↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/28

第25話 物は試し

挿絵(By みてみん)

 翌朝。


 恒一は、小屋の中を浮かぶあかりの姿に僅かな違和感を覚えた。


 昨日までと大きく変わったわけではない。


 顔も、長い白髪も、水の光を纏った身体も、いつもどおりに見える。


 ただ、指先の輪郭が少し薄い。


 髪の先も、光へ溶ける範囲が広くなっていた。


 恒一は寝台から立ち上がり、あかりの前へ回る。


「あかり。少し、手を見せてもらえますか」


 言葉の意味は伝わらない。


 それでも、恒一が掌を上へ向けると、あかりも同じように手を差し出した。


 触れる。


 冷たい。


 だが、以前より薄い感触だった。


 指を重ねた場所で、水の表面が僅かに揺れる。


 あかりの掌が透けて見えた。


挿絵(By みてみん)


「気のせいではなさそうですね」


 あかりから、不安が伝わってくる。


 恒一が何を気にしているのか、彼女にも分かったらしい。


「すぐにどうにかなるとは思っていません。ただ、変化があるなら原因を知っておきたいです」


 あかりは自分の手を見る。


 指を曲げ、開く。


 動きに問題はない。


 五メートル以上離れれば、あかりが消えてしまうかもしれない。


 その危険は、これまでの経験から分かっている。


 だが、近くにいるだけで十分なのか。


 契約が彼女の身体を維持しているのなら、距離以外にも条件があるかもしれない。


 恒一は考えながら、あかりの手を離した。


 そのとき、昨日の配信を思い出す。


 村を出るまでの日程は決まった。


 必要な準備も、少しずつ進めている。


 今日は大きな仕事をする予定もない。


 配信をするなら、落ち着いて村で過ごせる今のうちだった。


「今日は、あなたを見てもらいましょうか」


 恒一は配信画面を開いた。


 あかりが首を傾げる。


 恒一は空中へ四角を描き、自分を指す。


 次にあかりを指した。


 最後に、片手を振ってみせる。


 配信のことだと理解したらしい。


 あかりは少しだけ身構えた。


 それでも、逃げることはなかった。


「無理に何かをしなくても大丈夫です。そこにいてくれるだけで構いません」


 恒一は配信を開始した。


     ◇


「こんにちは。ポチです」


 挨拶を終える。


 今日は服が破れる音はしなかった。


 濃灰の長衣は、胸も肩も無事なままだ。


 配信を始めたばかりの視界に、コメントはない。


 前回の配信終了後に送られた言葉が、次の配信へ持ち越されることもない。


 十五分が経過するまでは、視聴者がいま送った反応も恒一には届かなかった。


「今日は大きな作業の予定がないので、村で過ごしながら配信します」


 恒一は新しい服の袖を見せた。


「昨日、村の方から頂きました。今度は簡単には破れないと思います」


 あかりが恒一の肩を見る。


 昨日、長衣が身体に合っているか確かめたときと同じ視線だった。


 恒一は小屋の中を映すように顔を動かした。


 壁。


 炉。


 薪。


 棚。


 寝台。


 あかりは少し離れた場所から、恒一を見ている。


 十五分ほど経った頃、最初のコメントが現れた。


《こんにちは》


《新しい服だ》


《服、生きてる》


《今日は挨拶を完遂した》


《そこから破れるんじゃないの?》


「破れません」


《断言した》


《前回も破るつもりはなかっただろ》


《切り抜きから来ました》


《初見です。服を破る人ですよね?》


「服を破る人ではありません」


 遅れて届くコメントなので、返事が噛み合うまでにはさらに時間が掛かる。


 恒一はそれでも訂正しておいた。


 同時接続人数は、普段より明らかに多い。


