第83話 雪に消える道標
北方配送路。
それは第一配送者が最後まで復旧できなかった、最後の未踏地域だった。
西では砂嵐。
東では森。
南では豪雨。
そして北では――雪。
道そのものが毎日のように姿を変える世界へ、満タン便は初めて足を踏み入れる。
朝。
北砦の門がゆっくり開く。
空は鉛色。
昨夜から降り続いた雪が街道を白く覆っていた。
誠司はトラックの周りを一周する。
タイヤチェーン。
異常なし。
燃料。
満タン。
ラジエーター。
問題なし。
荷台には保存食、防寒具、毛布、薬箱、薪、凍傷薬、そして飲料水。
雪国でも水は必要だ。
ロウグが防寒具の襟を立てながら笑う。
「西とは正反対ですね。」
「あっちじゃ日陰を探してた。」
「今は日向を探しています。」
誠司も笑った。
同じ配送でも、土地が違えば準備も変わる。
北砦を出発して二時間。
街道は徐々に細くなり、周囲の木々も針葉樹へ変わっていく。
枝には雪が積もり、風が吹くたびに白い粉が舞う。
ガリ……。
ガリ……。
チェーンが雪を噛みながら進む。
スピードは歩くより少し速い程度。
焦らない。
それが一番早い。
昼前。
最初の目印柱が見えた。
いや、正確には半分だけ見えていた。
雪に埋もれている。
誠司はスコップを持って降りた。
掘る。
掘る。
ようやく柱全体が現れる。
木には古い文字。
北街道 一里
さらにその下へ、小さな赤い車の印。
第一配送者の印だった。
誠司は柱の横へ、新しい赤い布を結ぶ。
吹雪でも見えるように。
帳面へ記録する。
北街道目印 一基復旧
青い線が、わずかに北へ伸びた。
さらに進む。
突然、トラックが止まった。
前輪が空転している。
雪ではない。
下は氷だった。
誠司はすぐアクセルを戻す。
無理に踏まない。
「板を。」
ガランが木板を持ってくる。
タイヤの前へ差し込む。
皆で少しだけ押す。
ゆっくり。
ガリッ。
タイヤが板を噛み、静かに前へ出た。
「よし。」
誰も大声を上げない。
一つ越えたら、また次がある。
雪道とはそういう場所だった。
午後。
山道の途中で、小さな山小屋を見つけた。
屋根は雪で真っ白。
煙突から煙は出ていない。
誠司は慎重に近付く。
扉を叩く。
返事はない。
「失礼します。」
中には誰もいなかった。
しかし暖炉には薪が積まれ、毛布も畳まれている。
机の上には古い木札。
そこには短く書かれていた。
吹雪の時は使ってください。
名前はない。
誰が建てたのかも分からない。
誠司は静かに暖炉へ薪を一本足した。
「次の人のために。」
火は付けない。
薪だけ補充する。
使った人が、また次の人のために一本残す。
そんな場所なのだろう。
帳面が光る。
避難小屋 確認
利用可能施設 登録
山小屋を出てしばらくすると、風が強くなってきた。
細かな雪が舞い上がり、視界が急に狭くなる。
「地吹雪です。」
ロウグが声を上げる。
目印柱が見えない。
道も分からない。
誠司はすぐトラックを止めた。
「動かない。」
ガランも頷く。
「これ以上は危ねぇ。」
焦って進めば迷う。
迷えば帰れない。
西でも東でも学んできたことだった。
皆は車内で待機する。
温かい飲み物を配る。
外へ出る者はいない。
三十分ほど経つと、風は少しずつ弱まった。
視界が戻る。
誠司は最初に目印柱を確認した。
ちゃんと見える。
「行こう。」
夕方近く。
山の尾根へ出た。
その先に、小さな煙が見える。
一本。
また一本。
全部で五本。
集落だった。
「着いた……。」
ロウグが静かに呟く。
雪の谷間に、小さな家々が寄り添うように建っている。
屋根は厚い雪に覆われ、煙突だけが空へ伸びていた。
帳面が光る。
北方集落 確認
名称不明
誠司はゆっくり坂を下る。
集落の入口には、大人が数人立っていた。
皆、厚い毛皮をまとっている。
赤いトラックを見ると、驚いたように目を見開いた。
一人の老人が前へ出る。
そして、震える声で言った。
「……赤い荷車。」
ロウグが通訳しようとする前に、老人は続けた。
「帰ってきた。」
誠司は息を呑んだ。
「知っているんですか?」
老人はゆっくり頷く。
「若い頃、一度だけ見た。」
「雪の日だった。」
「食べ物を運んできてくれた。」
「でも、その次の冬は来なかった。」
第一配送者。
ここまで来ていた。
たった一度だけ。
老人は誠司の手を握る。
冷たい手だった。
「待っていた。」
その一言だけで十分だった。
二十八年。
この集落にも、待ち続けた人がいたのだ。
誠司は荷台を開ける。
保存食。
毛布。
薬。
薪。
一つずつ丁寧に降ろしていく。
子どもたちが目を輝かせて見ている。
老人が静かに言う。
「雪が早かった。」
「今年は峠を越えられないと思っていた。」
誠司は笑う。
「だから来ました。」
荷物を運び終えた時。
集落の長老が、小さな木箱を持ってきた。
中には透明な氷のような石が入っている。
青く澄んだ結晶。
「氷晶石。」
「山で採れる。」
誠司は見たことがない。
帳面へ近付ける。
文字が浮かぶ。
北方特産品 確認
冷却素材
ロウグが驚く。
「冷たさを保つ石です。」
誠司は思わず顔を上げた。
「……もしかして。」
飲み物。
薬。
食品。
冷やしたまま運べるかもしれない。
物流が、また一つ変わる。
夜。
集落の集会所で暖炉を囲む。
外では雪が静かに降っている。
帳面には今日の記録が並んだ。
北方第一便 完了
集落接続 成功
北方配送路復元率 9%
補給網中継器 稼働率 44%
その夜、第一配送者の記録が浮かぶ。
北で教わったことがある。
雪は道を消す。
でも、人は道を覚えている。
だから目印は、
道を教えるためではない。
「ここを通っていい」と、
安心してもらうために立てるんだ。
誠司は静かに帳面を閉じた。
今日、届けた荷物は決して多くなかった。
それでも。
「来てくれた。」
その事実だけで、集落の人たちは笑っていた。
物流とは、物の量ではない。
「また来る」という約束を運ぶこと。
その意味を、雪の村で改めて知るのだった。
第83話では、ついに北方の雪の集落へ到達しました。
第一配送者も一度だけ訪れたことがある場所であり、人々は二十八年間、「赤い荷車」を忘れずに待ち続けていました。
また、新たな特産品として氷晶石が登場しました。この石は今後、飲料や薬品の品質を保つ「冷却物流」の鍵となっていきます。
次回、第84話では、氷晶石を活用した新しい配送方法の試験と、北方集落に残る第一配送者の最後の足跡が明らかになります。




