第97話 帰る人の荷札
循環補給網に残された、第五の系統。
その名は「帰還線」。
接続に必要なのは、荷物の宛先ではなく、運転者である誠司自身の帰る場所でした。
けれど、人の帰る場所を、地図上の一点だけで決めることはできません。
誠司たちはまず、配送へ出た者を確実に迎えるための仕組みを作ります。
朝の水車町配送所。
壁に掛けられた四方向の地図の下で、配送帳面が淡い光を放っていた。
第五補給系統――未接続
系統名――帰還線
起点――満タン便・運転席
終点――未登録
帰還線を接続するには、運転者自身の宛先を登録してください。
誠司は、その表示を前に腕を組んでいた。
机の周囲には、ロウグ、エレナ、ガラン、サーラ、バシール、リアが集まっている。
北方補給網中枢の管理人も、少し離れた場所から帳面を見ていた。
「水車町、と書けばよいのではありませんか」
エレナが言った。
「誠司さんの拠点は、ここです。満タン便の車庫も配送所もあります」
「俺も、最初はそう思いました」
誠司は白紙へ、水車町と書いた。
その下へ、配送所。
さらに、返送受入所。
だが、そこで筆が止まる。
「荷物なら、建物を宛先にできます」
「人は違う?」
リアが尋ねた。
「誰もいない建物へ帰っても、帰着したことを確認できません」
誠司は、以前の配送経験を思い出していた。
荷物を届ける。
受領印をもらう。
配達完了を記録する。
だが、運転者には受領印がない。
営業所へ戻れば、点呼を受ける。
車両の状態を報告する。
事故や荷崩れがなかったか。
体調に問題がないか。
次の人へ車を渡せるか。
そこまで確認されて、一日の運行が終わる。
「帰る場所には、受け取る人が必要です」
誠司は言った。
「俺が戻ったことを確認する人。戻らなかったとき、探し始める人です」
ロウグが帳面を開いた。
「では、受取人を決めますか」
「私でいいですよ」
エレナがすぐに言った。
「夜まで地図を調べていることが多いですから」
「いや、俺だ」
ガランが口を挟む。
「車の異常も見なきゃならんだろう」
「運転者の体調なら、医療担当が必要です」
リアも言う。
「帰着確認は、ひとりに任せないほうがよいのでは?」
サーラの言葉に、誠司は頷いた。
誰か一人を受取人にすれば、その者が不在の日には確認できなくなる。
病気になることもある。
別の便へ出ているかもしれない。
誠司のために、毎日配送所から離れられない役目を背負わせることにもなる。
「個人を宛先にするのはやめましょう」
誠司は紙に書いた名前を消した。
「帰着を受け入れる仕組みを作ります」
紙の上部へ、新しい言葉を書く。
――運行者帰着票。
最初の欄。
運行者名。
次に、使用車両。
出発時刻。
予定経路。
予定帰着時刻。
帰着場所。
さらに、帰着確認者を二名。
一人目は運行記録の確認。
二人目は車両または体調の確認。
「二人とも不在だった場合は?」
ロウグが尋ねる。
「代行者を決めておきます」
「遅れた場合は?」
「予定時刻を過ぎる前に、最寄りの中継所から連絡を送る」
「連絡できない場合は?」
カイルが北方の地図を見ながら言った。
「何時間で捜索を始めるか、出発前に決めるべきだ」
誠司は帰着票へ欄を加えた。
連絡なしで捜索を開始する時刻
「運転者が道の途中で泊まる場合は?」
バシールが尋ねる。
「代わりの帰着場所を登録します」
満宿。
北砦。
冬季中継所。
東補給庫。
南休所。
西方共同配送所。
各方面には、すでに人と物資を受け入れられる場所がある。
予定どおり水車町へ戻れなくても、最寄りの中継地点へ入ったと確認できれば、行方不明ではない。
「帰る場所は、一つでなくてもいいのですね」
ロウグが言った。
「第一帰着地と、代替帰着地を決めます」
「最終的には、水車町へ戻る?」
