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異端なる神聖調査官と聖騎士の奇跡事件録  作者: 嘉乃いとね
第2録:聖者の黄金(サンクトゥム・アウルム)事件
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6. 帳簿に刻まれた跡

 エーレン・フロイデンは、薄暗い灯りの下で帳簿に向き合っていた。

 相変わらず、この街に流れ込んだ異常な金貨の調査を続けている。

 蝋燭の炎が静かに揺れ、机の上には広げられた数冊の帳簿と記録用の紙が散らばっていた。

 ペンを走らせながら、彼は小さく息を吐く。

 教会の備蓄資産と市場に流れた金貨の動き。

 突き合わせるたびに、不審な取引が次々と浮かび上がる。

 どこかに核心があるはずだ。

 だが、調べれば調べるほど、嫌な予感が強くなる。

 まるで——「触れてはいけない領域に足を踏み入れている」かのような感覚。

 エーレンは疲れた目を擦り、ペンを置いた。

 少しでも気を抜けば、沈み込むような静けさに呑まれそうになる。

 そんな時——

「……おい」

 不意に、部屋の扉がノックもなく開かれた。

 エーレンの肩がビクリと跳ねる。

 振り返ると、そこには——

 ミハエルとコンラート、彼らが、暗闇の中に立っていた。

「うぇっ……!?」

「お前、最近いい仕事してるよな」

 軽い調子で言いながら、片腕をぐいっとエーレンの肩に回す。

「ひっ……!ミハエル先輩っ!」

 エーレンの顔が青ざめる。まるで大型肉食獣に捕まった小動物のような怯え方だった。

「ちょっ……なんですか!?俺、ただの事務員なんですけど!?」

 焦った様子でエーレンが声を上げる。

 すると、隣から低く冷静な声が投げかけられた。

「会計局の事務員にしては、随分といい情報を持ってるようだが?」

 整えられた黒髪、鋭い金の瞳。

 神聖騎士団でも屈指の剣士と称される男が、静かにエーレンを見据えていた。

「いや、待ってください、俺はですね……それに局長の許可が……」

「あーはいはい、お前のとこの局長、怖いもんな」

 ミハエルは軽く肩をすくめた。

 その瞬間、エーレンはわずかにホッとした表情を浮かべる。

 しかし、次の言葉が、それを粉々に打ち砕いた。

「……だから、黙ってやろうぜ?」

「ミハエル先輩!?!?!?!?」

 エーレンはなんとか言い訳を考えようとするが、ミハエルが容赦なく話を続けた。

「会計局が市場で見つけた金の記録、こっちの情報と照らし合わせたいんだよ」

「……へ?」

 エーレンが目を瞬かせる。

「俺たちが調べたこと、お前が市場の帳簿から得たこと。それぞれの情報を突き合わせれば、見えてくるものがあるだろ?」

 ミハエルは肩をすくめ、軽い調子で言ったが、その青の瞳は冴え冴えと光っていた。

 ミハエルは勝手にエーレンの肩を組みながら、楽しそうに言う。

「いや、俺マジで知らないですからね!?これ以上巻き込まれたくないんですけど!!」

 エーレンは思わず身を引いたが、ミハエルとコンラートの視線は容赦なく彼を捉えていた。

 逃げ道はない。

「そんなこと言うなって」

 ミハエルは愉快そうに笑いながら、指先で葉巻を転がす。

 火をつける気はないらしい。ただのクセだと知っていても、その仕草には妙な圧がある。

「まあ、話を聞けよ。会計局が調べてる帳簿の記録、気になるんだよなぁ」

 ミハエルは気楽な口調で言いながらも、その青の瞳は冴え冴えと鋭い光を宿していた。

 エーレンは頭を抱え、深々と溜息をつく。もう何を言っても無駄なのはわかっている。

「……嫌な予感しかしない。ていうか、ミハエル先輩と一緒にいていい予感がした試しがないんですけど!」

 ひどい言われようだな、とミハエルは肩をすくめた。

「そんなに信用がないとは心外だねぇ」

 エーレンはじろりと睨んだが、諦めたように肩を落とし、渋々と帳簿を開く。

「……いいですか、局長には内緒ですからね!?絶対に!」

 念を押すように強く言うが、ミハエルは愉快そうに笑い、コンラートは無言のまま帳簿を手にとった。

