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異端なる神聖調査官と聖騎士の奇跡事件録  作者: 嘉乃いとね
第2録:聖者の黄金(サンクトゥム・アウルム)事件
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11. 仕組まれた奇跡の証人

 夜の帳が降りる頃、ミハエルとコンラートは会計局を後にした。

 街は静かだが、どこか張り詰めた空気が漂っている。

 ミハエルは歩きながら手にした設計図を眺めていた。

 それは先ほど地下墓地から持ち出した、聖人像の設計図だ。

「どうした?」

 コンラートが静かに尋ねると、ミハエルは設計図の端を指で示した。

「ここを見てみろよ」

 コンラートが目を落とすと、小さな文字が記されていた。

「職人の印だ。ギルドに登録されてるはずだぜ?」

 ミハエルは薄く笑いながら、視線を市場の方角に向ける。

「ギルドだな。あそこに集まる連中が詳しい」

「……時間はあまりないぞ」

「分かってるよ」

 ミハエルは楽しげに唇を歪めると、設計図をポケットにしまった。

 冷たい夜風が、二人の間を吹き抜けていった。



 昼下がりの陽が傾きかけた頃、ミハエルとコンラートは職人ギルドの門をくぐった。

 街の建築や修復を担う職人たちが集う場所——石造りの広間には木製の机が並び、大小さまざまな工具が壁に掛けられている。かすかに木屑と油の匂いが漂い、背中を丸めた職人たちが黙々と作業に没頭していた。

 ミハエルは気怠げに首を傾げ、袖をまくり上げながら適当な机に肘をついた。

「なあ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 声をかけられた壮年の職人が、無精髭の生えた顔を上げた。

