8 想起の魔法 ②
モアに助けられた後、シーナは二歳になるまでグランヴィルにある孤児院に預けられていたらしい。
グランヴィルにある孤児院は、アールベストの地方機関によって運営されているものだ。他の孤児院も例外なく、すべてが属する地方機関によって運営されている。たとえば、リラ地方のロベリアにある孤児院は、リラ地方によって運営されている。
地方機関によって運営されているということは、その内部の情報は、基本的にその地方にある学校にも伝わっている。シーナがいたグランヴィルの孤児院も、情報はすべてダラン総合魔法学校やイッサール一般学校に伝わっていたといって良いだろう。
どうしてそのような制度になっているかというと、孤児院は三歳までの子どもを預かる場所だからだ。四歳になれば子どもたちはどこかの学校に通うことになる。身寄りのない子どもは、学校の寮に入ることになる。したがって、四歳以上の子どもを預かる必要はないということだ。
どこの学校に入るかは、基本的には子どもの親が決める。しかし、孤児院に通っている子どもには親がいない。したがって、四歳になったときにスムーズに学校に入学できるよう、あらかじめ学校と情報を共有しておくというわけだ。
孤児院でのシーナの生活は、至ってシンプルだった。誰かに刺激されるようなこともなく、シーナはまるで穏やかに生活していた。時々怒ったときに魔法が発動されることもあったが、孤児院の先生が彼女の魔法を止めていたおかげで大事に至ることはなかった。
孤児院ではシーナは常に一人だった。元から孤児院にたくさんの子どもたちがいたわけではないが、彼女の鋭い目つきに他の子どもたちは恐れていたのだろう。誰も近寄ってくることはなく、彼女に話しかけるのは決まって先生だけだった。昔のシーナは「愛嬌」などという言葉とは無縁で、誰も引き寄せないタイプだった。
時折モアが孤児院にやってきては、先生からシーナの様子を聞き取っていた。それもすべて、二歳からダランに入学させるための準備だったのだろう。
平穏そうに見えた孤児院生活も、突然の終わりを迎えた。ある日突然シーナの魔法が暴発し、いつも彼女の世話をしていた先生が命を落としたのだ。このことも踏まえ、後にリリアたちは、シーナの魔法が暴走することがないよう「忘却の魔法」をかけたということだろう。
シーナの得意とする魔法属性はコントロール系魔術だが、他の属性の魔法も一貫して使いこなすセンスがある。このときに無意識に発動した魔法は火炎魔法だった。
その後、この孤児院は閉鎖され、近くに新しく建て替えられたらしい。シーナの記憶の中で、新しい孤児院に関する新聞記事が映っていた。
ちょうどこの事故が起こったのはダランに入学する直前のことだ。最初から二歳で入学することはほとんど決まっていたのだろうが、この件のおかげで後戻りできない状況になったのだろう。
◇◆◇
他にも、全く覚えていなかった記憶が次々と蘇ってきた。
フローラの記憶がそうだ。現在の自分の夫はイールスで間違いないが、過去の恋愛相手はフローラ・モナコという青年で、シーナは当時、ぼんやりと彼と暮らしたいなどと考えていたことが思い出された。
結婚式の直後、イールスの言っていたことを思い出した。彼がシーナたちの結婚のことを「一種の画策」と表現したのは、本来的にはシーナと結婚するのがフローラだったところを、フローラを消してイールスと結婚することになったからだ。当時のリリアはダランの人間だった時期がある。そのときに、シーナとイールスを結婚させることで、また強い子どもが産まれるなどと思案したからだろう。要すれば、このこともリリアの予定どおりだったわけだ。
また、リリアの記憶を照らし合わせると、ダランとしては、シーナとフローラが結婚することは認められなかったのだろう。そこで、適当な口実もつけられるタイミングでフローラを消すことにし、同時にそれまでの記憶を消し去ることで、新たにイールスとの嘘の関係性を作り出したというわけだ。
過去の記憶が全くないシーナが、リリアたちの言っていることを疑うはずもなく素直にイールスと結婚することになったわけだが、その選択が正しかったのかどうかなどと今更考えることはよしておくことにした。
しかし、フローラが死んだことを思い出した途端、頬から涙が流れるような心地がした。当時、シーナ自身にとって、最愛なるフローラが死んだと聞いたときには心が壊れていたはずだ。そんなことも全く覚えておらず、今になって当時の感情を思い出し、大人になってもどうやら平常心でいることは難しいようだ。
「僕たちが一番幸せだ」
そうフローラが言ってくれたことも、今となってははっきりと思い出せる。シーナにとって最も大事だった彼が突然イッサールで亡くなることになるとは、全く考えてもいなかった。
しかし、現実はあまりにも無慈悲だった。リリアが記憶の中で言っていたとおり、その最悪の出来事は最も信頼していたリリアによって起こされていた。そのリリアはカクリスの校外調査員で、本来であれば最も憎むべき相手なのに、憎み切ることすら難しい関係性となってしまっていた。
シーナにとって、ただ「悲しい」という感情を誰にもぶつけられないことは、この上ないストレスだった。
「想起の魔法」で過去のすべての記憶が蘇ってきた。
過去の自分が一体何を考えていたのか、どのようにして今に繋がっているのか、そういったことが次々に明らかになった。
シーナにとって衝撃的だったのは、二度目の「忘却の魔法」をかけられるときの自分の姿だった。最も信頼していたリリアを前に、シーナは自分を殺してくれと必死に懇願していた。
今であれば、どのようにして相手を殺すかを真っ先に考えるだろうが、当時の自分はあまりにも経験不足だったのかもしれない。とにかく、リリアに助けてほしいという気持ちが優っていた……たとえリリアが仲間ではなくても。
「想起の魔法」によって思い出された記憶、そのすべてがシーナにとって大事なものなのだろうが、一連を通してあまりにも色褪せて見えた。過去のことがどうでもよくなったわけではないし、鮮明に思い出せないわけでもない。ただ、すべてがあまりに儚く、今を生きるシーナ自身にとって真っ直ぐ見つめることができなかったのだ。
シーナが次に目覚めたとき、全く同じ場所に横たわっていた。あまりにも海の音が近いと感じ首を動かしてみたところ、波がすぐ目の前まで迫っていた。満潮になりつつあったのだ。
シーナはフラフラと立ち上がると、草木の生える方向に向かって歩き進めた。魔法陣は波に拐われ、半分は消えてしまっていた。
過去のことを思い出そうとすれば、これまでになく過去のことが鮮明に思い出される。「想起の魔法」で思い出した記憶は、問題なくすべて彼女のものになったようだ。




