1 校外調査員としての役目 ②
現代魔法研究所への派遣のため学校を出る日、早朝に、シーナは学校を訪れた。イールスは例のとおり、家に帰ってきていなかった。
「最後ぐらい、ちゃんと帰ってきてよね……。仕方がないことはわかっているんだけど……」
彼女は真っ直ぐ学長室へと向かった。
ノックを忘れて扉を開いたところ、デスクを挟んで、イールスと、四年前にリリアの次の総合指揮官になったベル・シュタインバーズが何やら話していたところだった。二人の表情を見る限り、どうやら穏やかではないようだ。
「おいおい、ノックを忘れないでくれ」
「ごめんなさい。で、何かあったの?」
シーナが表情を変えることなくデスクへと向かってきたため、少しこちらに向かってきていたイールスは、元いた場所へと歩み戻った。
「フィーフェ・ルーのことで相談していた」
「フィーフェ・ルーって、……フェデラック・ベルンの後任で副学長になった?」
「そうだ。少し気になっていることがあって」
「……そうね、教えて」
「実は、いろいろな伝手で彼の素性を調べていたんだが、一向に情報が掴めないんだ」
シーナは状況を多少なりとも理解していたが、イールスに話を続けるよう促した。
「要するにだな、カクリスの人間ではないかと疑っている」
「可能性としては、高そうね」
「実際、フェデラック・ベルン一人だけの推薦だったことも若干気になっている。しかも、総合指揮官でどうかという推薦だった。私はもちろん却下した。リリア・ボードの二の舞になってはいけないからな。それで彼は総合指揮官ではなく副学長になっている」
「私が今回現代魔法研究所に行こうとしていることみたいね」
シーナの言葉に、イールスは深く頷いた。
「そういうことだ。我々がしようとしていることと、全く同じ状況になっている」
「つまり、そういうことだと」
シーナには、この話の結論がうっすらと見えていた。が、あえて今は伝えないことにした。物事には、ぶら下がったままの話の方がいいこともある。白黒はっきりすることは悪いことではないが、摩擦を大きくすることにもなる。
下手にフィーフェ・ルーを刺激して、自分の動きを制約される方が迷惑だ。
「でも、怪しいなら、情報を与えるのは最小限にした方がいいと思う。たとえば、これから私が現代魔法研究所に行くことは知らないでしょ?」
「ああ、伝えていない。レイチェルにもまだ話していない」
「なら、そのままでいいと思う」
イールスは何度も頷いた。
「……で、三年後に、現代魔法研究所に向かえばいいのよね? それまでは自由よね」
「そのとおり。極力ここには帰ってこないように」
「わかってる。私のことを知っている人物に、下手に遭遇する可能性があるからね」
「アールベストにも極力戻ってこないようにな。特に、グランヴィルには君を知っている人間が多くいるから、本当に最小限だ」
人々の口から「シーナ」という言葉が二度と出ないようになるほどに、シーナを完全にアールベストから出すのが目的だ。そうすることで、人々の間から、彼女に関する記憶が薄れていく。誰もその名前を口にしなくなれば、彼女の存在はなくなったも同然ということだ。
「本当に、……完全な独りね」
「申し訳ない。私の口からは、本当に申し訳ないということしか言えない」
イールスは口を固く閉じた。こんな役目を妻に背負わせるのは本意ではないだろう。しかし、実力では総合指揮官クラスの彼女にしか、こんな危険な任務を任せることはできないというのが学校側の事情だった。
「まあ、最初に校外調査員を断っておけばよかったんだろうけど、今更後悔はないわ。言われたことならやるし、身の危険を感じたら引いてくる。変な感情は捨てて潔く行動しないといけない」
シーナは学長室の端に置いている飾りとしてのイスに腰を下ろした。続けて、脚を組んではイールスに鋭い視線をやった。
「それが、校外調査員としての役目だもの」
「強いですね……、さすが、この学校を代表するマージ」
ベル・シュタインバーズの言葉に、シーナは首を横に振った。
「いいえ、違います。私は代表しません。見てのとおり、コソコソと行動しているんですから。学校を代表するのはあなた方お二人ですよ」
その言葉を聞いて、ベルは「立派な方だ」とコメントしたが、シーナは肩を竦めるのみだった。
「ルーカスはもう大丈夫。自分のことなら自分でできるようになったわ」
「ならよかった」イールスの言葉だ。
「でも、時間があるときは帰ってあげて。あなたのことを待っている」
「ああ。……君のことも」
「……そうね」
シーナはイスから立ち上がった。
「私たちのことを、生まれたときから、ずっと待っている」
「生まれたときから?」
「ルーカスは、私たちが抱いてくれるのを待っている」
「たまに抱いているだろう」
「そういうことじゃないわ」
わからないの、と言いたげなシーナは、イールスのそばまでやってきた。ベルは二人から少しだけ距離を置いた。
「ルーカスのことを、かつて一度も、心から抱いたことがない。私たちが抱いているのは、ルーカスの身体だけ。でも、あの子が求めているのは、あの子に必要なのは、もっと深くて、心に直接働きかけてくるような愛情よ。……それを、私たちは、これまで一度も与えることができなかった」
シーナは顔を暗くした。家に置いていくものが大きすぎるような、そんな顔をしている。
「今回の長期派遣が終わってアールベストに帰ってきたら、ルーカスのことを、力一杯抱き締めてあげたい。私の愛情のすべてをルーカスにあげる。……私が受けられなかった愛は、……きっとこんなものだったんだって、……ルーカスに体験させてあげるの」
イールスはわずかに頷くだけで、一言も発さなかった。ベルも同じだった。
◇◆◇
シーナは言いたいことを言い残し、ようやくダランを出ることにした。
最初の三年間は、できるだけ人目に付かないよう自由行動をするのみだ。どこにいてもいいが、定期的にダランに手紙を送ることが条件のため、あまりにも辺鄙なところにいてはいけない。また、派遣が緊急で中止されることになった場合に、ダランの人間がすぐにシーナを見つけられるよう、エニンスル半島から出ることは厳禁だ。
それ以上は特に決まりはない。エビルの森や砂漠などの、よっぽど見つからないような場所以外であれば、好きに生活することができる。事前に手紙で学校側に依頼しておけば、滞在する場所は確実に確保してくれる。滞在する場所には必要な金が送られるため、生活そのものも困ることはない。
危険なことがあるとすれば、完全に一人行動になるということだった。アールベストにいれば、問題があったとしてもすぐにダランの教員がやってくるが、アールベストから出てしまえばそのような援助はなくなる。つまり、すべてを一人でやっていく必要があるということだ。
イールスたちとは、学長室で別れることになった。他にほぼ誰もいない学校で学長と歩いていては目立ってしまう。そのため、見送りすらないということだ。
「じゃあ、行ってくるから。後のことは、よろしくね」
お互いを数秒間抱き合った後、シーナはダランのローブをボストンバッグに入れ、完全な私服で、誰にも会わないよう注意しながら学校を後にした。