「次の便で戻ります。ただ、無理にその日のうちに帰ろうとしないための場所です」
誠司は、自分の口癖を思い出した。
急がない。
続けられることが一番大事。
けれど、帰る場所が一つしかなければ。
何があっても、そこまで辿り着こうとしてしまう。
天候が崩れていても。
疲れていても。
暗くなっていても。
代替の帰着地を決めておくことは、途中で止まる許可を先に出しておくことでもあった。
「運ぶ人にも荷札を付けるんですね」
ロウグが言った。
誠司は少し考えた。
「人を荷物として扱うためじゃない」
帰着票の上へ手を置く。
「戻ってこないことに、早く気づくためです」
*
帰着管理の仕組みは、誠司だけに使うものにはしなかった。
配送所へ出入りする運行者全員に使える形へ整える。
大型荷車。
隊商。
薬草便。
修理便。
徒歩の連絡便。
運び方ごとに記録欄を少し変える。
荷獣を使う隊商では、人だけでなく荷獣の数も確認する。
医療便では、帰着後に薬品の残数と使用量を確認する。
修理便では、持ち出した工具と回収品を照合する。
徒歩便では、靴や防寒具の状態も見る。
「全部同じ紙にすると、書く欄が多すぎます」
ロウグが試作票を見た。
「必要のない欄まで確認していると、毎回時間がかかります」
「共通部分だけを一枚にしましょう」
誠司は票を二つへ分けた。
一枚目は、すべての運行者が使う帰着票。
二枚目は、便ごとの確認票。
共通するのは。
誰が。
どこへ。
何時に出て。
どこへ戻るか。
戻ったことを誰が確かめるか。
便別の紙には、荷物や車両の細かな確認だけを記す。
「帰着印も必要ですね」
ガランが言った。
「出発印と間違えない形にする」
水車町返送受入所の印は、向かい合う二本の手。
引き渡す手と、受け取る手。
新しい帰着印には、家を示す四角と、その中へ戻る一本の矢印を刻んだ。
ガランが鉄を削る。
大きすぎない。
手袋をしたままでも持てる。
上下を間違えないよう、持ち手の片側だけを平らにする。
完成した印を、試し紙へ押す。
ごん。
四角の中へ、矢印が戻っている。
「帰着確認者が二人なら、印も二つ必要ですか?」
エレナが尋ねた。
「同じ印を二回押すと、どちらが何を確認したか分かりません」
誠司は印の中央へ、細い線を一本加えるようガランへ頼んだ。
一つ目の印は、線なし。
運行記録の確認。
二つ目は、中央に線。
車両または体調の確認。
二つが並んで初めて、帰着完了。
「片方だけなら?」
「人は戻っているが、確認が終わっていない状態です」
帰ってきた姿を見た。
それだけで終わらせない。
運行記録。
車両。
体調。
次の便へ出せる状態か。
必要なところまで確認する。
配送帳面に、新しい項目が現れた。
運行者帰着管理
水車町配送所にて仮稼働を確認
帰還線終点登録――保留
実運行による帰着確認が必要です。
「紙だけ作っても、接続は認められない」
ロウグが言った。
「一度、実際に出て戻る必要があります」
「ちょうど一件あります」
ガランが、配送所の修理依頼札を持ってきた。
東補給庫からの依頼だった。
共同荷車の車軸を固定する金属栓に、亀裂が見つかった。
今は予備の栓を使っている。
だが、次の共同便が出るまでに交換品を届けなければ、東方の循環便が一本止まる。
荷物は小さい。
重さもない。
しかし、到着期限は今日の夕方。
通常の共同便では間に合わない。
「満タン便の修理便ですね」
ロウグが言った。
誠司は燃料記録を確認した。
循環補給で戻った燃料。
前日までの残量。
東補給庫までの往復に必要な量。
予備。
救援用として残す量。
「出せます」
ただし、余裕は多くない。
無駄な停車。
長い空ぶかし。
予定外の寄り道。
どれも避ける必要がある。
「帰還線の試験のために出すわけではありません」