 昨日の切り抜きから来た者もいるらしい。


 画面の端で数字が増え続けている。


 新しいコメントが流れた。


《白い子は?》


《あかりちゃんいる?》


《昨日の反応かわいかった》


《あかりちゃんを映して》


 恒一は少し離れた場所にいるあかりを見る。


「呼ばれていますよ」


 あかりにはコメントが見えない。


 恒一は自分の視界を指し、次に彼女を指した。


 手招きする。


 あかりは慎重に近づいてきた。


 恒一の横へ浮かぶ。


 だが、この位置では配信画面に顔が入りにくい。


 恒一が顔を横へ向けると、画面の端に白い髪だけが映る。


 あかりを正面から映すには、向き合う必要があった。


 恒一は小屋の椅子へ腰を下ろした。


 正面へ来るよう示す。


 あかりが移動する。


 恒一の膝と彼女の間には、ほとんど隙間がない。


 このまま浮き続けてもらうより、支えた方が楽だろう。


 恒一は自分の膝を軽く叩いた。


 あかりの感情が止まった。


 彼女は恒一の膝を見る。


 恒一を見る。


 もう一度、膝を見る。


「ここへ座れば、おそらく…顔が映しやすくなります」


 伝わっていない。


 恒一は両手で、何かを持ち上げて座らせる動きをした。


 あかりから、理解と同時に強い動揺が届く。


 嫌がっているのかと思い、恒一はすぐ両手を下ろした。


「嫌なら、隣でも大丈夫です」


 あかりはしばらく迷っていた。


 やがて意を決したように、恒一の正面へ寄る。


 身体を少し沈めた。


 恒一の両腿へ、冷たい重みが乗る。


 あかりは恒一と向き合う形で、膝の上へ座った。


 浮いているときには分かりにくかったが、ほとんど重さを感じない。


 それでも完全に無重力ではなかった。


 水を張った薄い革袋を置いたような、柔らかな圧力がある。


 あかりは姿勢を保つため、恒一の両肩へ手を置いた。


 長い白髪が恒一の腕や膝へ流れる。


 濡れた感触はない。


 視界のほとんどが、あかりの顔で埋まった。


「これならよく映ります」


 恒一は彼女の腰へ両手を添えた。


 落ちないよう支えるためだった。


 あかりの感情が、さらに大きく揺れる。


 驚き。


 緊張。


 困惑。


 その奥に、僅かな安心が混じっていた。


「皆さんへ挨拶をお願いします」


 恒一は片手を上げて振ってみせる。


 あかりは恒一の顔を見たあと、視界の正面を見た。


 恐る恐る、片手を上げる。


 小さく振った。


 まだ十五分遅れのため、反応はない。


 恒一はあかりの手を見た。


 先ほどより、僅かに輪郭がはっきりしている気がする。


 ただ、光の当たり方かもしれない。


「今日は、あかりを見てもらう配信になりそうですね」


 あかりが自分を指す。


 恒一が頷く。


「あかりです」


 もう一度、彼女を指す。


「あ、か、り」


 あかりは恒一の口元を見る。


 真似するように唇を動かした。


 声にはならない。


 それでも、自分の名前だと分かっているようだった。


 恒一が微笑むと、あかりから柔らかな喜びが届く。


 膝の上に座らせてから十五分ほど経った頃、その光景を見た視聴者のコメントが届き始めた。


《近い近い近い》


《何その体勢》


《膝の上!?》


《あかりちゃん配信始まった》


《ポチ視点強すぎる》


《顔が画面いっぱいなんだけど》


《距離感どうなってるの?》


《昨日まで水路で筋肉してた配信者とは思えない》


《白い子かわいい》


《手振った!》


《あかりちゃんこんにちは》


 恒一はコメントを見る。


 次に、膝の上のあかりを見る。


「皆さん、喜んでいるようです」


 あかりには伝わらない。


 恒一は笑顔を作り、手のひらを向けた。


挿絵(By みてみん)


