第88話 空荷の重さ
北方補給網中枢に眠る返送品は、生命反応のある「人員」。
誠司たちは、その人物を迎えに行く回収便の準備を始めます。
届ける便とは違い、回収便に必要なのは、多くの荷物ではありません。
無事に帰ってくるための、空いた場所でした
翌朝。
誠司が満タン便の荷台を開けると、そこには広い空間があった。
何もないわけではない。
飲料水。
保存食。
基本的な救急用品。
予備燃料。
毎朝必ず補充される物資は、今日も積まれている。
だが、それらは荷台の奥と左右へ分けられ、中央には人ひとりが横になれるほどの空間が残されていた。
床には厚いゴム板。
壁際には幅の広い固定帯。
角を丸く加工された木材。
細長い金属枠。
目盛りの付いた温度計。
大小いくつもの木製のくさび。
ロウグは荷台を覗き込み、昨日作成した回収便の準備表と見比べた。
「頼んでいない物ばかりです」
「でも、必要な物ではある」
誠司はゴム板を持ち上げた。
厚みがあり、硬すぎない。
荷台の振動を直接伝えないための敷物だろう。
ガランは金属枠を手に取ると、曲げたり、接合部を確かめたりした。
「こいつは完成品じゃないな」
「何に使う物ですか?」
エレナが尋ねる。
「組み方を変えられる枠だ。荷物の大きさに合わせて広げたり縮めたりできる」
ガランは金属枠を荷台の中央へ置いた。
「固定具の材料だろう。だが、これだけじゃ足りん」
「何が必要ですか?」
「揺れを逃がす仕組みだ」
ガランは満タン便の後輪を指した。
「道が平らなら、床に縛るだけでいい。だが北の旧街道は、雪と石の段差だらけだ。容器を床へ固く縛れば、車体の揺れがそのまま伝わる」
誠司は荷台の床へ手を当てた。
満タン便は丈夫だった。
悪い道でも走ることができる。
しかし、走れることと、荷物を傷めずに運べることは違う。
「荷物を固定しながら、揺れだけ逃がす必要がある」
「そういうことだ」
ガランは固定帯を左右の壁へ仮留めした。
その間に金属枠を吊るす。
「荷台の中に、もう一つ小さな荷台を作る」
「宙に浮かせるんですか?」
ロウグが尋ねる。
「完全には浮かせん。下にゴム板を敷いて、横は帯で支える。上下の衝撃は床で受け、左右の揺れは帯に逃がす」
誠司は金属枠を見つめた。
配送車の荷物を守るために使われる緩衝材や、寝台を固定する仕組みに近い。
だが、金属枠の中へ入る容器の寸法は分からない。
重さも分からない。
どちらを上にして運ぶのかさえ分かっていなかった。
「調整できる形にしましょう」
誠司は木製のくさびを枠の周囲へ並べた。
「固定する場所を最初から決めず、容器が届いてから合わせられるようにします」
「寸法が分からんからな」
ガランが頷く。
「大きすぎた場合は?」
エレナが聞いた。
「枠を外します」
誠司は答えた。
「荷台そのものを使って固定します。小さければ枠の中。長ければ中央へ縦向き。幅があれば物資を降ろして左右を空ける」
「全部に対応するのは難しいですね」
「全部に同じ方法で対応しようとするから難しいんです」
誠司は荷台の空間を見回した。
「変えられるようにしておきます」
ガランが口元を上げた。
「何が来るか分からん荷物には、何にでも変わる荷台か」
「はい」
「面倒だが、嫌いじゃない」
その日の作業は、満タン便へ荷物を積むことではなく、荷物を減らすことから始まった。
保存食は必要量を計算し直した。
冬季中継所と返送庫には、すでに一定量の備蓄がある。
北砦でも補充できる。
水車町から往復分のすべてを運ぶ必要はない。
工具も同じだった。
日常補修用の工具は満タン便に積む。
大型の除雪道具や予備部品は、冬季中継所と返送庫へ分散する。
毛布は人数分に予備二枚。
薪は現地保管分を使い、車載分は一晩分だけ。
ロウグは減らした物を帳面へ書きながら、不思議そうに言った。
「回収便なのに、積み荷が減っていきますね」
「帰りの荷物が決まっているからな」
誠司は空いた床を測った。
「空いている場所も、荷物の一部なんだ」
「何も積まれていないのにですか?」
「何かを載せるために空けてあるなら、使い道があります」
誠司は中央の空間を指した。