誠司は言った。
「必要な修理品を届ける。その運行を使って、帰着の仕組みも試します」
目的のない走行はしない。
仕組みを試すためだけに、燃料を使わない。
必要な便の中へ、確認作業を組み込む。
それが、補給が限られた今の満タン便の使い方だった。
*
誠司は、自分の帰着票を記入した。
運行者――田村誠司
車両――満タン便
便種――東方修理便
積荷――共同荷車用車軸固定栓、二本
出発地――水車町配送所
目的地――東補給庫
第一帰着地――水車町配送所
代替帰着地――旧石橋休所
予定帰着時刻――日没二時間前
連絡なし捜索開始――日没時
帰着確認者。
一人目はロウグ。
運行記録を確認する。
二人目はガラン。
満タン便の車両状態を確認する。
だが、ガランは固定栓の取り付け説明のため、東補給庫まで同行することになっていた。
「俺も運行者扱いだな」
ガランが自分の帰着票を書く。
帰着後の車両確認は、弟子の一人が担当する。
出発前に、満タン便の状態を共に確認しておく。
「帰着先の受取人は、水車町配送所でよいのですか」
管理人が尋ねた。
「はい。ただし、施設だけではなく帰着当番を登録します」
今日の帰着当番はロウグと、ガランの弟子。
代行はエレナとリア。
誰か一人がいなくても、確認できる。
誠司は帰着票へ署名した。
その瞬間。
配送帳面の表示が変わった。
帰還線・試験運行
起点――満タン便・運転席
仮終点――水車町配送所
帰着確認者――二名登録
代替帰着地――旧石橋休所
捜索開始条件――登録済み
続いて、質問が現れた。
水車町配送所を、田村誠司の帰還先として登録しますか。
誠司は答えようとして、止まった。
水車町を帰る場所として登録する。
そのことに迷いがあるわけではない。
仲間がいる。
仕事がある。
満タン便の車庫がある。
けれど。
日本で暮らしていた時間が消えるわけではない。
元の世界。
以前の職場。
住んでいた部屋。
毎朝通った道路。
帰る場所と書けば、それらを捨てることになるような気がした。
「登録は変更できます」
管理人が言った。
誠司は彼女を見る。
「帰還先は、人生の最終目的地ではありません」
「では、何ですか」
「その運行を終えたとき、戻ると約束した場所です」
管理人は帰着票を指した。
「明日の便で別の場所へ帰るなら、明日は書き換えられます」
「日本へ戻る可能性も、消えない?」
「消えません」
帰る場所を一つ決めることは。
ほかの場所へ二度と行けないと決めることではない。
今日の仕事を終えたとき。
誰のところへ戻るかを決めること。
「登録します」
誠司は答えた。
「今日の帰還先は、水車町配送所です」
配送帳面に文字が浮かんだ。
仮帰還先――水車町配送所
登録期間――東方修理便の帰着完了まで
期限付き。
一便分だけの帰る場所。
それなら、迷わず書けた。
「出発します」
*
満タン便は、水車町の東門から街道へ出た。
助手席にはガラン。
後方の補助席には、東補給庫へ戻る記録係が一人。
荷台には、小さな木箱。
固定栓二本。
取り付け用の型紙。
交換手順を示す板。
そして、東補給庫で回収する予定の破損部品用箱。
積み荷は少ない。
それでも、荷物が動かないよう中央へ固定する。
小さい箱を広い荷台へ置けば、かえって滑りやすい。
床の固定輪を二つ使い、帯を交差させる。
「燃料、出発時の位置を記録」
記録係が目盛りを写す。
誠司はエンジンを掛けたまま待たない。
全員が乗ったことを確認してから始動し、そのまま出発する。
東への街道は、循環共同便が使い始めたばかりだった。
満タン便の前を、粉袋を載せた小型荷車が走っている。
速度は遅い。
以前なら、追い越す場所を探したかもしれない。
今日は一定の間隔を保って走る。
