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異端なる神聖調査官と聖騎士の奇跡事件録  作者: 嘉乃いとね
第2録:聖者の黄金(サンクトゥム・アウルム)事件
30/52

10. 会計局長との取引

 蝋燭の炎が揺れる薄暗い部屋。

 机の上には分厚い帳簿と報告書が広げられ、緻密な文字と数字が淡い光に浮かび上がっていた。

 室内には二人の男が座っている。

 リヒター・シュヴァルツ——会計局長。

 エーレン・フロイデン——彼の部下であり、会計の事務員。

 二人は異端審問官に流れた不審な資金の流れを追っていた。

 だが、その核心に迫るほどに、触れるべきでない領域に踏み込んでいるという実感があった。

「……これ……本当にヤバいですよね……?」

エーレンが顔を青ざめさせながら、小さな声で呟いた。

 リヒターは無言で眼鏡のブリッジを押し上げ、淡々と答える。

「ヤバいかどうかはともかく……明らかに不自然だ。」


 その時——。


「へぇ、面白い話をしてるな?」

 のんびりとした声が、静寂を破った。

 室内の扉が開き、男が一人、ふらりと足を踏み入れた。

 ミハエル・フォン・ヴァイセンブルク。

 気だるげな態度で、軽く制服の襟元を整えながら入ってくる。

後ろには、長身の騎士——コンラート・ハインリヒ・フォン・アイゼンシュタインの姿があった。

 エーレンは彼らを見るなり、ほとんど悲鳴を上げる勢いで叫んだ。

「俺は何も知らない! 何も見てません!!!」

 ミハエルは肩をすくめ、軽く笑う。

「おいおい、こんな分厚い帳簿を前にして、それは通らねぇだろ?」

 その時、リヒターが彼らを見つめ、静かに口を開いた。

「……神聖調査官、か」

 その視線は冷静で、測るような鋭さを帯びていた。

 ミハエルは少しだけ眉を上げ、興味深そうにリヒターを見やる。

「おや?俺たちのことをご存知で?」

 リヒターは無表情のまま、淡々と答える。

「エリヤの部下なら、神聖調査官の仕事は知っている……が、会うのは初めてだな」

 ミハエルは葉巻を指先で転がしながら、ニヤリと笑う。

「なるほど。局長の知り合いってことは、アンタが教会の財布を握ってるって噂の……?」

 リヒターは冷静に答える。

「リヒター・シュヴァルツ。会計局長を務めている」

 コンラートが静かに呟く。

「なら、俺たちの目的も理解しているはずだな」

 リヒターはコンラートを一瞥し、軽く眼鏡を押し上げる。

「お前たちが調査しているのは、異端審問官の動きか?」

 ミハエルは肩をすくめ、気楽そうに言った。

「まぁな。アンタたちも、金の流れが怪しいことには気づいてるんだろ?」

 リヒターは何も言わず、帳簿の一行を指で示す。

「教会の裏金が異端審問官に渡っている。おそらく、そちらもすでに把握している情報だろう」

 ミハエルは笑みを深め、指で葉巻を弾いた。

「いやぁ……さすが会計局長殿だ。話が早い。」

 コンラートが低く言う。

「なら、そっちの知っていることを教えてもらおうか。」

 リヒターは静かに帳簿をめくりながら、冷ややかに言った。

「……交換条件は?」

 ミハエルは目を細める。

「アンタ、話が分かるな?」

 リヒターはわずかに口角を上げ、淡々と答えた。

「当然だ。私は信仰ではなく、数字で動いている。」

 エーレンは心底うんざりした顔で呻いた。

「俺はもう帰っていいですかぁぁぁぁぁぁ!?!?」

 ミハエルは愉快そうに笑い、リヒターは無表情のまま、静かに帳簿を閉じた。 

「……典礼省を経由して、異端審問官たちへ金が流れている」

 静かな声だったが、その一言が場の空気を変えた。

 エーレンは息を呑む。

「で、でも、典礼省って……信仰儀式や典礼の管理が主な仕事じゃないんですか?」

「本来ならな。しかし、この金の流れは、どう見ても典礼省の通常業務では説明がつかない」

