍らに立っていた。

 黒衣をまとい、無表情のまま群衆を見下ろす。

 その声は低く、静かに響く。

 広場に張り詰めた緊張が、一層強まる。

 群衆の中には、熱狂的な信者もいれば、不安げに身を縮める者もいた。

 信者たちは、処刑台の前方に集まり、祈りを捧げながら恍惚とした表情を浮かべている。

 目を閉じ、手を組み、唇はひたすら「神の名」を唱えていた。

 彼らにとって、この処刑は「神の裁き」であり、「奇跡の証明」だった。

 その目には、微塵の疑いもなかった。

 一方で、広場の後方に立つ市民たちの顔には、不安の色があった。

 彼らは、これまで処刑など見たことがなかった。

 目の前に立たされた男たちは、自分たちと何も変わらない普通の人間に見える。

 彼らは本当に「異端」なのか?

 そう疑うことさえ、許されない雰囲気が広場には満ちていた。


「待った!」


 澄んだ声が響く。

 群衆が驚いて振り向くと、広場の入口からミハエル・フォン・ヴァイセンブルクが姿を現した。

 青い瞳は冴え冴えと光り、だらしなく羽織った教会の制服が風に揺れる。

 その後ろには、金の瞳を鋭く光らせるコンラート・ハインリヒ・フォン・アイゼンシュタイン。

 そして、その背後には、武装した数名の神聖騎士が続いていた。

 広場がざわめく。

 異端審問官たちの間に、わずかな動揺が走った。

 しかし、信者たちは彼らの登場を快く思わなかった。

「何をする!?」

「これは神の裁きだ!邪魔をするな!」

「異端どもに弁明の余地はない!」

 信者の一部が、憤ったように怒号を上げる。

 だが、広場の後方にいた市民たちは、かすかに希望の色を宿した目でミハエルを見つめた。

 彼が、何かを変えてくれるのではないかと。

「この粛清――待ってもらおうか」

 ミハエルは広場の中心へと足を踏み入れ、その場を支配するように言葉を放つ。

 バルドは鋭く視線を向けた。

「神聖調査官か……貴様、何のつもりだ?」

 ミハエルは軽く肩をすくめ、ポケットから書類を取り出す。

 それは、教会の正式な調査命令書だった。

「この件は現在、神聖調査官の管轄下にある。証拠が揃っている以上、粛清の正当性には疑問が残る。審問の停止を求める!」

 広場が再びざわめいた。

 信者たちが戸惑うように顔を見合わせる。

 異端審問官たちは、不快げに顔をしかめた。

「証拠……だと?」

 バルドが低く呟く。

 ミハエルはにっこりと笑い、三つの証拠を掲げた。

「この設計図を見ろ。聖者像の内部に仕込まれた涙の仕掛けが記されている。これは奇跡ではなく、細工だ。この手帳には、司祭が異端審問官たちの動きに疑念を抱いていたことが記されている。そして……彼は死んだ。さらに、この職人の証言がある。聖者像の細工を施したのは、彼自身だ。そして、奇跡を疑った司祭は粛清された――」

 ミハエルはゆっくりとバルドを見つめる。

「どういうことかな?監督官殿?」

 バルドは微動だにせず、しかしその瞳に冷たい光を宿す。

 広場が、再び静寂に包まれた。

 しかし、その沈黙を破るように――。

「――神の裁きを妨げるな!」

 異端審問官たちが、一斉に武器を抜いた。

 信者たちの間から歓声が上がる。

「神の名のもとに!」

「異端を討て!」

 狂信的な信者たちが叫び、広場の熱狂が最高潮に達する。

 一方で、広場の後方にいた市民たちは恐怖に駆られ、逃げ出そうとしていた。

 しかし、すでに広場は封鎖されており、彼らに逃げ場はなかった。

「……ま、やっぱりこうなるよな」

 ミハエルが軽く舌打ちをする。

「戦うしかないな」

 コンラートが剣を抜き、低く呟いた。

 バルドが無言のまま、剣の柄に手をかける。

 その場の空気が、一瞬で張り詰める。

 ――そして、広場に戦端が開かれた。

 広場の静寂を破るように、異端審問官たちが一斉に剣を抜いた。

 漆黒の外套が翻り、鋭い銀刃が月光を反射する。

 神聖調査官と神聖騎士の前に、容赦なき粛清者たちが立ちはだかる。

 その中心に立つのはバルド・フォン・バルトハイム。

 彼は微動だにせず、広場を見渡しながら静かに言い放った。

「これは神の意志だ。疑問を持つ者は、それ自体が異端である」

 氷のような灰色の瞳が、ミハエルとコンラートを射抜く。

「ならば、お前たちも粛清の対象となる」

 その瞬間――バルドが手を振り上げた。

「――神の裁きを執行せよ!!!」

 異端審問官たちが一斉に襲いかかり——刹那、火花が散る!


ガキィィィン!!


 鋼鉄の刃が夜の空気を切り裂き、火花が弾ける。

 ミハエルは身を翻し、異端審問官の剣を紙一重で回避。

 そのまま軽やかに宙を蹴り、背後へと滑るように後退する。

「はぁ……話の通じない連中だな」

 軽いため息とともに、ミハエルは懐から魔導銃を取り出した。精緻な彫刻が施された銃身が月光に鈍く光る。

「やれやれ、疲れる仕事だぜ」

「貴様……!」

 異端審問官の一人が怒号とともに斬撃を放つ!