荷車が道の端へ寄る。
運び手が、先に行くよう手で示した。
誠司は見通しのよい直線まで待った。
対向の荷車。
歩行者。
路肩。
確認。
短く警笛を鳴らし、低い速度で追い越す。
急加速はしない。
燃料も。
荷台の部品も。
道を使う人も。
全部を守る速度だった。
旧石橋休所へ到着する。
ここは代替帰着地にも登録されている。
誠司は一度停車した。
予定上は短い点検だけ。
「帰着設備を確認します」
休所の管理人へ、帰着票の控えを見せる。
水車町まで戻れない場合。
ここで運行を止める。
満タン便を屋根下へ入れる。
水車町へ照会札を送る。
管理人が運行者と車両の状態を仮確認する。
翌日の帰還便へ引き継ぐ。
「急に泊まることになっても、寝床は二人分あります」
休所の管理人が言った。
「燃料はありませんが、水と食料は一晩分」
「十分です」
燃料がないから、帰着地にならないわけではない。
無理に走らず、朝を待てる場所。
連絡を送れる場所。
捜索する側が、まず確認すべき場所。
それだけでも、帰還線の一部になる。
帰着票の控えを一枚、休所へ保管する。
田村誠司およびガラン
本日、東補給庫へ運行中
予定時刻を過ぎて水車町へ帰着しない場合、当休所への到着有無を照会すること。
代替帰着地の登録を確認し、出発する。
*
東補給庫に着くと、共同荷車が修理台へ載せられていた。
片側の車輪は外されている。
古い固定栓には、細い亀裂。
外から見れば小さな傷だった。
だが、荷物を積んだ状態で折れれば、車輪が外れる。
「よく気づいたな」
ガランが東補給庫の整備係へ言った。
「帰着点検で見つけました」
整備係は答えた。
「荷車が戻ったあと、泥を落としていたときです」
帰ってきてすぐ荷物だけを降ろしていたら。
暗いまま車庫へ入れていたら。
亀裂は見落とされていたかもしれない。
「運転者だけじゃなく、車両にも帰着確認がいる」
ガランが誠司を見る。
「今日作った仕組みと同じだな」
固定栓を交換する。
まず、荷車を支える。
車輪の重さが栓へ掛かったまま抜かない。
左右の車輪止め。
持ち上げ棒。
支え台。
古い栓を抜く。
亀裂の位置を確認。
新しい固定栓を入れる。
抜け止め。
車輪を回す。
横揺れ。
異音。
問題なし。
二本目の固定栓は予備として、東補給庫の修理棚へ置く。
型紙も渡す。
今後、同じ寸法の栓を現地で作れるようにするためだ。
「次からは、水車町へ取りに来なくてもよくなる」
ガランが説明する。
「この型へ合わせて削れ。仕上げの硬さだけは、鍛冶場で確かめろ」
届けたのは、部品二本。
だが、次の修理を現地で行うための寸法と手順も残した。
修理便は、一件の故障を直すだけではない。
次に同じ問題が起きたとき。
満タン便を呼ばなくてもよい形へ変える便だった。
東補給庫の責任者が、受領帳へ署名する。
車軸固定栓――一個使用
一個予備保管
型紙――修理棚へ登録
共同荷車――運行可能
東方循環便。
午後便の出発が決まった。
配送網が一つ進んだ。
帰りの満タン便には、回収品を積む。
亀裂の入った固定栓。
摩耗した軸受け。
空になった書簡箱。
そして、風見村から水車町へ返送される配送札。
咳止め薬草の到着確認だった。
風見村診療所
咳止め薬草――受領
荷姿――異常なし
備蓄不足――解消
循環共同便の第一便が、目的地まで届いた。
「帰りの荷物、登録します」
記録係が満タン便の荷台へ、それぞれの位置を記す。
金属部品と書簡箱を分ける。
摩耗部品には油が付いている。
紙の札と同じ箱へ入れない。
床へ金属回収箱。
上段へ書簡箱。
間に乾いた板。
「帰着予定は?」
東補給庫の責任者が尋ねる。
誠司は時刻を確認した。
予定より十二分早い。
「変更なしです」
「街道で補修作業があります」
「どこですか?」