 あかりの緊張が少し緩む。


 彼女も、恒一の真似をして手のひらを向けた。


《かわいい》


《かわいい》


《かわいい》


《あかりちゃん配信でいいじゃん》


《ポチは椅子として有能》


《知ってる》


《画面の九割あかりちゃんだけどな》


《ポチの存在、膝と腕しか確認できない》


 実際、そのとおりだった。


 あかりの顔が近すぎて、恒一自身はほとんど映っていない。


 けれど、今日の目的には合っている。


 恒一はしばらく、あかりに手を振ってもらったり、指で丸を作ってもらったりした。


 コメントで求められた仕草が届く頃には、そのコメントが送られた場面は過ぎている。


 恒一が読み上げる。


 あかりが真似する。


 さらに十五分後、その反応が返ってくる。


 会話としては遅い。


 それでも、視聴者は楽しんでいるらしい。


 同時接続人数は減らなかった。


 むしろ、少しずつ増えている。


 配信終了まで残り十分ほどになったところで、恒一はある変化に気づいた。


 あかりの手が、はっきり見える。


 恒一の肩へ置かれた指。


 爪にあたる水の薄い層。


 指と指の境目。


 配信を始める前は、掌の向こうに恒一の肌が透けていた。


 いまは、濃灰の長衣が淡く見える程度になっている。


 髪の先も、光へ溶ける範囲が狭くなっていた。


 あかり自身は気づいていない。


 恒一は彼女の腰を支える手へ意識を向けた。


 触れている面積。


 触れていた時間。


 身体の距離。


 検証する価値がある。


 ただし、それを配信中に始めるつもりはなかった。


「そろそろ、今日の配信を終わります」


《もう終わり?》


《あかりちゃん下ろさないで》


《次もこの画角でお願いします》


《実質あかりちゃん配信だった》


《ポチさん今日何してた?》


《椅子やってただけでは》


 恒一はあかりへ、手を振るよう示した。


 あかりも視界へ向かって手を振る。


「それでは、今日はここまでです。ありがとうございました」


 配信終了の操作をする。


 視界からコメントが消えた。


 同時接続人数の表示も消える。


 配信画面が完全に閉じる。


 その直後、別の表示が現れた。


 ――配信を終了しました。


 ――配信結果を集計しています。


 数秒後。


 新しい文字が浮かぶ。


 ――配信レベルが上昇しました。


 ――配信レベル:2 → 3


 ――一回の配信可能時間が延長されました。


 ――六十分 → 百二十分


 ――コメント遅延が短縮されました。


 ――十五分 → 五分


 ――登録者数に応じた補正効率が僅かに上昇しました。


 ――配信中の同時接続人数に応じた補正効率が僅かに上昇しました。


 恒一は表示を順に読む。


 配信可能時間が倍になった。


 コメントの遅延も、次回からは五分になる。


 まだ即時ではない。


 それでも、十五分よりは格段に会話が成立しやすくなる。


 登録者数に応じた補正は、配信外でも働く。


 劇的ではないが、身体の芯へ僅かな力が加わったように感じた。


 配信中だけ働いていた同時接続人数の補正は、終了とともに切れている。


 次回は、今日より少し強くなるらしい。


「レベル三ですか」


 あかりが恒一の顔を覗き込む。


 彼女はまだ膝の上にいる。


 恒一は表示を閉じた。


「配信の機能が少し良くなりました」


 意味は分からなくても、良いことだと声の調子で察したのだろう。


 あかりから、穏やかな喜びが届く。


 恒一はその手を取った。


 濃灰の袖の上へ重ねる。


 布目が透けるか確かめる。


 配信前より、明らかに見えにくい。


 恒一はあかりを見た。


「もう一つ、良いことが起きています」


     ◇


 あかりを膝から下ろす。


 小屋の中央へ浮かんでもらう。


 恒一は濃灰の袖を彼女の腕の後ろへ置いた。


 白い腕越しに布を見る。


 輪郭は残っている。


 けれど、透け方が弱くなっていた。


 恒一は腕を離す。


 あかりと一メートルほど距離を取る。


「まず、何もしない状態を見ます」


 当然、意味は伝わらない。


 恒一は地面を指し、両手を下へ向けた。


 その場で待ってほしいという意図は伝わったらしい。


 あかりも動かない。


 十分ほど待つ。


 大きな変化はなかった。


 急に薄くなることもない。


 濃くなることもない。


 次に恒一は、あかりの右手を取った。


 両手で包む。


 また十分待つ。


 水の冷たさが掌へ馴染んでいく。


 あかりは何度も恒一を見る。


 何をしているのか分からず、困惑している。


「検証です」


 恒一は真剣に告げた。


 説明にはなっていなかった。