 リヒターは淡々と答えながら、帳簿の一行を指でなぞる。

 そこには「典礼省」名義での資金移動の記録があるが、その詳細が曖昧だった。

「典礼省の決裁印はある。だが、誰がこの資金を動かしたのか、決定権を持つ者の名前がどこにもない」

 エーレンはがくがくと首を振る。

「で、でも、典礼省のトップって……グレゴール枢機卿ですよね?」

 コンラートが腕を組み、帳簿を覗き込む。

「名目上のトップはグレゴール・フォン・アルトマン枢機卿……だが……」

 ミハエルが軽く葉巻を回しながら、皮肉げに笑う。

「いやいや、待て待て。グレゴールって、あのヨボヨボの枢機卿だろ?」

 エーレンは勢いよく頷く。

「はい! ええっと、今年で八十……何歳でしたっけ?」

 リヒターが即答する。

「八十七歳だ」

「八十七ぁあ!? そ、それ、もう決裁とかしてるんですか?」

 ミハエルはニヤリと笑い、葉巻を指で弾いた。

「いやぁ……決裁どころか、立って歩くだけで精一杯なんじゃねぇか?」

 コンラートは静かに頷く。

「少なくとも、彼自身が資金を動かしているとは思えない。グレゴール枢機卿は穏健派だ」

 エーレンは混乱したように帳簿をめくる。

「で、でも、じゃあ誰が典礼省を動かしてるんですか!?ここには長官名義の記録が——」

 ミハエルが、帳簿を指で軽く弾く。

「……トップが機能してないなら、普通はNo.2か、せいぜいNo.3あたりが仕切るもんだろ?」

 コンラートが低く言う。

「典礼省の次席といえば……カイル・シュタインメッツ、アウグスト・レオンハルト……」

 ミハエルは指で葉巻を転がしながら、青の瞳を細める。

「……まぁ、あと一人、多くても二人だろうな」

 リヒターは、静かに帳簿をめくる。

「典礼省の決裁権を持っているのは、この三人……しかし、本当に彼らが主導しているとは限らないな」

 エーレンは、ひきつった笑いを浮かべる。

「え、ええと……つまり……?」

 ミハエルは、薄く笑ったまま葉巻を弄ぶ。

「“典礼省の決定”って名目で動いてるが……本当に仕切ってるのは、別のやつかもしれねぇな?」

ミハエルは葉巻を転がしながら、帳簿の端に指を滑らせた。

そこには、妙に整った筆跡で「決裁済」と記された印が並んでいる。

「……おかしいよな?」

「何がだ?」

「普通、こんな大規模な資金移動なら、担当者の署名が入るはずだ。でも、どれも典礼省の名義だけ。……これ、誰が決裁してんだ?」

「いや……それ以前に、誰が決裁したように見せているんだ?」

 コンラートが低く呟いた。

 リヒターは無言で眼鏡を押し上げる。

「まだ確証はないが……」

 リヒターは眼鏡を押し上げながら静かに言った。

「この金の流れ……“何者か”が裏から指示しているが、名を伏せている」

 蝋燭の炎が揺れ、影が帳簿の上に伸びた。

 ミハエルは、ゆっくりと指を鳴らしながら皮肉げに言った。

「“信仰を統制したがっているやつ”が誰か……考えれば、答えは見えてくるだろ?」

 室内に沈黙が落ちる。

 エーレンはガタガタと震えながら、呻くように言った。

「やっぱり俺、この話に関わっちゃいけなかったぁぁぁぁ!!!」

 蝋燭の火がわずかに揺らぎ、重苦しい沈黙が室内を満たしていた。

 帳簿の上には、異端審問官たちへ流れた金の記録が広げられている。

 ミハエルは椅子に浅く腰掛け、指先で葉巻を弄びながら軽く息をついた。

「……ま、確かに興味深い話だよな」

 コンラートは無言のまま帳簿を見下ろし、低く言った。

「典礼省の決裁が関与している以上、金が動くのは当然だが……」

 リヒター・シュヴァルツは、静かに眼鏡を押し上げる。

「問題は、この金が本当に正規の決済なのか”という点だ」

 ミハエルは肩をすくめ、帳簿を指で軽く弾いた。

「ま、どう見ても正規じゃねぇよな」

