1 校外調査員としての役目 ①
シーナは二十二歳になっていた。校外調査員であることは変わらず、彼女らしく真面目に仕事に励んでいた。そんな彼女が、朝から学長室で目を丸くしているのは、イールスから唐突に告げられた内容が原因だった。
「数週間後に、君を長期間の校外調査に派遣することが検討されているんだ。ルーカスがいるのに本当に申し訳なく思うが、頼んでも良いか?」
「……本当に、まだ二歳のルーカスがいるのに、申し訳ないことね」
シーナはあえて明確に返答せず、イールスの返事を待った。
「いや、本当に申し訳ないことで申し訳ないんだよ、本当に」
「で、何? ちゃんと詳しく話してね」
イールスは呆れたような表情のシーナを見て、ため息をついて話し始めた。
「現代魔法研究所に行ってほしいんだ」
「研究所に? ……どうして?」
「ベル・シュタインバーズ総合指揮官からの報告によると、現代魔法研究所で世界を分裂させる魔法が作られているらしい」
「よくわかったね」
「時々校外調査員を短期で派遣しているからな」
シーナはその言葉を聞いて、顔を顰めた。
「なら、どうして今回は長期で?」
「入ってきてほしいんだ」
「入るって?」
「……つまり、研究員になるんだよ」
イールスの表情を見るに、冗談ではない。
しかし、研究員として潜り込むとなれば、アールベストに帰ってくることはほとんどできなくなる。つまり、ルーカスの顔を見ることもなくなるということだ。
「ルーカスの面倒は誰が見るの?」
「……私だな」
「最近はいつ家に帰ったっけ?」
「……四日前だ」
「なら、それから今日までの三日間は誰が面倒を見たの?」
「……シーナだ」
「じゃあ、これからはあなたが家に帰るまで、誰がルーカスの面倒を?」
「…………」
イールスが閉口した。
学長としてのイールスは、何を聞かれても答えられるというほどに頭が回る人間だ。しかし、シーナの前で家庭の話をするとなれば、急に答えられなくなることが多くなる。学校にいるときと、立場が逆転してしまうのだ。
「学校が決めたことなら、私は従う必要がある。でも、それまでに、ルーカスのことはちゃんと面倒見てあげないといけないよね」
「……そうだな」
「イールスが率先して、私を現代魔法研究所に送り出そうとしているわけではないことは理解している。でも、研究所に行くまでは一緒にルーカスのこと面倒見てあげないと」
「そうする……」
「ほら、あなたはもっと頭がいいでしょ? それぐらい考えてよね」
イールスは「申し訳ない」と連発するばかりだった。本当に申し訳なく感じているときほど、彼は同じ言葉しか発さなくなる。
◇◆◇
それからというもの、イールスは二日に一回ほどは家に帰ってくるようになった。それでも少ないといえばそうなのだが、これが限界だった。
シチューが大好きなルーカスに、シーナは何度もシチューを作っていた。ほぼ毎週食べていた。
「ねえ、今日もシチューあるの?」
「あるよ」
「やったー! 私、シチュー大好き!」
こんなやりとりが毎週行われていた。
それに加え、時折「あ、でも」と付け加えては、
「お母さんのことの方が、もっと大好き!」
などと言ってくるため、シーナは本当に幸せだった。イールスが帰ってこない日も多かったが、ルーカスといる時間がたまらなく愛しかった。
そんなルーカスに対し、シーナは、とにかく自分で生活できるようにさせようと必死だった。全く本望ではなかったが、仕方がないんだと自分に言い聞かせていた。
ダランの学長としてのイールスは、尋常ではなく多忙な毎日を送っている。夜間にも校外調査員からの報告が上がってくるため、学校は基本的に丸一日連絡を取ることのできる体制をとっておく必要がある。報告の内容によっては学長までエスカレーションしてくるため、何もないと思える日でないと家に帰りにくいのだ。家に帰ってくるときは、副学長がいれば足りると考えられるときや、そもそも校外調査員の報告が上がってこないことが前もってわかっているときとなる。
つまり、今は工夫して二日に一回ほど帰ってきているが、シーナが家から出れば、敵地に味方を送り込んでいるわけであるから、何の報告が急に上がってくるかがわからない。つまり、これまで以上に帰ることが難しくなる。
それを見越して、シーナは、ルーカスが自分で生活できる力を身に付けられるよう日頃から世話しているということだ。
そんなことを考えながら生活していると、ついつい怒りすぎてしまうこともある。炊事、洗濯、掃除とあり、せめて炊事だけでもと教えていても、二歳のルーカスには難しい内容が多すぎる。火は危ないということ、火傷したら冷やせということ、作った料理はできるだけ早く食べ切ることなど、伝えることにキリがなかった。
ルーカスに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになっていたシーナは、しばらくやめていた日記を再開することに決めた。日記を書けば、その日に何を怒ってしまったか、どう感じたかなどを記録しておくことができる。さらに、後日読み返したときに、「このときは怒りすぎた」などと反省することもできる。
毎日記録していくうちに、いつしか、怒ったことを書く機会が減っていった。それはつまり、ルーカスが成長して、身の回りのことを自分でできるようになってきたということだ。
そうして、日記を毎日書くことはなくなった。怒ってしまったとき、ルーカスと遊んだとき、嬉しかったときなど、何か書きたいことがあったときに書くだけのノートになった。
派遣が決まった後は、それまで以上に時間の経過が早いと感じた。学校から家に帰ってからは、ルーカスの世話と家を出るための準備を同時に行っていく必要があった。全く休めない日々が続いた。
現代魔法研究所への入所は、学校側が手配していた。……といっても、ダラン総合魔法学校がその名でシーナを推薦するのではなく、他の校外調査員たちによる口伝えのルートで、なんとか現代魔法研究所に推薦するという、極めて面倒な作業だ。
しかし、その成果もあり、それから三年後に「シーナ・ダース」という新しい名前を授かって研究員になることとなった。シーナ・ダースという人間は存在しないし、シーナ自身と関連しそうな情報はすべて学校側で断ち切っている。つまり、真っ白な「シーナ・ダース」が誕生したようなものだ。
なぜ三年後になるかというと、入所決定のタイミングでは暫定であるだけで、そこから研究所側が新入研究員の素性を調べるためだ。学校への入学でもそうだが、基本的に、「入学」や「入所」の決定は、あくまで暫定的な意味しかなく、そこから不適格な人物とみなさられる場合もある。そのプロセスあるいは基準として設けられているのが、魔法学校の場合は魔法適性検査に当たり、研究所の場合は素性調査というわけだ。
魔法学校の魔法適性検査は明確な判断基準があるが、現代魔法研究所の素性調査は何が行われているのか、外見上全くわからない。とはいえ、今回のシーナの場合、ダランが完全にシーナの情報を消しているため、特に問題はないだろうとみられる。
シーナを現代魔法研究所に派遣することの学校側の目的は、大きく分けて二つだった。一つは、世界を分裂させる魔法とやらの研究の実態を把握すること。そしてもう一つは、研究所を消滅の方向に持っていくことだ。
二つ目は、研究所そのものを破壊するなどといった意味ではなく、研究員を減らせということだった。現時点で一体何人の組織なのかはわかっていないものの、大きな建物があり複数人が出入りしていることから察するに、一人や二人の規模ではないことは確かだ。
そして、今回の任務には、シーナの個人的な目的もあった。……リリアの意思を引き継ぐことだ。