 ミハエルはその場でスッと体を傾け、まるで風のように刃を躱す。同時に銃口を軽く上げ、狙いを定める。

 乾いた銃声が響いた。

 放たれた魔弾が、審問官の剣を鋭く弾き飛ばす。審問官は痺れた手を押さえ、呻き声を上げた。

「悪いな?あんまり派手にやると、こっちの立場が悪くなるんでね」

 ミハエルの口元には薄い笑みが浮かんでいた。

 背後からもう一人の審問官が襲いかかる。ミハエルは軽やかに身をかがめ、その一撃を躱すと同時に魔道銃を審問官の胸元に突きつけた。

「おっと、もうちょい頭使えよ?」

 冷笑を浮かべ、引き金を引く。再び魔弾が放たれ、審問官は衝撃で後方へ吹き飛んだ。

 異端審問官たちは次々と襲いかかるが、ミハエルの動きは重力すら欺くように軽やかだった。彼は広場の端へと軽やかに後退しつつ、次の一手を考える。

(さて……もう少し時間を稼がないとな)

 ミハエルは口角をわずかに上げ、魔道銃を構え直した。


 ——その頃。

 コンラートとバルドだけが、動かず向かい合っていた。

 バルドの灰色の瞳が冷たく光る。

 彼は剣を抜かぬまま、静かに口を開いた。

「……お前は、剣を抜かないのか?」

 コンラートは剣の柄に手をかけ、ゆっくりと黄金の瞳を細める。

「騎士として、問おう」

 低く響く声が、広場の熱気を断ち切った。

「奇跡を信仰することが、なぜ罪なき者を裁くことに繋がる?」

 バルドの瞳が冷徹に細められる。

 ——次の瞬間、銀の閃光が爆ぜた!

「愚問だ」

 シュっと音を立て、バルドが一瞬でコンラートの間合いへ踏み込み、斬撃を放つ。

 コンラートも即座に剣を抜き、火花を散らしながら受け止める。


 キィィィン!!


 鉄と鉄の音が広場を震わせる。

 バルドの剣速は異常だった——まるで一撃で斬り伏せるかのような破壊力。

(——速い!しかも、この圧は……)

 コンラートは即座に剣を払い、バルドの懐へ踏み込む。

 しかし——

「……甘いな」

 バルドはまるで動じず、片手で剣を持ち替え、逆手で切り上げた。

 コンラートは咄嗟に体を捻り、紙一重で回避をする。

(危なかった……こいつ、見えている……)

 バルドの動きには一切の無駄がない。

 ただ剣を振るうだけでなく、相手の行動を完全に読んでいる。

(……普通の剣士じゃない。こいつは……)

 バルドが静かに口を開く。

「信仰とは、疑いを許さぬもの。神の奇跡を疑うお前は、すでに異端者なのだよ」


 ——その瞬間。


 バルドがコンラートの剣を弾いた!


 ギィンッ!!


 金属がぶつかり合う激しい音、刃が高く跳ね、コンラートの体勢が僅かに崩れる。

 バルドはすかさず、剣を逆手に構え、深く踏み込んだ!

 だが——

「……俺は、まだ迷っているだけだ」

 コンラートの剣が雷を帯び、渾身の力で振り抜かれた!

 バチバチバチッ——と音を立て爆発する火花——。

 雷光を纏った刃がバルドを後方へと押し込んだ。

 広場に緊迫した沈黙が流れた。

 バルドはゆっくりと息を吐き、僅かに唇を歪める。

「……なるほど。少しはマシになったようだな」


ギィン!!


 刃が高く跳ね、コンラートの体勢が僅かに崩れる。

 バルドはすかさず、剣を逆手に構え、深く踏み込んだ!

 だが——コンラートの剣が雷を帯び、渾身の力で振り抜かれた!

 バチバチバチッ——っと爆発する火花——。

 雷光を纏った刃がバルドの防御を打ち砕く!


 ——ズシャッ!


 バルドの肩口に、鋭い切っ先が突き刺さる。

 鎧が裂け、赤黒い血が広場の石畳に滴る。

「……っ!」

 バルドの灰色の瞳が僅かに細まる。

 それは驚愕でもなく、恐怖でもない。

 ただ、己の計算の狂いを冷静に受け止めたかのような目だった。

 コンラートの黄金の瞳が鋭く光る。

「お前たちの信仰が、疑問を持つ者を殺すものなら——俺は、その信仰を否定する」

 コンラートはさらに一撃を振り下ろそうとする。

 だが——バルドは素早く後方へ跳び、攻撃の範囲から脱出した。

 彼は剣を軽く振り、肩口から滴る血を振り払う。

「……なるほど」

 彼はわずかに唇を歪める。

 しかし、痛みに顔を歪めることはない。

 むしろわずかに愉快そうにすら見えた。

「少しはマシになったようだな」

 バルドは剣を納め、静かに合図を送る。

 異端審問官たちが次々と撤退を開始する。

「おやおや、撤退かい?」

 ミハエルが肩をすくめながら笑う。

 バルドは不敵な微笑を浮かべ、静かに告げた。

「今は貴様らの勝ちだ。だが——信仰は止められない。それとも……次は信仰の本質を知るか?」

 そう言い残し、バルドは消えた。

 だが、その後ろ姿の肩口には、確かに深紅の染みが広がっていた。

 ミハエルは葉巻を転がしながら、静かに呟く。

「……ま、信仰ってのは、どこまでいっても厄介なもんだな?」

 ——夜風が、二人の間を静かに吹き抜けていった。

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