7 リリアの記憶(二) ②
……さて。その後のこと。
急にこんなことを言うのもだけど、私はそのときまで、一度も恋をしたことがなかった。しかし、教員になってから、生まれて初めて恋をしたの。同じタイミングでカクリスの教員になった人に。
彼は本当に優しくて、休日はずっと一緒に過ごした。あなたも知っているとおり、校外調査員はほとんど休日がないのに、本当は休みたいなんて気持ちをどこかに追いやって過ごしていた。彼といることが、私にとって休暇だったの。
それでも本当に休みだった日は、私たちは遠出をして楽しんでいた。数少ない休日だったから、何か特別なことをしたかったの。
あるとき、私たちは、リラから出てアールベストにやってきたことがある。敵地に旅行に行くなんて、考えられないでしょう? でも、私たちはグランヴィルにやってきた。
グランヴィルの街並みが本当に美しいことは、リラでも有名なの。だから、こっそりと旅行に来る人は多い。実際、私の周りにも数名旅行に来ていた人がいたわ。
私たちはグランヴィルで、本当に素敵な時間を過ごした。レストランの店主と談笑したことも覚えているし、彼と見知らぬ子どもが広場で遊んでいたことも覚えている。今もそうだし、昔からグランヴィルは素敵な街なの。
同時に、楽しい時間を過ごした私たちの心には、「アールベストは本当に敵なのか。悪い存在なのか」という気持ちが生まれてきた。
もちろん私たちが私服だったからということは考えられる。でも、微妙に使う言葉が違ったりして、長く話していると、相手がどちらの出身かはわかるでしょ? 実際、私たちもあったと思うの。
それでも、誰も私たちに「リラから来たのか」と聞いてくる者はいなかった。わかっている人はいただろうに、誰もそんなことを聞いてこなかった。
つまり、心の中では私たちがリラの人間だとわかっていても、誰もそれだけを理由に私たちを拒絶する者はいなかったの。
カクリスでは「アールベストの人間には注意しろ。自分がリラの人間だとバレたら攻撃される」と教わる。ダランではその逆を教わる。でも、実際には、誰もそんなことをしてこなかった。
私は、次第に、アールベストが悪いわけではないのではないかと思えてきた。でも、仕事は別に果たす必要があった。
ある日、私は当時のカクリスの総合指揮官から、ダランに派遣すると伝えられた。ダランにカクリスの人間が入っていることは多少知っていたから、とうとうこの日がやってきたかと思ったわ。
このとき、なんとしてでも総合指揮官になるよう強く指示された。つまり、ダランの総合指揮官になって、学校の動きを逐一把握することを任務に課された。
ちなみに、先にダランに入っていた人物……フェデラック・ベルンは、副学長になるよう指示されていた。その後輩的なものね。
フェデラック・ベルンが当時のダランの総合指揮官と仲が良かったから、私のことをうまく持ち上げてくれて、私がダランの総合指揮官になることは容易だった。そうしてダランの総合指揮官になった私は、不覚にも、早速ある情報を耳にする。……私の彼氏が死んだということを、いや、カクリスに殺されたということを。
理由は至って単純だった。グランヴィルを楽しんで、グランヴィルに対して多少なりとも愛着を持ったから。彼は表向きは隠していたけれど、どこかでボロが出てしまった。結果、教員として相応しくないとして極刑になった。
私は、いつかリラに帰ったときに会えると信じていた彼が学校に殺されたことに、幾分信じ難い気持ちでいっぱいだった。さらに、そのことを考えれば考えるほど、学校に対して憎らしい気持ちも募ってきた。
でも、総合指揮官という高い身分にあった私は常に学校に監視されていた。カクリスからもダランからも。だから、下手な真似はできなかった。いつかその気持ちを燃焼したいと思いながらも、自由に行動できないまま時間だけが過ぎていった。