「……なんだ?」

「この印に見覚えは?」

 ミハエルは、聖者像の設計図の片隅に刻まれた小さな刻印を指で示した。

 職人は目を細め、擦れた指先で紙をなぞる。

「……ああ、この印か。これはヨアヒムの刻印だな」

「ヨアヒム?」

「彫金師だよ。教会の仕事も時々引き受けてた。聖堂の装飾や聖具の修復をしてたんだが……」

 そこまで言いかけて、男は少し眉をひそめた。

「最近見ないな……」

「見ない?」

 コンラートが口を挟むと、職人は顎に手をやった。

「ここしばらく、ギルドにも顔を出してねえな。あいつ、酒が好きでな……いつも仕事帰りに飲んで騒いでたんだが……」

「行方不明?」

「いや、死んだって話は聞いてねえ。ただ、奇跡が起こった後に町外れで見たって話は聞いたな」

「街の外れにか?」

「ああ。誰かが言ってたんだ。『あのヨアヒムが珍しくしおらしい顔して、街の外れでぼんやりしてた』ってな」

 ミハエルとコンラートは互いに目配せをする。

「それは……いつ頃の話だ?」

「奇跡が起こった翌日か、その次の日くらいだったかな。ヨアヒムは最近、妙に怯えていたな……」

 職人の言葉にミハエルは興味深げに目を細めた。


 ギルドを出て町外れへ向かう道すがら、コンラートがふと口を開いた。

「……ヨアヒムを追い詰めているのは誰だと思う?」

「そりゃ当然、奇跡を演出した黒幕の連中だろうよ。司祭を殺すほどの奴らだぜ?」

 ミハエルは不敵な笑みを浮かべる。

「……今頃、怯えきって隠れてるさ。さっさと見つけ出して安心させてやろうじゃないか」


 町の喧騒を抜け、寂れた小路を進んでいく。

 舗装のない道には枯れ草が生え、ところどころに崩れかけた石壁が残っていた。かつては人が住んでいたのだろうが、今では打ち捨てられた廃屋が並んでいる。

「さて、ヨアヒムってやつはどこかな……」

 ミハエルは歩きながら軽く口笛を吹いた。

 その時だった。


 ——カサリ。


 どこかから微かな物音が聞こえた。

 コンラートがすぐに反応し、剣の柄に手をかける。ミハエルも足を止め、視線を音の方向へ向けた。

 道の端にある古びた家の扉が、ほんの僅かに揺れている。

「……いるな」

 ミハエルが扉に近づくと、中から怯えたような声が漏れた。

「誰だ……!?」

「ヨアヒムか?」

「ち、違う!俺は何も知らねえ!!」

 ——やっぱり、いた。

 ミハエルはゆっくりと扉を押し開けた。

 中は埃っぽく、暗かった。

 狭い部屋の片隅に、ボロボロの布を被って身を縮めた男が座り込んでいた。

 彼の目は血走り、頬はやつれ、指先は微かに震えていた。

 ミハエルは気怠げに歩み寄り、無造作に腰を下ろす。

「よぉ、落ち着けって。別に取って食いやしない」

「……誰だ、お前らは……」

「ただの調査官さ。まぁ、最近の出来事にちょっと興味があってね」

 ミハエルは軽く葉巻を転がしながら、視線を落とした。

 怯えきった男を正面から見据えれば、余計に萎縮する。ならば、じっくり話しやすい空気を作る方がいい。

「なぁヨアヒム。お前、何か知ってるんじゃないか?」

「な、何も……俺はただの職人だ……!」

「だよなぁ。でもな、ただの職人がこんな場所に隠れてるってのは……普通はねえんだよ」

 ミハエルは言葉を切り、少し間を置く。

 ヨアヒムの喉がごくりと鳴る。

「だからさ。何を見たんだ?」

 沈黙。

 ヨアヒムは震える手で顔を覆い、かぶりを振った。

「……俺は……俺は神の御業に手を貸してしまったんだ……」

 彼の声は震えていた。

「どういうことだ?」

 コンラートが低く問うと、ヨアヒムは苦しげに呻く。

「俺は……聖堂の修復を手伝っただけのはずだった……。でも、あの時……俺は確かに、“奇跡”の仕掛けを作らされた」

 彼の言葉に、ミハエルの瞳が鋭く光る。

「仕掛け?」

「像の……聖者像の目に、細い管を通せと言われたんだ……それで、俺は地下墓地の奥の部屋を作業部屋にしろって、鍵を預かってあそこで作業をしていたんだ」

 ヨアヒムは震えながら続けた。

「俺はただの職人だ……何に使われるのかも知らなかった……でも……奇跡が起こって、俺は全てを知ったんだ。街の熱狂を見た瞬間、俺は恐怖したんだ……もしこの奇跡が嘘だったとしたら?もし、神の意志ではなく、人間の手で作られたものだとしたら?信じている人間はどうなる?それが怖くなって、司祭様に戒告をしたんだ。『これは間違ってる』って。そしたら、あの人は……ほんの少しだけ微笑んで、『お前は正しい』と言った。まるで、覚悟を決めたみたいな顔で……俺の持っていた作業部屋の鍵を預かってくれて……」

 ヨアヒムは喉を詰まらせる。

「そして俺に隠れろって、そう言ったんだ。そして司祭様は次の日、死んだ……」

 沈黙が落ちた。

 ミハエルは静かに懐から手帳を取り出し、埃を払った。

 彼はゆっくりとページをめくった。

「……これは、司祭が残した最後の言葉だ」


「奇跡は作られたものだ。」

「しかし、それだけではない。」

「私は、この黄金の奇跡の裏に、さらに恐ろしいものを見た。」

「もし私が突然死んだとしたら、それは“神の罰”ではなく、人の仕業だ。」


 沈黙が落ちる。

 ヨアヒムの顔が、さらに青ざめた。瞳は見開かれ、呼吸が浅く早くなっていく。

「まさか……」

「そのまさか、だ」

ミハエルの低い声が響いた。

「司祭は真実を知って、殺されたんだ」

 ヨアヒムの肩が、小刻みに震える。乾いた唇が何か言おうと震えるが、声にはならない。彼の瞳には、後悔と恐怖が渦巻いていた。

 ミハエルはそんな彼を一瞥すると、小さく息を吐き、静かに手帳を閉じた。

「死んだ者は帰らない。もし償う気があるなら、協力するんだな」

 その言葉にヨアヒムがハッと顔を上げる。迷いを払おうとするように瞬きを繰り返し、縋るように何度も頷いた。

 コンラートがその様子を横目に、僅かに眉をひそめた。

 ミハエルの態度は冷徹に見えるが、その眼差しには彼なりの優しさも含まれているのだと、最近ようやくわかり始めていた。

 ヨアヒムの証言、司祭の手帳、聖者像の設計図――すべてが揃った。

 奇跡は仕組まれ、暴こうとした者は消された。



 宿へ戻る道すがら、昼間の喧騒が嘘のように静まり返った広場は、石畳を這う夜の冷気が漂っていた。

 霧に霞む街灯の灯りは弱々しく、軒を連ねる店は全て扉を固く閉ざし、街全体が何かを恐れるように息を潜めている。

 ミハエルはふと足を止め、路地裏の壁に貼られた紙片に目をやった。それは今日になって突然、街中に貼り出されたものだった。


『異端を疑え。神の奇跡を疑う者こそ、信仰に背く者である』

 

 整然と並ぶ印刷された文字。その内容は明らかに異様だった。本来、信仰とは心の中で自由に抱くものであるはずだ。だがこの文面は、「疑うこと自体が罪である」と断じている。

「……随分と露骨だな」

 隣で腕を組んでいたコンラートが、低い声で呟いた。

 視線を巡らせると、通りの向こうでは人々が集まり、熱に浮かされたように祈りを捧げている。

 額に手を当て、震える声で神を求める老女。

 目を閉じて何かを囁き続ける男。

 互いの手を握り合い、涙を流しながら祈る若い女たち。

 信じることでしか、心を保てないかのような熱狂だった。

 ミハエルは無言でその様子を見つめる。

「信仰というのは、こうやって作られていくのかねぇ……」

 皮肉な微笑を浮かべながら呟く彼の耳に、すれ違う人々の囁きが届いた。


「商人が三人も、昨夜から姿を消したらしい……」

「学者も一人、帰ってこないって……」

「宿の主人も朝から見当たらないとか……」


 ミハエルは手元の葉巻を指先で転がしながら、静かに呟いた。

「異端を疑った者から消えている、か」

 コンラートがすぐに答える。

「疑問を口にした者が狙われている。街の空気もここ数日で明らかに変わった。最初は奇跡が本物かどうかを話題にしていただけだったのが、今は疑念そのものが罪という流れになりつつある。あの貼り紙もそうだ。これは自然な信仰の広がりじゃない。明らかに意図的な動きだ」

 ミハエルは貼り紙を無造作に剥がし取り、握り潰す。

「最初は、奇跡が本物かどうかを話していた街が、今では疑う者は異端という空気になりつつある。あの貼り紙もそうだ。……これは、ただの信仰の広がりじゃない。明らかに意図的なものだ」

 ミハエルは張り紙を無造作に剥がし、くしゃくしゃに握り潰した。

 指先で葉巻を転がしながら、静かに笑う。

「……近いうちに何かが起こるな」

 コンラートの言葉に、ミハエルは葉巻を回しながら冷たく笑った。

「手間をかけずに異端を炙り出す方法……公開処刑だろうな」

 その言葉が、夜の空気に溶けていく。

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