第4話:密かな想い人と、ブラック企業の影
「さて、アルム。私の肉体とシナプスネットワークの最適化、さらにはフラクトライト――魂の記憶構造へのチューニングまで完了してくれたおかげで、頭の回転が以前の1万倍くらい速くなっている気がするよ」
25歳の姿へと若返り、ビシッと背筋を伸ばした父・巌が、自分の手を握り締めながら爽やかに笑った。
「ふふ、DW-QCSの量子演算にかかれば、人間の神経シナプスの書き換えや量子脳構造のコンフォートゾーン補正なんて簡単なものだからね。これで父さん……ううん、『巌さん』は、どんな世界的重圧にも耐えられる無敵のメンタルを手に入れたわけだ」
「ああ、感謝するよ。それにしても、世界中に眠る400兆円もの死に金を自由に動かせるというのに、私には『たったの1000億円』に留めておいてくれたのも、実に粋な計らいだ。いきなり数兆円も動かしたら、現世の税務署や金融庁の原始的なシステムがバグを起こして面倒なことになっていただろうからね」
「あはは、分かってくれて嬉しいよ。さあ、それじゃあ病室で退院手続きのフリ(システムデータの書き換え)も終わったことだし、さっそく僕たちの最初の『バグ修正』に向かおうか」
アルムの言葉に、巌が力強く頷く。
二人に向かう先は――過労死寸前までアルムを追い詰め、巌を閑職に追いやって搾取し続けてきたブラックIT企業『ネクスト・ソリューションズ』だ。
◇
ネクスト・ソリューションズのオフィスは、相変わらずどんよりとした重苦しい空気に包まれていた。
カタカタと悲鳴のようなタイピング音が響くフロアの隅で、一人の女性社員が書類の山を前に力なくため息をついていた。
**一ノ瀬ユミカ(いちのせ・ゆみか)、22歳。**
入社2年目の彼女は、持ち前の真面目さと優秀さゆえに、過酷なサービス残業と不当な業務量を押し付けられていた。
そして何より彼女を苦しめていたのは、上司である猪俣課長からの粘着質なハラスメントだった。
(はぁ……今日も終電かな。縦溝くん、大丈夫かな……。病院で倒れたって聞いたけど、猪俣課長が毎日のように嫌味を言いに押しかけてるみたいだし……)
ユミカは胸の奥がキュッと痛むのを感じていた。
気弱で大人しいけれど、誰よりも誠実で、こっそり自分の業務を手伝ってくれた同期の縦溝アルム。彼に対して、ユミカは密かに淡い恋心を抱いていたのだ。
「おいおい、一ノ瀬ぇ〜。何お外を眺めて黄昏れてんだぁ?」
ねっとりとした、不快極まりない声が頭上から降ってきた。
振り返ると、ニヤニヤと卑屈な笑みを浮かべた猪俣課長が、嫌らし気な視線をユミカの胸元から脚へと這わせながら立ちつくしていた。
病院から逃げ帰ってきた直後のはずだが、アルムの『ナノバイタルオブジェクト』によって肩こりと肝機能が完全回復してしまったため、妙に元気だけは有り余っているらしい。
「い、猪俣課長……。申し訳ありません、すぐ書類の整理に戻ります」
「だろ? お前さぁ、同期の役立たずな縦溝の穴埋めで大変なんだからさ。今夜、俺と二人で『手伝い』っていう名目で飲みに行かない? 居酒屋でじっくり君の査定について相談に乗ってあげてもいいんだぜぇ?」
猪俣は距離を詰め、ユミカの肩に手を置こうと粘着質な手を伸ばしてくる。
「っ……! い、いえ! 結構です! 自力で終わらせますから……!」
ユミカは怯えて身を引こうとするが、背後は壁だ。
嫌悪感と恐怖で身体がすくみ、固く目を閉じた――その時だった。
**ガシッ。**
「ひっ……!?」
猪俣の手首が、空中でピタリと止まった。
誰かがその手首を、まるで油圧プレス機のような圧倒的な力で掴み取ったのだ。
「他人が不快がるスキンシップは、ハラスメントという名の暴行ですよ、猪俣課長」
静かだが、フロア全体の雑音を一瞬でかき消すほど深みのある声。
ユミカが恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「……た、縦溝……くん……!?」
そこに立っていたのは、病気で倒れ、ひょろひょろだったはずの縦溝アルムだった。
しかし、以前の彼とはまるで違っている。
病的な影は一切なく、背筋はピンと伸び、がっしりとした胸板と凛々しい顔立ち。眼鏡の奥にあった気弱な瞳は消え、世界を覆いつくすほどの圧倒的な自信と知性がみなぎっていた。
「あ……が……っ!? あ、アルム……お前、なんでここに……!?」
手首を固く握られた猪俣が、顔を蒼白にして悲鳴を上げる。病室で味わった「別次元の存在」への恐怖が、再び脳裏を駆け巡ったのだ。
「ユミカさん、怪我はありませんでしたか? 遅くなってすみません。もう大丈夫ですよ」
アルムは猪俣の手を払うように解放すると、ユミカに向かって最高に優しく、暖かな笑みを向けた。
「あ……うん……! 縦溝くん……すごく、雰囲気が変わった……?」
赤面しながら呆然とするユミカの横に、さらに見覚えのある「超絶イケメン」が爽やかに歩み寄ってきた。
「やあ、一ノ瀬さん。うちのアルムがいつもお世話になっているね」
「えっ……!? どちら様ですか……? どこかでお会いしたような……」
ユミカが目を丸くするのも無理はなかった。
そこに立っているのは、スーツをスタイリッシュに着こなした25歳ほどのモデル顔負けの青年――しかしその面影は、不遇の閑職部長であった**縦溝巌**そのものだったからだ!
「フフッ、何を隠そう、私はアルムの兄……ではなく、父親の巌だよ。病気とストレスが完全に治ったら、少し若返ってしまってね!」
「ち、父親ぁぁぁあ!? 部長なんですかぁぁ!?!?」
ユミカだけでなく、周囲で遠巻きに見ていた社員たちからも、ひっくり返るような驚愕の悲鳴が上がった。
ブラック企業のどん底で苦しんでいた仲間を救い出し、会社そのものへ絶大な『修正』を叩きつけるべく――最高にハイスペックとなった縦溝親子の無双劇が、ついにオフィス全体へと解き放たれる!
(第5話へ続く)