 十分後。


 あかりの右手は、左手より僅かに輪郭が濃くなっていた。


 左右を濃灰の袖へ重ねると、差が分かる。


「接触に効果がある可能性が高いですね」


 あかりも両手を見比べる。


 ようやく検証の目的を理解したらしい。


 驚きが伝わってきた。


 恒一は次の方法を考える。


 掌だけでも変化した。


 先ほど膝へ乗せていたときは、より広い範囲が触れていた。


 あかりの回復も大きかった。


 接触面積と時間が関係している可能性がある。


 恒一は両腕を少し広げた。


 あかりを見る。


 自分の胸元を指す。


 次に彼女を指す。


 両腕を閉じる。


 あかりの身体を、抱きしめる動きだった。


 あかりから強い動揺が届いた。


 先ほど膝へ座ったときよりも大きい。


「効果を確かめるだけです」


 恒一が言う。


 あかりは両手を胸元へ寄せた。


 迷っている。


 恒一は首を横へ振り、片手を上げた。


 嫌ならしない。


 そう示したつもりだった。


 あかりは恒一を見る。


 自分の薄い左手を見る。


 右手を見る。


 最後に、小さく頷いた。


 恒一は急がず、彼女へ近づく。


 両腕を背中へ回した。


 あかりの身体を胸元へ寄せる。


 冷たい感触が、濃灰の長衣越しに伝わる。


 水の身体は形を崩さない。


 押した場所だけが僅かに沈み、すぐに恒一の腕へ沿って形を変えた。


 濡れない。


 腕から零れ落ちることもない。


 あかりの顔は恒一の胸元へ近い。


 長い白髪が、二人の間から外へ流れる。


 契約を通して、強い緊張が届く。


 それと同時に、拒絶ではない感情もあった。


 戸惑い。


 安心。


 僅かな喜び。


 意味の境界は曖昧だった。


 恒一は力を入れすぎないよう、静かに抱き続ける。


「苦しくありませんか」


 あかりが小さく首を横へ振る。


 そのまま十分。


 離れる。


 あかりの身体を濃灰の袖越しに確認する。


 両腕だけではない。


 髪。


 肩。


 身体の下部。


 全体の輪郭が僅かに強くなっていた。


「やはり、触れる面積も関係していそうです」


 あかりは自分の腕を見る。


 手を握り、開く。


 嬉しさが届いた。


 彼女にも回復した実感があるらしい。


 恒一は検証結果を頭の中で整理した。


 近くにいるだけでは、すぐに回復しない。


 触れれば回復する。


 接触する面積が広いほど、変化は大きい可能性がある。


 あとは時間。


 十数分では、完全には戻らない。


 より長い時間、広い範囲で触れ続ければどうなるのか。


 恒一は寝台を見た。


 夜まで、そう時間は残っていない。


 数時間にわたり接触を続ける方法は限られる。


 椅子に座ったまま抱き続けてもいい。


 ただし、互いに眠れない。


 睡眠と検証を同時に行うなら、一つしかなかった。


 恒一は寝台を指す。


 自分が横になる仕草をする。


 次に、両腕で何かを抱える動きをした。


 最後に、あかりを見る。


 あかりの感情が完全に止まった。


 数秒後。


 今日一番の動揺が流れ込んできた。


 あかりは寝台を見る。


 恒一を見る。


 両手で自分を抱く。


 もう一度、寝台を見る。


「今夜、抱いたまま眠れば、長時間の効果を確認できます」


 恒一は説明した。


 当然、言葉の内容は伝わらない。


 ただし、何をしようとしているかは完全に理解したらしい。


 あかりの身体を流れる光が、細かく揺れている。


 恒一は片手を上げた。


「嫌なら、別の方法を考えます」


 首を横へ振る。


 寝台から一歩離れる。


 拒否しても問題ないと示す。


 あかりは目を伏せた。


 指を組む。


 ほどく。


 もう一度組む。


 長い時間、迷っていた。


 やがて自分の手を見る。


 輪郭の戻った右手。


 まだ少し薄い左手。


 それから恒一の顔を見る。


 緊張の奥から、信頼に似た感情が流れ込んできた。


 あかりは、ゆっくり頷いた。


「ありがとうございます」


 恒一は頭を下げた。


 あかりから、困惑が返ってくる。


 礼を言われる状況ではないと思ったのかもしれない。


     ◇


 炉の火を落とす。


 寝台へ入る。


 恒一は壁側へ身体を寄せ、あかりのための場所を空けた。


 あかりが寝台の横へ浮かんでいる。


 まだ覚悟が決まっていないらしい。


 恒一は急かさなかった。


 横向きになる。


 片腕を開く。


 あかりは一度目を閉じた。


 そのまま、ゆっくり寝台へ降りる。


 水の身体が毛布へ触れる。


 布は濡れない。