「ここは空っぽじゃない。北方から帰ってくる人の場所です」
ロウグは帳面へ、新しい項目を書き加えた。
回収用空間――確保済み
*
荷台の仕組みを作る前に、誠司たちは必要な条件を整理した。
第一に、傾けすぎないこと。
第二に、強い振動を与えないこと。
第三に、温度を急に変えないこと。
第四に、容器を開けずに水車町まで運べること。
リアは返送送り状を机へ置いた。
荷姿――低温休眠容器
状態――生命反応あり
「低温休眠という言葉が、どの程度の温度を指すのか分かりません」
リアは氷晶石を布越しに持ち上げた。
「凍らせればよいとは限りません。冷やしすぎれば、中にいる人を傷つける可能性があります」
「中枢で保たれている温度を、そのまま維持できればいい」
誠司が言った。
「容器を受け取ったときに表面の温度を測ります。その温度を基準にする」
「測っている間にも変化します」
「だから、すぐ記録できるようにします」
ロウグは小さな板を何枚も用意した。
一枚目には、回収時刻。
二枚目には、容器の表面温度。
三枚目には、外気温。
四枚目には、氷晶石の使用数。
それぞれ大きな文字と記号で書かれている。
手袋を外さなくても記入できるよう、数字を刻むための先端が太い筆記具も用意した。
「十分ごとに確認するのはどうでしょう」
ロウグが提案する。
誠司は首を横に振った。
「最初は五分ごと。温度が安定してから十分ごとにします」
「運転しながらは無理だな」
カイルが言った。
「運転手と記録係を分けます」
誠司は人員表を広げた。
「俺が運転している間は、ロウグが荷台を確認する。ロウグが休む間はリア。道路の確認はカイルとガラン。エレナは道と中枢の記録」
「人数が多すぎれば、満タン便が重くなります」
エレナが指摘した。
「全員で中枢へは行きません」
誠司は道程を区切った。
水車町。
北砦。
冬季中継所。
返送庫。
雪崩跡。
その先の補給網中枢。
「北砦までは物資運搬の人員が同行します。冬季中継所から先は五人。返送庫から中枢へは、道の状態を見てさらに絞ります」
「帰りは?」
「返送庫で交代要員が待機します」
カイルが人員表を見て頷いた。
「疲れた者をそのまま水車町まで走らせないためか」
「はい。回収したあとが一番重要です」
荷物を見つけた安心。
目的を達成した興奮。
帰路を急ぎたい気持ち。
そういうときほど、確認が抜ける。
「行きより、帰りのほうが疲れています」
誠司は言った。
「受け取ったことで、仕事が終わった気にもなる。だから帰路の担当を先に決めておきます」
カイルは北砦から出せる交代要員の名を書き込んだ。
サーラは温かい飲み物と水の補給量を計算する。
バシールは水車町と北砦の間に、通常便とは別の連絡便を出すと申し出た。
「回収便が遅れた場合、町で待つ者には状況が分からない」
バシールは隊商用の小さな連絡札を机へ置いた。
「北砦まで定時に知らせを運ぶ。そこから南へは、通常便に引き継げる」
「お願いします」
「人を運ぶ便なら、待つ者の不安も運ばねばならん」
誠司は、その言葉を準備表の隅へ書き留めた。
回収便が運ぶのは、返送品だけではない。
待っている人への知らせも、同じ道を通る。
*
ガランが作った可動枠の試験は、水車町の外れにある古い荷車道で行われた。
石が浮き、車輪の跡が深く残っている。
北方の旧街道ほどではないが、揺れを試すにはちょうどよかった。
金属枠の中には、人の代わりに蓋付きの水瓶を載せた。
水面すれすれまで水を入れ、蓋の内側には乾いた布を貼る。
強く揺れれば、水がこぼれて布が濡れる。
枠の四隅には、細い炭の棒を吊るした。
揺れれば棒が周囲の板へ触れ、黒い線を残す。
「水と炭で、揺れ方が分かるのか」
ガランが感心したように言う。
「数字を測る道具がなくても、前と比べることはできます」
誠司は荷台の扉を閉めた。
一回目。
金属枠を床へ直接固定した状態で走る。
速度はゆっくり。
それでも、試験を終えて荷台を開けると、布は大きく濡れていた。
炭の線も左右へ何本も走っている。
二回目。
床へゴム板を二重に敷いた。
布の濡れは少なくなった。
だが、炭の線はまだ長い。
