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異端なる神聖調査官と聖騎士の奇跡事件録  作者: 嘉乃いとね
第2録:聖者の黄金(サンクトゥム・アウルム)事件
22/52

2. 黄金の涙は誰のために

 三日前、リューゲンの街で奇跡が起こった。

 聖マティウス像が輝き、涙を流し、金貨を降らせた——。

 街の中央広場にそびえたつこの聖者像は、突然光を放ち、その目から黄金の涙を流した。そして、足元には金貨が降り積もったという。人々は歓喜し、すぐに「聖者の奇跡だ」と騒ぎ立てた。

 しかし、ひとつ問題があった。

 ——その金貨には、セラフィム聖教会の刻印が押されていた。

 本来なら、教会の財務管理下で厳重に保管されるはずの金貨が、なぜか街の広場に降り注いでいた。

 当然、教会上層部は騒然となった。

 大聖堂の会議室では、枢機卿たちが激しく議論し、責任を押し付け合っていたという。

「なぜこのような金貨が市中に流れたのか!」

大聖堂の会議室では、赤衣をまとった枢機卿たちが激しく論争を繰り広げていた。

「これは財務管理の問題ではないのか!」

「いや、神の奇跡かもしれないではないか!」

「奇跡だと?馬鹿げたことを!」

 教会組織各部門の枢機卿たちが互いに疑心暗鬼になり「どこから金が流れたのか」で論争が続いた。

 だが、結局のところ誰も責任を取ろうとはせず、事態を収めるために「調査」を行うことが決まった。

 そこで、神聖調査局に命が下り、局長であるエリヤが指名したのが、調査官ミハエルとその護衛であるコンラートだった。

「聖遺物の奇跡か、それとも誰かの細工か——確かめてきなさい」

 そんな指令を受け、ミハエルとコンラートはリューゲンへとやってきた。



 石畳のリューゲンの中央通りを歩くたび、街の喧騒がミハエルとコンラートの耳を打つ。

 帝国の中核都市にして交易の要所――リューゲンは、活気と混沌が入り交じる街だった。

 細い路地には、香辛料や布地を売る露店が並び、行き交う人々の熱気と商人たちの呼び声が交錯する。

 色とりどりの衣装をまとった異国の商人が、珍しい薬草や香料を広げ、熱心に客を引き込んでいた。

 通りの端では、旅の吟遊詩人が竪琴を奏で、貴婦人たちが優雅に笑い声をあげる。

 一方で、豪奢な石造りの建物が立ち並ぶメインストリートには、貴族や裕福な商人が馬車を連ね、教会の鐘楼が高くそびえ、白亜の大聖堂が威厳をもって信徒を迎え入れていた。

 その前には、巡礼者たちの列ができ、彼らは熱心に聖印を握りしめながら、聖堂の扉へと進んでいく。

 しかし、その向かいでは、怒りを露わにした反教会派が集まり、口々に教会の欺瞞を叫んでいた。

 掲げられた布には「信仰は金ではない!」と荒々しく書かれ、幾つかの布地には黒い染みがついている。

 投げつけられた腐った果実の残骸が地面に散らばり、憤りのこもった叫びが響く。

 巡礼者と反教会派の間で、口論が激化していた。

 ミハエルは葉巻を弄びながら、広場のざわめきを見渡した。

「さて、これはただの言い争いか、それとも……」

 コンラートの瞳が鋭く光る。

「感情でぶつかり合えば、暴動になる」

 まさにその瞬間、巡礼者のひとりが反信仰派の男に突き飛ばされ、石畳に倒れ込んだ。

「神の奇跡を信じないのか!」

「信じるかよ、こんな見え透いた茶番を!」

 怒号が交錯し、緊迫した空気が広場を包み込む。

「……奇跡を信じるかどうかの問題じゃない」

 ミハエルは葉巻を弄びながら呟く。

「これは、疑うこと自体が許されなくなる流れだな」

 コンラートが眉をひそめ、低い声で問い返した。

「なぜそう思う?」

 ミハエルは肩をすくめ、広場を指差す。

「見てみろよ、コンラート。さっきまで『奇跡は本物か?』って議論してた連中が、もう『疑うこと自体が罪』って空気になってる」

 確かに、巡礼者たちの表情は先ほどと違っていた。

 最初は奇跡を信じるか否かの議論だったはずが、今や疑問を持つ者への糾弾へと変化している。

 ミハエルは葉巻を指先で回しながら続けた。

「『奇跡を信じるか?』っていう話なら、個人の信仰の問題で済む。でも、今は『信じない者を裁くべきだ』って空気ができあがってるだろ?」

 コンラートは周囲を見渡す。

 先ほど倒れた反教会派の男は、巡礼者たちの視線に晒されながら、ゆっくりと立ち上がっていた。しかし、その表情には怒りよりも恐怖が滲んでいる。

 周囲の巡礼者たちは、まるで獲物を囲うように彼を見つめていた。


「お前、本当に信じていないのか?」

「異端者の言葉に耳を貸すな」

「神の奇跡を疑うとは、なんと不遜な……」


 囁きは次第に大きくなり、男は居心地悪そうに後ずさる。

 コンラートは静かに息をつく。

「……奇跡を信じる自由と、信じない自由があったはずだ」

「そう、それがもう無くなりかけてる」

 ミハエルはどこか楽しげに言った。

 二人は群衆のざわめきを後に、広場の中心へと向かった。

 奇跡の発端となった聖者像を、この目で確かめるために。



 白大理石で作られたその像は、優雅な曲線を描く法衣をまとい、片手に聖印を掲げていた。

 もう片方の手は、信者たちへ救いを施すように前へと差し出している。

 顔立ちは穏やかでありながら、どこか厳粛さを秘めていた。

 この広場の中央に立ち、何十年、何百年と変わらず、街を見守り続けてきた存在――聖者マティアス。

 今から二百年前、リューゲンに奇跡をもたらしたとされる司祭である。

 この像が、黄金の光に包まれ、涙を流し、金貨を降らせたという。

 ミハエルは眉をひそめながら、その聖者像を見上げた。

「で、どう思う?」

 軽い口調で隣のコンラートに尋ねる。

 コンラートは無言で聖者像へ歩み寄り、慎重にその表面を指でなぞった。

 指先に細かな光が付着する。金粉だった。

「……これは」

 コンラートは指先を擦り合わせながら、像の表面をじっくりと観察する。

 次の瞬間、静かに言った。

「奇跡に見せかけた細工……か?」

「うーん」

 ミハエルは少し考え込むように唸った後、楽しげに口角を上げた。

「これは……やっぱり誰かが仕組んだものだな」

 そう言いながら、彼はポケットから白い布を取り出し、像の表面をそっと拭った。

 すると、金粉が擦れ落ち、下の石肌が露出する。

黄金(オルム)(アウレウム)

ミハエルは軽く布を弾き、払った金粉を眺めながら呟いた。

「大聖堂の演出や、祭事で使われることがある……たとえば、聖人の遺骸を飾る儀式とか」

 コンラートが眉をひそめた。

「なら、誰かが意図的に奇跡を演出した?」

「そういうことだな」

 ミハエルは口角を上げた。

 コンラートは黙って、信者たちの祈る姿を見つめていた。

 ――この奇跡を疑う者は、果たして異端なのか?


お読みいただきありがとうございます

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