「旧石橋の南。目印柱を一本立て直しています」
道は通れる。
ただし片側ずつ。
待ち時間は、長くて二十分。
誠司は帰着予定を変えなかった。
もともと三十分の余裕を取ってある。
その範囲に収まる。
「出発連絡を水車町へ送ります」
東補給庫から、照会札が出る。
東方修理便
修理完了
東補給庫を出発
帰着予定――変更なし
人員、車両、荷姿――異常なし
満タン便より先に、知らせが水車町へ向かった。
*
目印柱の補修地点では、予定どおり短い待ち時間があった。
街道の中央に、古い柱が横たわっている。
根元の石が崩れ、傾いていたものを立て直しているところだった。
以前なら。
誠司やガランも降りて、作業を手伝ったかもしれない。
だが今日は帰着予定がある。
満タン便には、回収部品と書簡。
水車町では、帰着当番が待っている。
「手伝わなくていいのか?」
ガランが窓の外を見る。
作業員は四人。
人数は足りている。
道具もある。
危険な状態でもない。
「今日は任せましょう」
誠司は答えた。
困っている人を放っておけない。
それは誠司の性格だった。
けれど、すべての作業へ自分が入ることは、助け合いとは違う。
任せられる相手に任せる。
自分の便を予定どおり帰す。
それも配送網を守る仕事だった。
「昔の誠司なら、降りてたな」
ガランが言った。
「そうかもしれません」
「今は?」
「水車町で、戻りを待っている人がいます」
作業員が青い旗を上げた。
通行可能。
誠司は手を上げて礼を伝え、ゆっくり補修地点を通過する。
目印柱は、まだ完全には固定されていない。
それでも、作業は進んでいる。
誠司が手を出さなくても。
道は直っていく。
*
旧石橋休所を過ぎたところで、空が暗くなった。
雨ではない。
東方から流れてきた低い雲が、夕方の光を遮っている。
予定帰着時刻までは十分余裕がある。
燃料も、計画範囲内。
だが、満タン便の右前方から小さな音がした。
一定の間隔。
かた。
かた。
誠司は速度を落とした。
音は続く。
「止めます」
路肩の広い場所へ入る。
後方確認。
停車。
車輪止め。
ガランと降りる。
右前輪。
タイヤに異常はない。
車体下部。
枝が一本、泥よけの金具へ引っ掛かっていた。
車輪が回るたび、枝の端が車体へ触れている。
ガランが手を伸ばす。
「これだけだ」
「周囲も確認しましょう」
枝を取って終わりにしない。
枝がどこから入ったのか。
別の損傷がないか。
タイヤ側面。
泥よけ。
制動管。
異常なし。
五分で点検を終える。
記録係が帰着票へ書く。
旧石橋南方にて異音確認。
原因――枝の挟まり。
除去済み。
車両異常なし。
遅延――五分。
予定時刻は変えない。
余裕の範囲内。
再出発。
小さな異常。
すぐに走行へ影響するものではなかった。
それでも、帰着後にはガランの弟子へ伝える。
走行中に何があったか。
外から見ただけでは分からない情報も、車両確認の一部だった。
水車町の風車が見えた。
予定帰着時刻の二十七分前。
誠司は速度を上げなかった。
早く着くことより。
予定の範囲内で、安全に着くこと。
東門を通る。
配送所へ続く道。
車庫の前には、ロウグとガランの弟子が立っていた。
誠司は満タン便を、決められた停止位置へ入れた。
エンジンを切る。
時刻を記録する。
「東方修理便、帰着しました」
ロウグが帰着票を受け取る。
「運行者、田村誠司。ガラン。記録係一名」
全員が降りる。
体調。
怪我。
異常なし。
ロウグは運行記録を確認する。
東補給庫への到着。
固定栓の受領。
修理完了。
帰りの積み荷。
途中の異音。
五分の停車。
燃料残量。
すべての欄が埋まっている。
「運行記録、確認しました」
最初の帰着印。
ごん。
四角の中へ戻る矢印。
