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異端なる神聖調査官と聖騎士の奇跡事件録  作者: 嘉乃いとね
第2録:聖者の黄金(サンクトゥム・アウルム)事件
27/52

7. 異端を創る者たち

 暗がりの中、蝋燭の灯りが揺れる。

 机の上には散乱した報告書や帳簿の写しが無造作に広げられており、そのページには走り書きのメモやインクの染みが残っていた。

 窓の外には夜の帳が降り、遠くからかすかに巡礼者たちの祈りの声が響いてくる。街に染み込むようなその声は、静かな狂信を広げているように感じられた。

 ミハエルは椅子にもたれかかり、片足を机の端に乗せた姿勢で葉巻を指先で弄んでいた。

 煙が上がる気配はない。火をつけるつもりがないのか、それともただの癖なのか――。

 彼の着ている教会の制服は例によってだらしなく崩れ、緩く羽織った上着の下から覗くシャツは袖をまくり上げ、襟元のボタンもふたつ外されている。

 だが、その気だるげな姿勢に反して、ミハエルの瞳は鋭く澄んでいた。

「まったく……ずいぶんと露骨になってきたねぇ」

 ミハエルが指先で帳簿を弾きながらつぶやくと、窓際に立っていたコンラートがゆっくりと近づいてきた。

 彼は音も立てず書類を一枚手に取り、静かな声音で言った。

「数日前まで、この街では『奇跡が本物か?』って話がされてた。

でも、今は違う。

「奇跡を疑った者が、次々と消えている」

 信仰の熱が、異端者を炙り出す炎に変わる。

そして、その炎に焼かれるのは『昨日まで普通に暮らしていた人々』だ。

 ミハエルは机の端の酒瓶を軽く振り、肩をすくめた。

「疑う者は異端として裁かれる――上手く考えたもんだな」

「すでに市場の商人が三人、奇跡を疑った奴らが消えたって話だ。全員、教会のやり方を批判した者ばかりだ」

 コンラートの言葉に、ミハエルは軽く頷く。

「奇跡を作り、信者の熱狂を煽り、次に疑念を持つ者を異端として粛清する――典型的な『世論の分断』と『大粛清』だな」

「……Malleusマレウス Deiデイ

コンラートは低く呟いた。

 それは、かつて最も恐れられた異端審問のコードネーム。

「異端を裁く者が、異端を作る装置」

「つまり、それをこの街で再現しようとしている」

 ミハエルの声は、まるで決まった運命を語るように、冷たく響いた。

「異端審問官が『奇跡』を口実に、教会にとって都合の悪い者を一掃しようとしている……いや、これはもっと上層部の誰かが仕組んだ大規模な『浄化』かもしれない」

「信仰の名のもとに行われる弾圧、か」

 コンラートの声は低く苦々しい。

 ミハエルは再び葉巻をくるりと回しながら、薄く笑みを浮かべた。

「そういうことだ。……まったく、この街の誰もが気づいた時には手遅れってわけだ。さて……どこまで本格的になるかな?」

 まるで、信仰を試されるようだ。

 と、コンラートは思う。

 奇跡が作られ、信仰が統制される。

 その計画を追うほどに、彼の胸にはある種の反発が生まれていた。

 教会の意志のもとに剣を執ることに、これまで疑いはなかった。

 異端を裁くことも、信仰を守るための責務だと考えていた。


 だが――


 それすら、誰かの意図のもとに動かされていたのだとしたら?

己の信仰は、本当に神の意志に沿っていたのか。それとも、誰かの手のひらの上で踊らされていただけなのか。

「どうした、コンラート?黙りこくって」

 ミハエルの気楽そうな声が、室内の静寂を切り裂いた。

 コンラートは僅かに眉を寄せながらも、視線は帳簿の文字の上をなぞっていた。彼の指先は微かに震えていたが、それを自覚するとすぐに力を込め、動きを止めた。

「いや……」

 思考の渦の中から、ようやく言葉を拾い上げる。

 何かを疑うことが、信仰そのものを揺るがすのではないかという感覚。

 この状況下で、それを口にすることは果たして許されるのか。

 ミハエルはそんな彼をじっと見つめていた。

 青の瞳は、嘲るでもなく、かといって慰めるわけでもない。

 ただ、彼がどう答えるのか、興味深げに待っている。

「信仰が怖くなったのか?」

 ミハエルはわざと軽い口調で言った。

 だが、その声には、どこか本気の響きが混ざっていた。

 コンラートは一瞬、言葉を失う。

 怖いのは、信仰じゃない。疑う自分だ。

「……そうかもしれん」

 口にした瞬間、その言葉が自身の中にじわりと広がる。

 ミハエルの問いは、軽く投げかけられたにもかかわらず、妙に重く響いた。

 コンラートは無意識に拳を握る。

 ——怖いのは、信仰そのものじゃない。

 それを疑う自分の方だ。

 過去の自分なら、そんな問いに即答できただろう。

「信仰は決して揺るがないものだ」と。

 だが今、それを口にするには、あまりにも多くの疑念が芽生えていた。

 ミハエルは、何かを探るように視線を向けたが、やがてフッと笑う。

「お前も随分と変わったな」

「どういう意味だ?」

 ミハエルは机の上の書類を軽く弾き、言う。

「以前のお前なら、迷うことなく教会の剣であり続けたはずだ。信仰を疑うなんてこと、考えもしなかったんじゃないか?」

 コンラートは答えなかった。

 だが、それこそが答えだった。

「ま、信仰なんてのは本来、怖れるものじゃなく、拠り所であるはずなんだがな」

 ミハエルは気楽そうに葉巻を弄びながら、皮肉めいた笑みを浮かべた。

 コンラートはわずかに口を引き結ぶ。

 考え続けても、答えは出ない。

 だが、今の彼の中にある迷いは、確かに過去にはなかったものだった。

 ——その時だった。


 カチリ。


 乾いた金属音が、室内に響く。

 それは、まるで時を閉じ込めた扉の錠が、僅かに軋んだ音のようだった。

 ミハエルは無造作に、しかし興味深げにそれを指で転がす。

「そういや、忘れてた」

 その存在を知らせるべく「鍵が見つかるべくして出てきた」ような気がした。

 蝋燭の揺れる光が、鈍く輝く金属片に反射する。

 その表面には、微かな傷と摩耗の跡が刻まれていた。

「……手帳と一緒に出てきた鍵か」

 コンラートが目を細める。

 ミハエルが光の下で転がすと、鈍い金色の輝きが走る。

「随分と、年代物だな」

 コンラートが手を伸ばし、鍵を指でなぞる。

「この手触り……おそらく手作りだな。市販のものじゃない」

「ってことは、個人の所有物か、もしくは特定の施設用か」

「刻印もないな。通常、重要な鍵には持ち主を示す紋章が刻まれるはずだが」

 コンラートは鍵の頭を軽く爪で弾く。

「つまり、公には存在しない扉の鍵ってことか」

「……そういうことだ」

 鍵を掌の上で転がしながら、ミハエルは思案する。

「この形状……どこかで見たことあるんだがな」

「そうか?」

「ああ。たしか、城や大聖堂の旧式の倉庫で使われるタイプに似てる」

 コンラートが眉を寄せる。

「リューゲン大聖堂の倉庫か……確かに、古い扉ならこの形状の鍵もありえる」

 ミハエルは「ちょっと待てよ」と呟き、指を立てた。

「でも、今の大聖堂にこんな鍵穴が残ってるか?」

「少なくとも、改修された部分には使われていないだろうな」

「……なら、調べるしかないな」

 ミハエルはニヤリと笑った。


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