 人間が横たわったときと同じように、重みの分だけ僅かに沈んだ。


 あかりは恒一へ背を向けようとした。


 けれど、それでは接触面積が狭くなると考えたのか、途中で止まる。


 最後には、恒一と向き合う形になった。


 近い。


 配信中に膝へ座らせたときより近かった。


 白い睫毛。


 青い瞳。


 水の光が流れる頬。


 呼吸はない。


 それでも、緊張に合わせて身体の表面が僅かに波打っている。


「嫌になったら、すぐ離れてください」


 恒一は言った。


 あかりは小さく頷く。


 恒一は開いていた腕を、あかりの背中へ回した。


 もう片方の腕も添える。


 胸元へ抱き寄せる。


 抱き枕を抱えるような姿勢だった。


 ただし、抱き枕とは違って、あかりから感情が伝わってくる。


 強い緊張。


 恥ずかしさ。


 安心。


 それらが一度に流れ込む。


 恒一の方まで落ち着かなくなった。


「検証ですから」


 自分へ言い聞かせるように呟く。


 あかりが恒一の胸元へ顔を伏せた。


 白い髪が、恒一の首元へ触れる。


 冷たい。


 だが、不快な冷たさではなかった。


 夏の夜に冷えた布へ触れたときのように、身体の熱を穏やかに奪っていく。


 恒一は目を閉じた。


 眠ればいい。


 朝まで姿勢を保つ。


 それだけの検証だった。


 しかし、普段より眠りにつくまで時間が掛かった。


 腕の中に人の形がある。


 僅かに動くたび、水の柔らかな音がする。


 契約を通して、あかりがまだ起きていることも分かる。


 落ち着こうとしている。


 意識すればするほど、互いの緊張が伝わり合う。


 恒一は考えるのをやめた。


 腕の力を少し緩める。


 逃げようと思えば、いつでも抜けられる程度にする。


「おやすみなさい、あかり」


 あかりの手が、恒一の長衣の胸元を軽く掴んだ。


 返事の代わりだった。


 しばらくして、彼女から届く感情が穏やかになる。


 恒一も、ようやく眠りへ落ちた。


挿絵(By みてみん)


     ◇


 翌朝。


 恒一が目を開けると、視界のすぐ近くにあかりの顔があった。


 昨夜と同じ姿勢だった。


 あかりは目を閉じている。


 眠っているのかは分からない。


 ただ、身体から力が抜けているように見えた。


 恒一はすぐに変化へ気づく。


 輪郭が濃い。


 白い髪の一本一本が、昨日よりはっきり分かる。


 肩から腕へ続く水の層も、向こう側の景色をほとんど透かしていない。


 恒一は腕を少し動かした。


 あかりの重みが、昨夜より明確に返ってくる。


 彼女の手が恒一の胸元へ置かれていた。


 指の下で、濃灰の布が僅かに沈んでいる。


 これまでは、触れても布が動くほどの重みはなかった。


 効果は明らかだった。


 あかりが目を開ける。


 青い瞳が恒一を見る。


 数秒、二人とも動かなかった。


 昨夜の状況を思い出したらしい。


 あかりから、一気に強い羞恥が流れ込んでくる。


 彼女は離れようとする。


 恒一も腕を解いた。


 あかりは寝台の上へ起き上がる。


 長い白髪が背中へ流れる。


 身体の下部も、以前のように光へ溶けてはいない。


「成功です」


 恒一は言った。


 あかりが振り返る。


「長時間触れ続ければ、あなたの身体は回復します」


 恒一は彼女の手を取り、濃灰の袖へ重ねた。


 布目はほとんど透けなかった。


 あかりもそれを確認する。


 驚き。


 安堵。


 喜び。


 昨日よりはるかに強く、明るい感情が伝わってくる。


挿絵(By みてみん)


 離れれば消えるかもしれない。


 だが、近づくだけではなく、触れることで回復もできる。


 契約には、失う危険だけがあるわけではなかった。


 恒一は検証結果を考える。


 昨夜一度だけでは、条件を完全に断定することはできない。


 睡眠が必要なのか。


 単純な接触時間によるものか。


 毎日必要なのか。


 どの程度の頻度で行えば維持できるのか。


 確認すべきことは残っている。


「再現性を確かめる必要がありますね」


 あかりの喜びが止まった。


 恒一は真剣に続ける。


「同じ条件でもう一度行い、同じ結果になるか確認しましょう」


 あかりの身体を流れる光が、激しく揺れた。


 顔を両手で覆う。


 強い羞恥が届く。


 それでも、指の隙間から自分の輪郭が戻った腕を見る。


 しばらくして。


 あかりは顔を覆ったまま、小さく頷いた。


 こうして、あかりの身体を回復させる方法が一つ見つかった。


 ただし、その検証結果を配信で報告する予定はなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。