次に、ガランの弟子が車両を確認する。
右前輪。
泥よけ。
枝が挟まっていた場所。
車体下部。
燃料。
荷台。
回収品。
「車両、異常なし。帰着後整備、通常点検で対応可能」
二つ目の帰着印。
ごん。
中央に線の入った、戻る矢印。
二つの印が並んだ。
配送帳面が光る。
東方修理便――帰着完了
運行者――全員帰着
車両――帰着
荷物――返送品受領待ち
帰還線・試験運行――完了
満タン便の燃料計が、わずかに動いた。
東方修理便の往復。
部品を届け。
共同荷車が再び動き。
帰りには破損部品と受領札を持ち帰った。
循環が成立した。
配送網循環補給――二単位
帰還線接続処理――開始
数字が現れる。
八十。
八十四。
八十八。
九十二。
九十六。
そこで、一度止まった。
「まだ足りない?」
エレナが帳面を見る。
表示が変わる。
仮帰還先への帰着を確認。
恒常帰還先の登録が必要です。
一便分の帰る場所は、機能した。
次は。
今日だけではなく。
これから満タン便を運転する誠司が、どこへ戻るのかを登録しなければならない。
配送帳面が、誠司へ問いかける。
田村誠司の恒常帰還先を登録してください。
誠司は、配送所を見回した。
仕分け場。
運行帳。
仲間たち。
出発する荷車。
帰ってきた便。
車庫。
返送受入所へ続く道。
水車町。
ここが、自分のすべてだとは言い切れない。
日本を忘れたわけでもない。
いつか戻る方法が見つかったとき。
迷わないとも言えない。
それでも。
この世界で便へ出るとき。
戻ると約束できる場所は、ここだった。
「恒常帰還先」
誠司はゆっくり言った。
「水車町配送所」
一度、言葉を切る。
「ただし、帰着確認者は固定しません。配送所の帰着当番が受け取る形にします」
誰か一人へ背負わせない。
仕組みとして迎える。
「代替帰還先は、各方面の中継所」
「登録期間は?」
ロウグが尋ねる。
誠司は少し考えた。
「俺が満タン便の運行責任者である間」
配送帳面に、回答が記録される。
田村誠司
恒常帰還先――水車町配送所
受入責任――水車町運行者帰着当番
代替帰還先――各方面指定中継所
登録期間――満タン便運行責任者在任中
最後に、確認が現れる。
帰る場所を失った場合、帰還線を停止します。
登録しますか。
「登録します」
誠司は答えた。
数字が動く。
九十七。
九十八。
九十九。
百。
第五補給系統・帰還線――接続
配送網循環補給接続率――百パーセント
四方向の線が、水車町でつながる。
西。
東。
南。
北。
そして。
満タン便の運転席から水車町配送所へ戻る、第五の線。
地図の中央で、五本の光が重なった。
配送網循環補給――本稼働へ移行
車庫から、低い音が聞こえた。
満タン便の燃料計が、ゆっくり上がる。
満タンにはならない。
東方修理便で使った分の一部。
次の救援便を出せる程度。
必要な分だけが戻ってくる。
同時に、配送所の在庫板にも変化が現れた。
西方共同便の空き荷台。
東方から戻る粉袋。
南方の薬草箱。
北方の氷晶石。
今まで別々に管理されていた復路の空きが、一枚の循環表へまとめられていく。
どの便に。
何を載せられるか。
いつ戻るか。
運行者がどこへ帰着するか。
物流網が、荷物だけでなく運ぶ人の帰路まで含めて動き始めた。
「帰還線は、誠司さんだけの線ではないようです」
ロウグが表示を指す。
運行者帰着管理――四方向へ展開可能
帰還線登録者――一名
次回登録候補――共同運行者全員
誠司は頷いた。
「全員分、作りましょう」
満タン便のために作った仕組みを。
隊商にも。
薬草便にも。
修理便にも。
徒歩の連絡便にも広げる。
荷物が届くことだけでなく。
運んだ人が帰ることも、配送完了の一部にする。
それが、第五の補給系統だった。
*
夕方。
