第5話:1000億円の退職届
「それにしてもアルム、富を得るというのは……サラリーマンだった頃とはまったくレイヤーの違う世界が見えてくるものなのだな」
25歳の姿へと若返った父・巌は、ポケットの中でひっきりなしに震えるスマートフォンをチラリと見て、フッと余裕の笑みを浮かべた。
「あぁ、確かに口座に大量資金流入警報のメールが来ているなぁ。以前の私だったら、泡を吹いてうろたえていただろうなぁ」
ピコーン、ピコーン――!
巌のスマホには、ありとあらゆる機関や怪しい業者から怒涛の勢いでメールが届き続けていた。
* 『【超重要】金融商品のおすすめ・特別ポートフォリオのご案内』
* 『環境庁からの緊急寄付のご依頼について』
* 『未公開・新商品デリバティブの圧倒的優位性と投資のご案内』
* 『国防長官からの振り込め詐欺への対応方法および資金保護について』
* 『【国税局】還付金のお受け取り方法のご案内(要手続き)』
* 『【極秘】資産1000億円プレイヤー限定・有料投資の極秘資料』
「ふっ、怪しい表題のメールばかりだな。国防長? 国税局? 本来公的機関からの正式な連絡なら、ドメインは『.go.jp』だろうに。フィッシング詐欺にもなっていない粗末なスパムだ」
アルムが施してくれた思考加速修正パッチのおかげで、巌の脳内演算能力は現代のスパコンを遥かに凌駕している。届いた数千通の詐欺メールや胡散臭い勧誘を、0.001秒で一蹴・自動ブロック&迷惑メールフォルダへ叩き込んでいく。
「1000億円の資産を持った瞬間、ネットのハイエナどもが一斉に群がってくるとは……。現代社会の歪みがよく分かるよ」
「あはは、さすが巌さん。思考パッチを完璧に使いこなしているね」
二人の頼もしすぎるやり取りを前に、社内の空気は完全に固まっていた。
「な……なんなんだよお前ら!? 縦溝! お前は病気で入院してたはずだろ! それにそっちのイケメン……本当に巌部長なのか!? なんだよそのふさふさの髪と若さは! どんな手品使ってんだよ!?」
手首を解放された猪俣課長が、顔を真っ赤にして叫ぶ。
その怒鳴り声を聞きつけて、奥の社長室からネクスト・ソリューションズの社長・悪徳が肥満体を揺らしながら現れた。
「おいおい猪俣、騒々しいぞ。……ん? 縦溝じゃないか。無断欠勤の挙句、部外者を連れ込んで何の真似だ?」
「社長、部外者ではありませんよ。私の隣にいるのは、長年あなたがたが『閑職』として虐げ、低賃金でこき使ってきた縦溝巌部長です」
アルムが静かに、しかしフロア全体を圧する声で告げた。
「はあ!? 巌だと? ふざけるな、あんなハゲて胃潰瘍でヨボヨボの中年が、こんな若いイケメンなわけ――」
「社長。私の人事データと生体認証を社内システムで照会してみるといい」
巌がポケットから社員証をかざすと、オフィスの認証端末が『ピローン! 縦溝巌部長・本人確認完了』と間抜けな電子音を鳴らした。
「「「えええええええぇぇぇぇぇっ!??!?」」」
社員たちが一斉にひっくり返る。
「な……なんだその姿は!? 違法なドーピングか整形か!?」
動揺する社長と猪俣に向かって、巌はポケットから高級な和紙でできた一枚の封筒を取り出し、社長のデスクへ向けて滑らせた。
「本日をもって、私と息子のアルムは貴社を退職させてもらう。これが私たちの退職届だ」
「は、はあ!? ふざけるな! 縦溝の担当している炎上案件はどうするんだ! 損害賠償を請求するぞ! 会社を辞めたら路頭に迷うのはお前たちだぞ!?」
猪俣が威圧するように叫ぶが、巌は可哀想なものを見る目で猪俣を見つめた。
「路頭に迷う? 猪俣課長、先ほども言ったが、私たちは君たちとは見ている『レイヤー』が違うのだよ。……アルム、見せてやってくれ」
アルムがスマホを操作し、DW-QCS経由でネクスト・ソリューションズのメインモニターへデータを転送した。
**『ネクスト・ソリューションズ株式会社――全株式取得(TOB)完了のお知らせ』**
「「……は?」」
画面に躍り出た巨大な文字に、社長と猪俣の思考が停止する。
「な、なんだこれは……我が社の株式が、100%買収されている……!?」
「退職届を出すと同時に、貴社の発行済み株式をすべて買い取らせてもらった。買い取り資金は……まあ、私の口座に届いた1000億円のほんの端数だよ」
巌はフッと爽やかに微笑むと、青ざめる社長と猪俣を見下ろした。
「本日をもって、ネクスト・ソリューションズは我が新会社『アルカディア・テック』の傘下に入る。そして――元社長の悪徳、ならびに猪俣課長。解任だ。明日から君たちが『閑職』として、このオフィスの掃除でもしてもらうことにしよう」
「「な、なんだってぇぇぇぇぇぇっ!??!?」」
絶叫する悪徳と猪俣。
長年苦しめられてきた社内の社員たちから、どっと歓声と拍手が巻き起こった。
「す……すごい……! 縦溝くん……ううん、アルムくん! 巌部長……!」
状況の凄まじさに目を丸くしていた一ノ瀬ユミカの元へ、アルムが優しく歩み寄る。
「ユミカさん。こんな劣悪な環境で我慢する必要はもうありません。僕たちの新しい会社で、一緒に『みんなが幸せになれる未来』を作っていきませんか?」
手を差し伸べるアルムの胸板と、澄み切った瞳。
ユミカは胸をキュンと跳ねさせながら、迷わずその手を強く握り返した。
「はい……! 私、どこまでもついていきます……!」
1000億円の圧倒的資本とDW-QCSの知恵で、ブラック企業を一瞬で解体・買収した縦溝親子。
奪い合いの原始世界を塗り替える彼らの大改革が、最高の形で第一歩を踏み出したのだった――!
(第6話へ続く)




