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薄っ暗い廊下の先に見えたゾンビは、小学生ぐらいの子供だったんで、こっちも驚いちまったぜ…。
オレのボウズと同じぐらいの年格好だから、つい思い出しちまって、そいつが突進してくるまでバカみてぇに突っ立ってたのよ。
…「はっ」と身構えたときは遅かった。
そのガキは、日本刀を持ってるオレの左手に噛み付きやがったのよ…。
我に帰ったオレは、散弾銃の銃口をガキの額に押し付けて、思いっきり引き金を引いてやったんだが、そのガキは生意気にも、オレの左手の小指を食いちぎって逝きやがった。
…だらだらと流れ出る血糊が、ジャンパーの袖を真っ赤に染め出したとき、オレの心ん中に武藤の顔が浮かびやがった。
「まってろよ」オレは、呟くようにそう言うと、ジンジン痺れてくる左手を庇いながら、学者先生の名前を呼んだのよ。
どっかで見てたらしい学者先生は、研究室のドアから飛び出してくると、すぐにオレの様子を確認した。
「まさか、本当に助けに来るとは思わなかった」って弱々しい声で言いながら、白衣姿の初老の学者先生は、オレの手に止血処理を始めたが、「このままじゃ、ゾンビ化は避けられねぇから、すぐに左腕を分離する」って言い出した。
…まってくれよ…。分離って…、切られちまったら、片手でどうやって生きていきゃいいんだよ。
学者先生は「ゾンビに成りたくはないだろう」って優しい声で言ったけど、手術なんてオレは嫌だぜ…。
そしたらよ、「自分は外科の医者じゃ無ぇから手術は無理だが、ここ何日かのゾンビ症候群の研究で、ゾンビ化の進行を抑制する酵素を発見した」って言うじゃねぇか。
まだ、試験管レベルでしか確認されて無ぇから、人や動物に効くかどうかは判らねぇのに、学者先生がオレの目を見て「臨床実験に志願する気はあるか。?」って、聞きやがる。
こうなりゃ、どうとでもして貰おうじゃねぇか。
オレは焼けクソで、左手を学者先生の方に差し出したのよ…。
連れて行かれた先は、学者先生がずっと立て籠もってた研究室らしい。
汚れた試験機材の間に、先生の洋服やら、食い物のカスが散乱し、部屋の中には、饐えた臭いが漂ってた。
学者先生の指示に従って、左手を差し出したオレは、何本かの注射を受けたのよ。
痺れる左手を体に固定するように、グルグル巻きに包帯を巻かれた頃には、腕全体が燃えるように熱くなってきやがった。
オレは片手で、学者先生の脱出の準備を手伝ったんだが、そのうち全身まで発熱したみてぇに熱くなって来ちまって、立っているのがやっとの状況になっちまった。
学者先生を助けるどころか、オレが学者先生に支えられながら、二人して廊下の階段を転げるように降りたのよ。
一階のロビーにゃ、さっきのゾンビの残骸の他に、新しいゾンビ野郎が到着してやがる。
発熱する体で目の前がボーッとなっちまったオレだっだが、どうにか散弾銃の狙いを着けると、容赦なしの二連射をお見舞いし辛うじて勝負を付けたのよ。
…転がるように建物を飛び出したオレと学者先生は、黄色い車体のタイヤローラーに向かったんだ。
自衛隊の小銃より重厚な音を立てながら、サコーのライフルを乱射する中島は、逃げずにローラー車を守っててくれたらしい。
中島メガネ猿は、血走った目を見開きながらも、死にもの狂いでゾンビ野郎の頭をふっ飛ばしてた。
オレはフラフラになりながら、ベルトに差したトカレフを取り出すと、向かってきた入院患者のゾンビどもに向けて、引き金を引き続けた…。
…無我夢中だったから、当たったかどうかも判らねぇけど、スライドが開いた状態になって、それ以上引き金を引けなくなった頃、タイヤローラーとオレ達を隔ててた、ゾンビの壁が無くなった。
オレは、倒れたゾンビを乗り越えながら、学者先生をタイヤローラーに押し上げると、自分も片手一本の力で、何とか運転席に乗り込んだのよ。
…それから、オレの意識は途切れ途切れになっちまって、どうにも判らねぇんだが、あっちこっちにぶつかりながら、ローラー車を運転してたみてぇだ。
…最後に覚えているのは、夕暮れの中、対向車線を走ってくる緑色のバスの赤く染まったフロントガラスだったな。
その時オレは、訳も判らずほっとして、熱に潤んだ目蓋の奥から、熱湯みてぇに熱いモンが、後から後から沸き出して、それっきり、ぷっつりと意識が飛んじまったんだ。