返送受入所では、北方一号の休眠解除第二段階が始まっていた。
容器の外部温度を、さらに一目盛り上げる。
生命反応。
安定。
リアと管理人が、本人意思の表示を確認する。
前日までは。
待つ。
青い光は、そちらに灯っていた。
今日は。
二つの印の間で、光が揺れている。
帰る。
待つ。
しばらく、どちらにも定まらない。
リアは操作を進めなかった。
「迷っているなら、待ちます」
「意思表示が弱いだけかもしれません」
管理人が言った。
「それでも、こちらで決めません」
二人は容器の前で待った。
数分。
光がゆっくり移る。
帰る。
そちらへ、青い光が灯った。
本人覚醒意思――確認
休眠解除第二段階――開始可能
「進めますか?」
管理人がリアへ確認する。
リアは温度。
生命反応。
受入所の設備。
覚醒後の寝台。
人員。
すべてを確かめる。
「今日は第二段階までです」
一度に解除しない。
体を通常の状態へ近づける。
覚醒は、早くても翌日。
「本人が帰るを選びました」
ロウグが誠司へ伝えた。
誠司は容器を見た。
北方一号にも。
帰る場所ができた。
水車町返送受入所は、最終的な居場所ではない。
目を覚ましたあと。
本人が次の行き先を選ぶための場所。
それでも今は。
帰ると選べる場所がある。
帰還線の接続と同じ日。
眠る人の意思も。
待つから、帰るへ変わった。
*
夜。
配送所の机で、配送帳面がひとりでに開いた。
第一配送記録・北方第二十八便
私は帰還線へ、水車町と書いた。
帳面は、受取人を尋ねた。
私は町の名を繰り返した。
水車町なら、誰かがいると思った。
だが、誰が待つのかは書けなかった。
私は毎日、誰かの荷物を受け取った。
誰かの依頼を受けた。
誰かの約束を引き受けた。
それなのに。
自分が帰ったとき、受け取ってほしいとは言えなかった。
帳面は、帰還線を閉じた。
私は帰れないのではなかった。
帰ると伝えることができなかったのだ。
誠司は、文字を静かに読んだ。
第一配送者には。
水車町という場所はあった。
それでも、帰還先にはならなかった。
誰にも帰ると伝えず。
誰にも待ってほしいと言わず。
自分だけで運び続けた。
記録の下に、現在の帰還線情報が現れる。
現運行責任者――田村誠司
恒常帰還先――水車町配送所
帰着状態――確認済み
続いて。
古い記録が表示された。
旧運行責任者――第一配送者
恒常帰還先――未登録
最終運行――北方一号回収便
車両帰着――完了
運行者帰着――未完了
満タン便は帰ってきた。
けれど、第一配送者は帰っていない。
さらに、一行が浮かぶ。
第一配送者・乗車状態――継続中
誠司は眉を寄せた。
第一配送者が、今も乗車している。
だが満タン便の中には、誰もいない。
荷台。
助手席。
車体の下。
何度も確認している。
最後に、場所が表示された。
未降車位置――満タン便・運転席
誠司は、ゆっくり車庫の方角を見た。
今日。
自分が座っていた場所。
過去の運転席登録者にも、田村誠司の名が残されていた。
第一配送者宛ての書簡が、新たな宛先として示した場所。
満タン便の運転席。
補給網の記録では。
第一配送者は今も、そこから降りていなかった。
水車町に「運行者帰着管理」が作られ、運ぶ人の予定帰着地、代替帰着地、確認者、捜索開始時刻を出発前に登録できるようになりました。
東方修理便では、共同荷車の固定栓が交換され、現地製作に使える型紙も東補給庫へ引き継がれています。
誠司が水車町配送所を恒常帰還先として登録したことで、第五補給系統「帰還線」が接続。
配送網循環補給は百パーセントとなり、本稼働を始めました。
しかし過去の記録では、満タン便だけが帰着し、第一配送者は「未降車」のまま。
その記録上の位置は、現在も満タン便の運転席です。




