5 潜入捜査 ①
「それでは、シーナ・ダース」
しっかりと芯のある男の声だ。
「これからよろしく頼む。活躍を期待している」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね、ネモ・ニードル副所長」
今にも雨が降りそうな曇天の日、二十五歳のシーナは、晴れて現代魔法研究所の研究員となった。
当たり前だが、最初は単なる一研究員の身だ。しかし、なんとかして、リリアが在籍していた指導官の役職を手に入れたい。
建物の五階にある副学長室から出たシーナは、二階の事務室に行くように指示されたため、階段を下った。
「久しぶりですね。前回見たときから、七年ほど経ったかな」
「……誰?」
後方から聞こえた声に驚いて振り返ったが、誰の姿も見えない。
しかし、前に向き直ったところ、目の前に一人の男が立っていた。
「レ、レオ・セガール。どうしてここに……」
シーナは咄嗟にレッグホルスターからナイフを取り出した。数日前まではダラン総合魔法学校のナイフだったが、今はカクリス魔法学校のナイフだ。ダランのものよりも鋭いのが特徴だ。
現代魔法研究所で使われているナイフがカクリスのものということは、明白に両者が繋がっているということだ。
「いえいえ、待ってください。私はあなたと戦いたいなんて、思っていませんから」
「なら、何の用? どうしてこんなところに?」
「潜入するのは以前から得意ですよ? 知っているでしょう」
シーナはしばらく構えていたが、やがてナイフをレッグホルスターに戻した。
「それで、何か用なの?」
「あなたは出産されたそうじゃないですか」
「ダランの中にいるあなたの仲間から聞いたのね」
「いえいえ、風の噂ですよ」
「で、それが何か?」
レオはぐいとシーナに顔を近付けてきた。思わず後退りしたが、彼はまた迫ってきた。
「あなたと学長の娘ともあれば、随分と優秀な子どもでしょうに」
「何を言いたいの」
「ぜひエザールに来ていただきたい」
「またその話?」
シーナは目を細めた。レオはシーナから離れると、今度は彼女の背中側に回った。
「エザールでは、優秀な人材を必要としているのです。生活は保証されていますし、地方の運営に直接携わることのできる、大変やりがいのある役回りですよ」
「娘をエザールに連れて行こうと?」
「あなたも来ていただければ、なお嬉しいのですが」
エザールは、アールベストやリラに友好的あるいは敵対的ということはないが、貧しい地方として知られている。地方のほとんどが砂で覆われており、資源が乏しいためだ。
母親としては、いくら生活が保証されているといっても、そこに娘を送りたいとは思わない。そもそも、本当に生活が保証されているかも定かではない。
「無理ね。別の誰かに当たって」
「優秀な方に来てほしい。あなたたちでなければ意味がないのですよ」
レオの声が後ろから前方に回ってきた。
「たとえそうであっても、行きたくないわ。そもそも、私は魔法が使えるだけで、勉強はそれほどできない。他に適任がいるわ」
「いえいえ、魔法ができる、それだけで十分ですよ」
「……魔法の力を求めるということは、エザールで何かをしようとしている?」
シーナは鋭い目でレオの目を捉えた。
「そんなバカなことを言わないでくださいよ。エザールは魔法の力を求めるような、そんな欲深い地方ではありません」
レオは高らかに笑った。それほど面白い話でもないのにこれほど笑うのは、やはり気味が悪い。
「いずれにせよ、エザールに行くことはないから」
「気が変わることを期待していますよ。……私はあなたの命の恩人なのですから」
「命の恩人?」
シーナが顔を顰めると、またレオは顔を近付けてきた。
「おや、忘れましたか? スプラー山脈での爆発の件」
彼がそう答えたのを聞いて、イールスの護衛のためケルンまで行ったときのことを思い出した。
「あのときの……」
「そう、私だったんですよ。あなたに死なれては困るので、助けてあげたんですよ」
「……まさか、あなたに助けられたとはね」
