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異端なる神聖調査官と聖騎士の奇跡事件録  作者: 嘉乃いとね
第2録:聖者の黄金(サンクトゥム・アウルム)事件
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4. 奇跡の裏に流れる金

 会計局は、教会の財政を一手に担う機関であり、その権限は計り知れない。

 信徒からの献金、巡礼地の管理、聖堂の維持費、異端審問官の活動資金、さらには各国貴族からの寄進や秘密裏の融資まで——教会のあらゆる金の流れを管理する要である。

 教会組織は「信仰」の力によって支えられていると人々は信じている。

 だが、信仰を維持するには莫大な資金が必要であり、その流れを司るのが会計局だ。

 巡礼者が祈るために大聖堂を訪れる。その祈りを受け入れる神殿を支えるのは、金である。神聖騎士団が異端を討つ。その剣を鍛え、鎧を作り、遠征を支えるのも、金である。異端審問官が法の名のもとに裁きを下す。その裁きが成り立つのは、背後にある金の力だ。

 奇跡ですら、金がなければ維持できない。

 ただし、それを知る者は少ない。

 


 セラフィム聖教会・会計局リューゲン支部。

 リューゲン中央大聖堂の一角に構える、財務管理を司る組織の一つである。

 大聖堂の外観は荘厳で、壮麗なステンドグラスが陽光を受けて輝いていた。しかし、その一角にある会計局の扉をくぐれば、そこに広がるのは別世界だった。

 華美な装飾は最低限に抑えられ、無駄のない配置で書架や帳簿が並ぶ。外の喧騒が嘘のように静まり返り、聞こえるのは筆が走る音と、時折紙が捲られる微かな気配だけ。

 この部屋にあるものは、すべて数字でできていた。

 分厚い帳簿が机の上に並べられ、蝋燭の炎が静かに揺れている。

 無数の数字の列が紙面にぎっしりと記され、その一行一行が、ただの取引記録ではないことを示していた。

 市場の取引記録――不正な金貨流通の痕跡を探る。

 エーレン・フロイデンは椅子に深く腰を落とし、ため息混じりに帳簿をめくる。

 しかし、膨大なデータの海に沈み込む前に、早くも頭を抱えた。

「えーと……こういうのって普通、記録に残さないんじゃないですか?」

 不正を行う者が、わざわざ証拠を帳簿に残すはずがない。

 しかし、向かい側の男は書類を捲る手を止めずに、微かに鼻を鳴らした。

「それは素人の考えだ」

 冷たい声が響く。

 黒髪をきっちり撫でつけ、細縁の眼鏡をかけた端正な男。

 リヒター・シュヴァルツ。

 セラフィム聖教会会計局の頂点に立ち、教会の財務を一手に握る男。

 彼は黒檀のデスクの向こうで書類を捲りながら、視線を上げることなく淡々と筆を走らせていた。

 整然とした額縁の中に収められた肖像画のような男——完璧に整えられた装い、隙のない姿勢、そして決して感情を揺るがせることのない無機質な瞳。

 その双眸は、まるで紙面の数字の羅列すらも疑うかのように鋭い。

 彼の前に広がる帳簿は、誰にとってもただの数字の海かもしれない。

 しかし、リヒターにとって、それは「教会の血流」だった。

 彼は無駄な動きを一切せず、ペンの先で帳簿の一角を軽く叩いた。

「むしろ、記録を消した痕跡こそが証拠になる。消えた金の穴埋め、不自然な取引の増減、そして……焦って誤魔化した形跡」

 静かな声が、まるで確定した結論を突きつけるように響いた。

 エーレンは思わずゴクリと喉を鳴らす。

「帳簿は、細工されたものほど語るものが多い」

 リヒターの冷徹な声が響く中、エーレンは震えながらも書類をめくった。

 帳簿の紙は古びており、淡いインクの記録が並んでいる。

 市場での金貨の流通記録――日付ごとに詳細な取引が記され、売買の履歴が一覧になっていた。

 最初の数ページは、特に異常は見当たらない。

 定期的な取引が淡々と記録され、商人たちが帝国通貨や銀貨をやり取りする一般的な取引ばかりだ。

「……やっぱり、こんな簡単には出てこないか」

 エーレンが小さく息を吐いたその時、リヒターが無言で手を伸ばし、ページを数枚めくった。

「ここを見ろ」

 指で示されたのは、数日前の市場取引の記録だった。

 通常の金貨流通のパターンとは異なる、大量の取引が記されている。

 さらに、それらの金貨が一度に市場に流れ込んだ日付を辿ると――奇跡が起こった前夜。

 エーレンの指が小さく震えた。

「……これは……」

思わず言葉を飲み込む。

リヒターは静かに書類を指で弾き、淡々と続けた。

「市場に流れた金貨の供給元……全員が教会関係者だ」

「そんな……まさか……」

エーレンの手が汗ばむ。

「まさか?」

リヒターの声は、淡々としていた。

「市場に出回るはずのない備蓄資産が、どこからともなく現れた。奇妙な話だと思わないか?」

「えっ……」

 目を凝らしながら、別の帳簿を引っ張り出し、取引の流れを照らし合わせる。

 市場には、一夜にして異常な数の金貨が放出されていた。

 しかも、それが「商人同士の取引」ではなく、特定の供給元から流れ込んでいたことが明らかになった。

 供給元の欄には、ある共通点があった。

 ――教会関係者。

「……」

 額に汗が滲む。

 市場で流通する金貨の供給元には、聖職者の名がいくつも並んでいた。

 それも、教会の財務に関与する立場ではなく、司祭や修道士――本来、金貨を大量に扱うはずのない者たちだった。

「教会関係者を……経由してる?」

 エーレンは震える手でページをめくる。

 さらに別の帳簿と照合すると、奇妙な事実が浮かび上がった。

 金貨の中に、「流通しないはずの教会の備蓄資産」と同じ刻印が押されているものがある。

 それを確認した瞬間、エーレンはゾクリと背筋を凍らせた。

 本来、教会が備蓄する金貨は流通には使われない。

 それは、財務管理のために保管されるものであり、表には出せない用途として使用されたりする事はあるものの、基本的には準備資金として蓄財されるものだ。

 それは市場に出回ることなど絶対にないはずなのに――なぜか、それと同じ刻印を持つ金貨が、流通していた。

 リヒターは何も言わず、書類を指で弾いた。

「そうだな」

 彼の視線は冷たい。

 エーレンの喉が乾いた。

 市場に流れた金貨の真相――

 それが、「奇跡」の裏側と繋がっているのではないかという疑念が、はっきりと形を成した。

 奇跡の前夜に放出された金貨。

 流通経路には教会関係者が絡んでいる。

 出所は、本来流通するはずのない教会の備蓄資産。

「……さて、これをどう考えるか」

 エーレンは青ざめた顔で、リヒターを見上げた。

「これ……マジで教会の隠し財産じゃないですか?」

 震える声が部屋に響いた。

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