上下の衝撃は減っても、左右の揺れが残っている。
三回目。
枠を固定帯で左右から吊り、床との間に小さな隙間を作った。
水はほとんどこぼれなかった。
しかし、曲がり角で枠が大きく傾き、片側の炭が太い線を残した。
「柔らかくすりゃいいってもんじゃないな」
ガランが固定帯を引く。
「揺れを逃がしすぎると、戻ってこない」
誠司は帯の長さを左右で調整した。
下のくさびも位置を変える。
完全に固定せず。
自由にもしすぎず。
衝撃だけを受け流す。
四回目。
満タン便は同じ道を、同じ速度で走った。
試験後。
蓋の内側の布には、小さな水滴が二つだけ付いていた。
炭の線も、短い。
「これなら使える」
ガランが言った。
「まだです」
誠司は濡れた布を取り替えた。
「今度は速度を変えます」
「十分ゆっくり走っただろう」
「予定どおり走れるとは限りません。雪を抜けるために少し力をかけることもある。坂道もあります」
五回目。
坂道。
六回目。
片側だけに石を置いた道。
七回目。
急停止。
試験を重ねるごとに、固定帯の位置が変わった。
くさびの数が減り、ゴム板の厚みが調整された。
最後には、枠の横へ一本の短い縄が取り付けられた。
縄の先には小さな木片がぶら下がっている。
木片が枠の線を越えれば、傾きすぎていると分かる。
「見ただけで判断できます」
ロウグが言った。
「暗くても触れば分かる」
リアも木片を動かした。
「容器を開けずに状態を確かめる方法が、もう一つ必要です」
「音はどうでしょう」
エレナが提案した。
「容器の中で異常が起きれば、何らかの音がするかもしれません」
「走行音で聞こえんぞ」
ガランが言う。
誠司は荷台の壁を見た。
「連絡用の紐を付けます」
運転席と荷台の間に細い紐を通す。
一度引けば、速度を落とす。
二度引けば、停車。
三度なら、すぐに全員が降りて確認。
声が届かなくても、紐なら伝えられる。
ロウグは合図を準備表へ記した。
「単純ですね」
「疲れているときは、三つ以上覚えないほうがいい」
試験が終わったころには、日が傾いていた。
荷台の中央に、金属枠が収まっている。
何を載せるのかは、まだ誰も知らない。
それでも、帰ってくる場所は少しずつ形になっていた。
*
翌日。
誠司たちは、満タン便で北方へ向かった。
今回の目的は、中枢への到達ではない。
可動枠を積んだ状態での走行確認と、返送庫までの道の再点検。
そして、雪崩跡手前に回収便用の待機地点を作ることだった。
北砦でカイルと合流する。
冬季中継所では、交代要員へ連絡手順を説明した。
返送庫へ着くと、石板に残された在庫記号を確認する。
保存食が一つ。
薪が二束。
毛布が一枚。
減っていた。
「誰かが使ったようです」
ロウグが石板を指した。
持ち出された数だけ、線が削られている。
「記録どおりですね」
「誰でしょう」
エレナが小屋の周囲を見回す。
雪の上に古い足跡はない。
数日前に降った雪で消えた可能性もある。
誠司は不足分を補充した。
保存食を一つ。
薪を二束。
毛布を一枚。
「使われたなら、ここを作った意味がありました」
それ以上は追わなかった。
補給地点は、使う者の名を尋ねるための場所ではない。
必要なときに、必要な物があること。
そして次の便が不足を補うこと。
それで役目を果たしている。
返送庫から先。
雪原の三本線は、部分的に埋まりかけていた。
青い標識棒は残っている。
だが、白い布の一枚が風で裂けていた。
カイルが新しい布へ交換する。
ガランは路面へ鉄棒を差し込み、舗装石の位置を確かめた。
前回より積雪が増えている。
誠司は満タン便を進ませる前に、中央の歩行線を作り直した。
少し進んでは止まる。
地面を調べる。
車輪の線を除雪する。
また少し進む。
時間はかかった。
それでも、雪崩跡の手前まで満タン便が入れる道がつながった。
「前回は歩きだけだった場所だ」
カイルが後ろを振り返る。
赤い満タン便。
雪原に続く三本線。
その先にある返送庫。
冬季中継所。
北砦。
水車町。
点だった場所が、少しずつ線になっている。
雪崩跡の手前には、満タン便が方向転換できる広さの場所を作った。
