4 プラル地方再訪 ①
二十三歳になったシーナは、しばらくエニンスル半島の中央部から東部に広がるイルケー地方に滞在していたが、ある日目にした新聞記事により、過去の記憶が思い出され、プラル地方に向かうことにした。
アールベストの南側と隣接するプラル地方は、オームの多い長閑な地方だ。魔法学校はなく、ホール一般学校という大きな学校が一つだけ存在する。アールベストのイッサールにあるイッサール一般学校よりも大きな学校で、ダラン総合魔法学校と同じほどの規模を誇る。なお、プラル地方にはそれ以外に学校がないため、規模が大きいのは当たり前とも言えた。
「こっちの宿かしら」
シーナは、ダランが手配した小綺麗な宿へと入っていった。もう空は暗くなり始めていた。
「すみません、今日から宿泊のリナです」
この宿では、「リナ」という名前を使うよう指定されていた。宿に行くたびに自分の名前が変わるため、間違って別の名前を言ってしまわないようにするのが小さな悩みの種だった。
「リナさんですね。ご予約ありがとうございます。十一日目以降から追加料金が必要となりますので、よろしくお願いしますね」
受付で受け取ったルームキーに示された部屋に到着したシーナは、外がもう随分と暗くなっているのにも関わらず、出かける準備をした。と言っても、持ち物はこの部屋のルームキーと、レッグホルスターに入れた一本のナイフだけだ。
「さて、行くとするか」
エニンスル半島の夜は肌寒いためコートを着てきた。このコートはイルケーに滞在しているときに、小さな町の衣料品店で買ったものだ。店主の老爺が気さくな人物で、ついついその押しに負けてしまったのだ。経費は学校から降りるので、今回のようにうっかり財布の紐が緩んでしまうことがある。
周囲に何もない真っ暗な夜の草原の真ん中で、シーナは一人佇んでいた。
「ユキア先生……、あなたが校外調査員だったなんて。昔の私は、校外調査員という存在さえ知らなかった」
シーナは独り言を呟いた。返事は、風が揺らす雑草の囁きだけだ。
ゆっくりと歩き始めると、頬に当たる風が一層冷たいものに感じられた。
「私は、ユキア先生と同じように校外調査員になった。そして、こうしてアールベストの外を駆け回っている」
ちょうど、ユキアが遺体で発見されたところまでやってきた。
この場所、ここから見える風景、よく覚えている。
「あのとき、ユキア先生の遺体が突然に現れた理由、それがよくわからない。ユキア先生はメラニア・エドワーズに殺された。しかし、それはなぜか。……リリアが言っていたわ、メラニアがリリアをプラルに連れ出したのは作為的だったって。でもそのタイミングで、偶然にもユキア先生である必要はあったのか」
シーナはユキアの遺体のあった場所から離れ、メラニアと話した場所も通り過ぎ、リラとの境に当たる森までやってきた。
「ここからだと、あそこがよく見える。ここにもう一人誰かがいた可能性があるか……」
当時、メラニアが去ったのとほぼ同じタイミングでこの森が揺れていたような気がしていた。それが、今になって少し気になってきたのだ。
「この辺に、何かないかな……」
草が生い茂る地面を眺めてしばらく歩いていたところ、かなり朽ちている白い布が落ちているのを見つけた。状態から察するに、木か草の枝に引っかかり、無理やり離れようとしたところ破れてしまったものだろう。
「これは……カクリスのローブかな」
カクリスのローブに描かれている模様の一部が確認できる。シーナはそれを持ち上げると、メラニアと会った墓地まで戻ってきた。
「メラニアは一人ではなかった。では、一体誰が……」
ふと、あることを思い出した。レオ・セガールのことだ。彼は、エザールの人間だがダランの中にいる。同じように、カクリスの中にもエザールの誰かがいると想定することができるだろう。
「もし、カクリスの中にエザールの人物がいるとする。名前は……ハリーでいっか。ユキア先生がこの辺に来ているという情報を、ハリーが入手したとする」