 ミハエルは気怠げにページをめくる。

 指の動きは緩慢だが、青い瞳は微細な数字の羅列を鋭く追っていた。

「ほう、面白いな……」

 聖者像の奇跡が起こる前夜、市場では大量の金貨が流通していた。

 その金貨の出どころは不明——だが、教会関係者をいくつも経由している。

 そしてある特定の口座から、同じ金額が引き出されていた。

 ミハエルが指で帳簿の一行を弾く。

「この取引記録……金貨が動いたのは奇跡が起こる前夜だけだ」

 彼の声は淡々としているが、明らかに確信に満ちている。

 コンラートが腕を組み、金の瞳を帳簿とエーレンの間で往復させた。

「つまり、奇跡は計画されたものだった可能性が高い、ということか」

 エーレンは乾いた喉を鳴らしながら、小さく頷く。

「……その指摘は、局長の見解とほぼ一致しています……」

 帳簿を覗き込んだコンラートが、わずかに眉を寄せる。

「……この記録」

 ミハエルも視線を落とす。

「ん?金貨の出所?」

「いや、それもそうだが……金貨が最終的に集まり、そして引き出された口座」

 コンラートの指先が、ある名前をなぞる。

ミハエルは埃っぽい書類をめくりながら、指先でページの隅を弾いた。

そこに記されていたのは、ある一つの言葉だった。

その瞬間、ミハエルの表情から笑みが消えた。


Malleusマレウス Deiデイ


「……懐かしい名前を見たな」

 ミハエルの声は、冗談めいた軽やかさを失っていた。

 コンラートが鋭い視線を向ける。

「知っているのか?」

 ミハエルは書類をひらひらと揺らしながら、気楽そうに笑った。

「まあな。これは人の名前でも、商会の名前でもない」

 葉巻を弄ぶ指を止め、彼は書類の一節を示した。

「――神の鉄槌と呼ばれた、かつての粛清のコードネームだよ」

 コンラートが無言で書類に目を落とす。そこには、歴史の闇に葬られた記録が残されていた。

「マレウス・デイ……異端審問が最も苛烈だった時代、信仰の名のもとに行われた大粛清の象徴だ」

 ミハエルは淡々と語る。その口調は軽いが、青の瞳は冷えていた。

 一瞬、沈黙が落ちた。

 ふっと息を吐くと、ミハエルは帳簿をペラリとめくり、視線を走らせた。同じコードネームが、別の取引にも紛れ込んでいる。

「こんなコードネームを使うのは、異端審問官以外に考えられないな」

「つまり……この奇跡を仕組むために、金を動かしていたということか」

「異端を裁く側が、軌跡を作り、信じない者は異端とみなし、奇跡を信じさせるために、裏で操作する、信仰の名のもとに信仰そのものを操る」

 ミハエルは愉快そうに笑いながら、葉巻を転がす。

「いやぁ……これは、最高に胡散臭いな。奇跡の演出のために、誰かが金を用意し、市場に流した。そして、その金の出どころは——おそらく教会の隠し財産だ」

 ミハエルが低く呟く。

 気怠げに見えるその表情の奥で、冷たい青の瞳が鋭く光った。

 コンラートが静かに言う。

「しかし、それならば、なぜ異端審問官たちが関わる?」

「そこなんだよなぁ……」

 ミハエルは指先でテーブルを軽く叩く。

「ただの信仰操作なら、もっとスマートなやり方があるはずなんだが?」

 エーレンは青ざめながら震える指で帳簿を指差した。

「この金の動き……普通じゃない……まるで……」

「まるで……」

 ミハエルは葉巻を弄びながら、ゆっくりと笑った。

「異端者を、創り出す装置みたいだな?」

 その瞬間、エーレンの喉がごくりと鳴る。

 ミハエルがゆっくりと微笑んだ。だが、その瞳には鋭い光が宿っていた。

 部屋の空気が、一気に冷え込む。

「……え?」

 エーレンは完全に凍りついた。

「ちょ、待ってください……」

 彼の声は震えていた。

「これ……俺、知らないですからね!?いや、マジで、マジで!!」

 ミハエルはにっこりと微笑む。

「お前がリューゲンに来た時点で、もう手遅れだ」

「ぎゃーーーー!!」

 エーレンの悲鳴が、会計局に響いた。


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