6 リリアの記憶(一) ①
「私が着いたとき、君は完全に気絶していた。出血が激しかったから、もっと遅くなれば危険だったかもしれなかった」
そう告げられたのは、シーナが自宅で目を覚ました直後のことだった。ベッドの脇のイスに座っていたイールスが、彼女が目を開いたことに気が付いて説明を始めたのだ。
シーナ自身、イールスに何と返事をしたかは覚えていない。しかし、直前まで彼女が気絶しながら見ていた夢については、しっかりと覚えていた。他でもない、リリアが彼女自身の最期にシーナに授けた記憶だ。
完全に気絶しており、意識もなかったのだろう。イールスは、シーナがリリアの記憶を見たなどとは全く想像もしていない様子だ。
そして、彼女もそれを話そうとは思っていなかった。自分が見たリリアの記憶は、自分の中に留めておこう。そう心に決めていた。
「シーナ、これは、私があなたに教える、……いえ、伝えなければいけない、最後のことよ」
記憶の冒頭で、リリアはシーナに語りかけてきた。この記憶は、リリアがシーナに残す、最後のメッセージということだった。
◇◆◇
今更話すことは申し訳ないと思う。でも、最後までしっかり聞いてほしい。
まず伝えたいのは、私は、過去にあの人から「忘却の魔法」をかけられたということ。
知っているとは思うけど、「忘却の魔法」は、記憶の全部または一部を、記憶の外に出してしまう魔法のことよ。ただし、断片的でも、時々記憶の中に戻ってくることがある。したがって、忘却しているはずのことでも思い出しそうになり、挙動が不自然になることがある。また、魔法にかかっている人の意思が強ければ、少しずつ記憶が戻っていくこともある。
「忘却の魔法」は強力な禁術であり、……同時に、不完全な魔法なの。
最初にかけられたのは、あなたがまだ二歳のこと。
あなたは当時の記憶を失っているから何も覚えていないでしょうけど、あなたは拾われた子なの。そして、二歳の頃からあなたの面倒を見たのは私。
どうして私はあなたの面倒を見たのか。……あなたをいつでも殺せるように。
こんなことを言っても信じ難い部分もあるかもしれない。けど、今だからこそ、真実を話すわ。
あなたを殺す理由はただ一つ。……私はカクリスの人間だったの。そして、あなたの強力な魔法に対し恐れた。あなたを野放しにしておけば、いつかカクリスの敵になると思った。
だから、私はあなたをいつでも殺せるように、私の懐に置いておいたというわけ。そして、あなたに「忘却の魔法」をかけることにした。あなたの魔法が暴発したら、私であっても対処が困難になりかねない。だから、無意識に魔法を使ってしまうということまで消し去ったの。……あとは、そうね、勝手に生まれ故郷に戻ったりしても困ったし。
もちろん、その後すぐに殺しはしなかった。そもそもあなたがどんな人間かわからない上に、拾った子を早速殺していては、私自身が疑われかねない。つまり、あなたは私に生かされた。
けど、間もなく、今度は私に「忘却の魔法」がかけられた。するとどうなるか。
——私の中から、「自分はカクリスの人間である」という記憶が失われた。そして、新たに、「自分はダランの人間で、ダランを強くすることが任務」という思想が植え付けられた。
それまでの記憶がない私は、何も疑うことなくその思想に従っていた。あなたの面倒をしっかり見て、ダランの仕事をきっちりとやってのけた。
私がダランの人間になったことは、カクリスの誰も知らなかった。おそらく、私が何も問題なくダランで働いていると思ったのでしょう。誰かが手紙をよこすこともなかった。
ただ、あるとき、異変に気が付いた人がいた。……メラニア・エドワーズよ。
あなたは覚えていないでしょうけど、あなたと私は、以前、メラニアに会っている。そのとき、私たちは引き下がれない交渉を受けることとなった。
私は、あの話自体がどこからやってきたものなのか知らない。けど、彼女がわざわざ私に会ったということには、理由があった。
当時、あなたも不思議がっていた。「どうしてメラニアは手紙を送ってこればいいものを、わざわざ出てきたのか」と。
今、ようやくその理由がわかった。……メラニアは手紙を送れなかったのよ。
それはなぜか。自分の送っている手紙が、私に届いているとは思えないことがあったから。
だから、メラニアはわざわざプラルの郊外まで出てきて、私に接触した。メラニアからすれば、自校の校外調査員が無事にやっているか、生きているかを確認したかったんでしょうね。その目的自体は成し遂げられた。
しかし、当時の私は、ダランの人間。つまり、自分がカクリスの人間だとは思っていなかった。だから、メラニアの行動を理解できなかった。
そのときの話だと、ユキアのことはあまりあなたに伝えなかったわね。申し訳ないと思っている。
ユキアは……あなたと同じ、校外調査員だったの。どういう意味かわかる? 今日あなたがここに来たのと同じように、私は、ユキアを現代魔法研究所の調査に派遣したの。滞在先は対岸のハルセロナで、数日間だけの調査だった。
そこで、ユキアはある事実を目にしてしまった。……そう、現代魔法研究所に、私の名前があることでしょうね。
ユキアは間違いなく驚いたと思う。しかし、彼女が帰ってくる途中、現代魔法研究所にいたことが何らかの形でばれたのでしょう、プラルの郊外でメラニアに殺されたというわけ。
……一つだけ引っかかることがある。ユキアは私のことをこの上なく信頼してくれていた。だから、もし私の名前が現代魔法研究所にあったとしても、それが事実かを確かめてくる気がする。でも、そんなことはなかった……。
◇◆◇
イールスは台所から紅茶を持ってベッドの脇に戻ってきた。小さなサイドテーブルに置かれた紅茶を眺めていると、そのゆらゆらと揺れる水面に、自分の顔が歪んで映っている。
「イールス、私、どれだけ寝てた?」
「今日で……四日目だな」
「そっか……」
シーナは紅茶に手を伸ばした。
「心配させたよね、ごめん」
「いいや、大丈夫だ。こうして、また意識が戻ってくれて、それだけで大丈夫」
イールスは一瞬だけ言葉を切ったが、またすぐに口を開いた。こういうときは、大抵良くない話をするときだ。
「リリア・ボードのことは、……その、……申し訳ないと思っている。彼女がダランにやってきたときに、疑ってかかるべきだった。総合指揮官になることを承諾したのも、軽率だった」
「ううん、リリアのことは何も言わないで」
イールスが申し訳なく感じる気持ちはよくわかる。しかし、シーナは、リリアから有用なメッセージを受け取った直後だ。彼女にとって、今、リリアのことはそっとしておきたい、触れたくないというのが本音だった。
イールスは黙り込んだ。ようやく、シーナは紅茶を口にした。