シーナの言葉に、レオは声をあげて笑った。
「あのとき、もし私が何もしなければ、あなたたちはスプラー山脈へと入っていたでしょう。しかし、そこにはカクリスの教員たちが待ち構えていた。だから、私は万が一のことを考えて、あなたたちが山脈に入ってこないように仕向けたわけですよ」
「そのことはありがとう。助かったわ」
「なら……」レオが何を続けようとしているかはわかっている。
「いや、行かないから。申し訳ないけど」
レオはまた何かを言おうとしていたが、シーナは彼の言葉など気にも留めずその場を離れ、また足早に事務室へ向かった。
◇◆◇
研究所内には住むことができないため、研究員はどこか近隣などで暮らすようになっている。そのため、その住所などを登録する必要があった。
事務室でそのような雑多な手続きを終えると、シーナは暇になってしまったため、一階にある研究室に向かった。
いろいろな本が置かれている研究室1-Bにやってきた。他に一人だけ研究員がいたが、シーナが入ってきたからか、黙って出て行った。
どのような本があるのかとシーナは本棚を見て回ったが、とりわけ目に止まったのはヘルベルト・ルイスについて書かれた本だった。ヘルベルト・ルイスといえば、フランチェスカに案内されて世界皇帝御所に行ったときに聞いた人物だ。……第三代世界皇帝ハワード・セリウスがオームだということを書籍化しようとして消された人物だ。
さらに室内を見て回り、引き出しも開けながら確認していたところ、研究所前身の組織による、アイザック教会群遺跡での活動内容の記録が出てきた。
「現代魔法研究所が正式に設立されたのは前ロマンス時代だけど、後セリウス時代には前身となる組織があったのか……」
さらに読み進めると、組織が、ラムに魔法創世記を持たせたという記述があった。その目的は、ハワード・セリウスとラムを接触させるためだという。
オームのハワード・セリウスにとって、魔法の起源について書かれた魔法創世記を手に入れることは、自身の権威の立て直しともいえただろう。現代魔法研究所はそれを承知で、組織を隠してハワード・セリウスに接触した。
ハワード・セリウスは思いどおりにラムに接触し、ヘルベルト・ルイスを消すことに成功した。ハワード・セリウスは、アイザック教会群遺跡の一件で護衛軍から好かれていなかったわけだから、ラムを選んだのは妥当だった。
ヘルベルト・ルイスは、組織の最初の不老の力の実験体となったヘッセル・バンという人物と一緒に暮らしていた。
組織からすれば、ヘッセル・バンのよき理解者だったヘルベルト・ルイスを殺すことは、組織になかなか顔を出さなかったヘッセルに対する報復だったともいえよう。
ヘッセル・バンは、その成果もあってか、その後はまた研究所に顔を出すようになったというメモも残されている。
ハワード・セリウスがラムと繋がる前から、現代魔法研究所の前身組織は彼と繋がっていた。組織のメンバーは、ラムがヘルベルト・ルイスを殺したという情報を受け、アイザック教会群遺跡まで確認しに行ったという。そこに置かれていたのは、「ヘルベルト・ルイス、ここで死す」というメモ書きだったという。
組織の人間が書いたわけではない。つまり、前々からその場を出入りしていた世界皇帝護衛軍だろうことが予測できた。
ヘルベルト・ルイスは、世間にハワード・セリウスがオームだという事実を知らせようとした。しかし、彼の書籍によると、それはハワード・セリウスを陥れるためではなく、むしろハワード・セリウスのことをもっとよく知ってもらい、支えたいという願いがあったようだ。
公の場ではあまり行動力のなかった世界皇帝だったという記述がある。それは、彼自身が隠したい事実があったためだとするヘルベルト・ルイスは、人々の理解が進めば、彼を支える動きができるだろうと考えたわけだ。
ヘルベルト・ルイスは、研究者でありながら、マージとオームの共存を願ってやまない人物だった。しかし、彼の勇気ある行動が、当事者には目障りに映ってしまったわけだ。