 エーレン・フロイデンは青ざめながら、小さな声で震えた。

「で、でも、これだけ証拠があれば……会計局としても動けるんじゃないですか?」

 リヒターは、エーレンを一瞥し、表情を崩さないまま静かに言う。

「確かに、異端審問官が関与している証拠としては十分だ。だが、それを公にするかどうかは別の話だ」

ミハエルは一瞬だけ眼を細める。

「……どういう意味だ?」

 リヒターは手元の帳簿を閉じ、静かに指を組んだ。

「この件に、会計局を関与させるなら――交換条件がある」

 リヒターは淡々と帳簿を閉じたが、その指先は小さく机を叩いていた。

「――会計局の監督下で動いてもらおう」

まるで、ミハエルがこの提案を拒否する可能性をまったく考えていないかのように。

室内の空気が、わずかに変わった。

コンラートが静かに問い返す。

「つまり?」

 リヒターは微動だにせず答える。

「会計局は財務の独立性を維持するため、政治的な対立には極力関わらない。だが、金の流れが教会の安定を揺るがすなら話は別だ」

「……この件が公になれば、教会内で大規模な権力闘争が起こる可能性がある。そうなれば、会計局は資金の供給を管理する立場から、動きを制御する必要が出てくる」

 ミハエルは小さく口笛を吹いた。

「つまり、調査官どもが暴走して好き勝手に暴くのを許すわけにはいかねぇってことか」

 リヒターは、静かにミハエルを見つめる。

「誤解しないでもらおう。私は教会の存続を第一に考えている」

「お前たちが異端審問官の不正を暴くのは構わん。だが、それによって教会の財政が不安定になったり、教皇派と異端審問官派の争いが激化すれば、金が動かなくなる。私は、それを避けたいだけだ」

 コンラートの眉がわずかに寄る。

「つまり、会計局の管理下で、この件を調査させろと?」

「そうだ」

「私の許可なしに資金の流れを公にするな。それが交換条件だ」

 エーレンは焦ったようにリヒターを見上げた。

「え、ええ!?でも、せっかくこれだけの証拠が……!」

 リヒターは冷静に言い放つ。

「金の流れを追うのは簡単だが、それをどのタイミングで公開するかは慎重に考えるべきだ」

「下手に暴けば、異端審問官側も対抗措置を取る。結果的に、より深く金が隠される可能性がある」

 ミハエルは葉巻を指で転がしながら、青の瞳を細める。

「へぇ……つまり『調査を続けるのはいいが、お前らが会計局の管理下で動くなら、異端審問官に公にしない』ってわけか」

「そういうことだ」

「会計局が動くなら、金の流れを追うことでより確実な証拠を得られる。だが、それには俺たちが完全に情報をコントロールする必要がある」

 沈黙が落ちた。

 コンラートは腕を組み、しばし考え込む。

 ミハエルは唇の端を持ち上げ、面白そうに笑う。

「……なるほどねぇ」

 リヒターは一瞬だけ彼を見つめる。

 ミハエルは葉巻を弄びながら、軽く指を鳴らした。

「ま、悪くない条件だな。こっちもいきなり異端審問官に喧嘩売るのは骨が折れる。アンタらが資金の流れを追ってくれるなら、こっちは調査に集中できるってわけだ」

 リヒターは眼鏡のブリッジを押し上げ、静かに言った。

「……決まりだな」

 コンラートはなおも慎重に言葉を選ぶ。

「異端審問官の動きを監視するのは構わん。だが、俺たちが得た情報をどう処理するかは、俺たちにも判断をさせてもらう」

 リヒターは微かに目を細めた。

「なるほど……調査官らしい物言いだな」

 ミハエルはニヤリと笑い、指をぱちんと鳴らす。

「じゃあ、交渉成立ってことで?」

「……ああ」

 リヒターが帳簿を閉じる。

「こちらも動く。お前たちは、お前たちのやり方で動け」

「じゃあ、俺たちは俺たちの仕事を続けるとしよう」

 ミハエルは気楽そうに言いながら、葉巻を指で転がした。


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