一度の切り返しで南を向ける。
車体の周囲を歩ける余裕も取る。
道具を置く小さな雪棚。
氷晶石を保管する石箱。
緊急時の食料と毛布。
誠司はそこを、回収待機所として記録した。
「ここから先は、中枢へ続く誘導線です」
エレナが氷晶石を中央の溝へ近づける。
青白い光が、一つ。
また一つ。
雪崩跡の向こうへ灯っていく。
前回と同じだった。
いや。
「光が増えています」
ロウグが言った。
前は、雪崩跡から北へ伸びる光だけだった。
今回は、最も手前の氷晶石から細い光が分かれ、満タン便の方角へ伸びている。
青白い光は雪面を這い、車体の後部へ届いた。
満タン便の荷台の中。
可動枠を固定している金属部分が、淡く光る。
ガランが荷台を開けた。
空の枠。
何も載っていない回収場所。
その中央に、青い光が集まっていた。
ロウグが携帯していた補給網中継器を確認する。
表示が切り替わる。
回収便設備を確認。
続けて、文字が現れた。
搬送空間――適合。
温度保持設備――仮適合。
振動軽減設備――適合。
回収経路――未完成。
「中枢が荷台を調べている」
エレナが言った。
「容器を運べるか、確認しているんです」
誠司は最後の表示を見た。
回収経路――未完成。
雪崩跡の向こう。
まだ満タン便の通れない道が残っている。
「今日はここまでです」
今回は、誰も先へ進もうとは言わなかった。
回収便の条件が、一つずつ分かり始めている。
荷台は使える。
温度保持は、まだ仮。
道は未完成。
次の仕事が明確になった。
「雪崩跡を除く方法を考えます」
ガランが雪の層を調べる。
「上から全部どかすのは危険だ。横へ逃がす溝を先に作る。雪を載せる場所も必要だな」
カイルは周囲の斜面を見た。
「作業中に新しい雪が落ちないよう、見張りを置く」
エレナは地図へ待機所を書き込んだ。
ロウグは補給網中継器の表示を一字ずつ記録する。
誠司は空の可動枠へ手を置いた。
まだ、誰も載っていない。
それでも中枢は、この空間を回収便の設備として認めた。
何もないことに、意味が生まれていた。
*
水車町へ戻った夜。
誠司は返送受入所で、回収便の記録を整理していた。
ガランが作った受領印。
新しい受入帳。
低温区画。
保温区画。
寝台。
どれも、まだ使われていない。
だが、使われないまま終わるために作ったのではない。
帰ってくる誰かのために、空けてある。
配送帳面が淡く光った。
ページがひとりでに開く。
第一配送記録・北方第十九便
荷物を迎えに行く日、私は荷台を空にした。
食料も、薪も、工具も、必要な物だけを残した。
それでも中枢は、出発を許さなかった。
「空いている場所が、一つ足りません」
私には、その意味が分からなかった。
記録の下へ、回収便の確認項目が現れた。
搬送空間――適合
温度保持設備――仮適合
振動軽減設備――適合
回収経路――未完成
乗員配置――不適合
誠司は最後の項目を見つめた。
乗員配置。
荷物の積み方ではない。
同行する者の配置に、問題がある。
さらに文字が浮かぶ。
回収時必要空席――二席
満タン便の運転席には、運転手席と助手席がある。
誠司が運転すれば、空いているのは助手席一つだけ。
だが、中枢が求めている空席は二つ。
「二席……」
返送品は、低温休眠容器に入った一名。
容器は荷台へ積む。
それなら、なぜ座席が二つ必要なのか。
帳面に、新しい欄が現れた。
回収対象――北方一号
同行者――一名
登録状態――未返送
誠司の手が止まる。
北方補給網中枢で待っているのは、容器に入った一人だけではなかった。
同行者がいる。
その人物は、返送品として登録されていない。
最後に、短い一文が表示された。
同行者は、自力で乗車します。
静かな返送受入所の外で、満タン便の助手席の扉が鳴った。
かちり。
鍵が開く音だった。
回収便用の可動枠が完成し、返送庫から雪崩跡まで満タン便の道がつながりました。
荷台を空けることも、回収便に必要な準備の一つです。
しかし、中枢が求めたのは二つの空席。
低温休眠容器とは別に、自力で満タン便へ乗る「同行者」がいるようです。
その人物は、誰なのでしょうか。