結局死ぬ直前まで、私は自分の気持ちに素直になることができないままだった。いつか彼を殺した人物を殺したいと思いながら、自分が先に死ぬことになった。
私の彼を殺した人物は、私の両親を殺した人物でもあった。本当に憎むべき相手。あなたには、いつかあいつを殺してほしい。
……ハワード・セルビアンツィーノという男よ。よく物事を見聞きしていて、いつかあなたも尻尾を掴まれるかもしれない。カクリスの中でも本当に気を付けるべき人物の一人よ。メラニアの次の総合指揮官は彼だと確定しているわ。
◇◆◇
「リリア、久しぶり」
シーナは柩の中で硬く目を瞑って眠っているリリアに声をかけた。もちろん返事はない。
「リリアの記憶を見て、私なりにいろいろと考えた」
そう言いながら、リリアの頭に手を伸ばした。優しく撫でてみたが、目を開くことはない。
「私たちは、一体、どこに向かって走っていたんだろうね」
唾を飲み込んで、さらに続けた。
「私もリリアも、自分では走っていなかった。誰かに走らされていた。……そう言いたかったんでしょ?」
シーナはリリアの頭を撫でる手を止め、次は、彼女を殺すときにナイフを刺した箇所に添えた。外見上、服には何も穴や傷らしいものは見当たらないが、その綺麗な服を捲れば抉れているのだろう。
「リリアの言いたいことはわかる。……でも、間違ってるよ、そんなの」
また唾を飲み込んで続けた。
「私は自分の足で走っていた。リリアだって、自分の足で走っていた。……でしょ? 勝手に他人のせいにするなんて、リリアらしくない。……私の知っているリリアは、……もっと強い人だよ」
言い切ると、涙が瞳に溜まっていることに気が付いた。それでも、彼女はそのまま話し続けた。
「……私を育ててくれて、ありがとう……。私を育ててくれたリリアは、きっと、自分の足で立って走って、私のことを見守ってくれていた。私のことをうまく利用しようとしていたのかもしれない。支配しようとしていたのかもしれない。……でも、自分の足で立っていたから、私を殺せる状況でも殺さなかった。そうでしょ? 心の中では、私のそばにいたんでしょ?」
シーナは数秒間だけ立ち竦んでいたが、意を決したように手をローブの内ポケットに突っ込んだ。
「——じゃあ、……ごめんね」
内ポケットから出した手には、気密性の高い容器が握られていた。次に、レッグホルスターからナイフを一本抜き取った。
「リリアの分も、……がんばって生きるから」
ナイフでリリアの首筋を少しだけ切ると、そこから血が滲み出てきた。すかさず容器の口を開け、首から流れてくる血を受け取るように配置した。
心臓が止まっているためゆっくりとゆっくりと流れてくる血を目の前に、シーナの瞳から涙が次々に溢れ出てきた。
「ありがとう……」
次第に身体の力が抜けてきて、シーナは床に膝をついて柩にもたれかかり泣き続けた。その間も、リリアの血は止まることなく容器に溜まっていった。
薄暗い部屋で、彼女の咽び声だけが響き渡った。
◇◆◇
いろいろ話したわね。
あなたは本当に強い人。でも、まだちょっと子どもっぽいところもあるかしら。
シーナ、こんな私だったけど、あなたに出会えてよかった。ありがとう。本当にまともな人生を歩んでいないし、性格も歪んだ私だったけど、一緒にいてくれてありがとう。
私の記憶……あなたに伝えたいことは、これで終わり。
現代魔法研究所には、「想起の魔法」の発動方法が記された本がある。言いたいことはわかるわよね? 現代魔法研究所に行って、あなたの記憶を呼び戻しなさい。
……そうそう、「想起の魔法」の発動には、あなたの血液だけでは足りないでしょう。だから、死んだ私の血液を持っていきなさい。
「想起の魔法」の発動方法を記した本は、指導官室の本棚に置かれている。必ず、自分の記憶を取り戻して。
あなたにとって、辛い真実を知ることにもなるでしょう。でも、目を背けないで。あなたも私も、——この世界の被害者よ。