シーナはゆっくりと墓地の中を歩きながら独り言を呟いていた。
「どうしてハリーはメラニアに伝える必要があったか? ……リリアとメラニアを合わせる必要があったから。では、どうして?」
しばらく考え込んでいたが、リリアから聞いたことを思い出した。
「そうだ、メラニアは、自分がリリアに出した手紙が、リリアまで行き届いていないかもしれないと思ったんだった。その疑念が確信に変われば、リリアに手紙が届くまでの間で仲介者がいることに気が付いてしまう。しかし、それが気付かれてしまっては、仲介者たち自身の命が危ないことになるから、何としても避ける必要があった」
リリアとメラニアを合わせるのは、手紙を仲介していたハリーとレオが考えた策だったんだ——、シーナは確信した。
「とすると、実際にユキア先生を殺したのはメラニアだろうけど、事を運ばせたのはハリーとなるか。……メラニアが動いていた裏では、エザールが動いていたということか」
シーナは墓石の一つにもたれかかった。
◇◆◇
シーナが考えていたことは、あくまで仮説の域を超えない。それに、事が発生していた頃から何年も経過している今となっては、立証することさえ困難だった。誰かが「君の言っていることは正しい」と教えてくれない限り、彼女の推測は推測にしかなりえなかった。
しかし、現実とはあまりにも驚くことが起きるものだ。
「君の言っていることは正しいよ」
足音もしなかったのに背後から急に声が聞こえてきて、シーナは驚いて振り返った。
自分よりも十歳程度年上だろう男が立っている。エニンスル半島では珍しくジャケットを羽織っていて、街の中心地にいそうな身なりだ。
「あなたは……?」
「僕はエドワード・ホーキンス。君は?」
「私は、……リナよ」
思わず「シーナ」と名乗ってしまいそうになったが、今の名前は「リナ」だ。相手が誰であっても変わらない。
一瞬の沈黙に全く疑う素振りもせず、エドワードは続けた。
「そうか、リナ。君はここで何を?」
「ちょっと来る用事があったの。あなたは? ロベリアから来たんでしょ?」
シーナの答えと質問を聞いて、エドワードは笑った。
「どうして僕がロベリアから来たとわかったんだい? そんなことどこにも書いていないよ」
「発音と話し方に癖があるから。ロベリアらしい、非常に独特な」
「そんなのあるかな」
「あるのよ、それが」
エドワードが笑うのでシーナも一時合わせてみたが、急にエドワードは真顔になった。
「君はさっき、メラニア総合指揮官の裏でエザールが動いていたと呟いていたね。どうしてそう思った?」
「一つ教えて。あなたはカクリス魔法学校の人間?」
「違うよ。で、君の答えは?」
「答えないわ」
独り言を呟いていたのは悪いが、はっきり言って、ロベリアから来たというこの男に対して、シーナが正直に答える理由はなかった。
「カクリスの人間ではないんだけど」
「あなたが言っていることが本当かどうか、私にはわからないでしょう? 本当はカクリスの人間だったとしても、こんな場所にいれば嘘をつくのは簡単でしょうから」シーナはきっぱりと答えた。
「リナ、君の言っていることはおかしい。そうであれば、最初から君は僕の質問に答える気はなかったということになる」
シーナは「そうよ」と答えるつもりでエドワードの顔を見た。彼はどうも不満足そうな顔をしている。
「ひどい話だ。僕は最初に君に情報を与えたのに、お返しはないということか」
「ごめんなさいね。でも、勝手にお返しを期待するのはやめてほしいかしら」
口先では穏やかに答えているシーナだったが、エドワードが次に話す言葉や、エドワードが急に攻撃などを仕掛けてこないかといった身体の隅々の動きにまで、五感を研ぎ澄ませるようにして警戒していた。
そもそも、急にシーナの背後に現れたことも疑い深い。それほどまで気配を消して近付くことがどれほど可能だろうか。
しかし、その時点で攻撃してこなかったということは敵ではないのかもしれないが、いずれにせよ確証を持つことができない以上、現時点で彼を信用するのは難しい。




