第74話 二十八年越しの配達
風見の村は滅んでいなかった。
風車が止まり、水が途絶え、人々は森へ移り住んでいただけだった。
そして今、風車は再び回り始めた。
誠司の運転席には、一通の手紙がある。
二十八年間、誰にも開かれることなく守られ続けた、第一配送者が届けられなかった最後の配達。
その時が、ついに訪れる。
朝。
風見の村には、ゆっくりと朝日が差し込んでいた。
風車は静かに回り続けている。
ギィ……。
ギィ……。
その規則正しい音に合わせるように、村の人々も少しずつ家の戸を開け始めていた。
昨日まで閉ざされていた窓が開き、埃を払う音が聞こえる。
子どもたちは久しぶりに広場を走り回り、女性たちは井戸の周りを掃除している。
村はまだ元には戻っていない。
それでも確かに、「暮らし」が戻り始めていた。
誠司は革袋を抱え、村の広場へ向かう。
昨日、村長の名前が書かれた封筒を見て驚いた老人は、一軒の家へ誠司たちを案内した。
村で一番古い木造の家。
庭には大きな風見樹が植えられている。
老人は静かに扉を叩いた。
しばらくして、一人の女性が姿を現した。
五十代ほどだろうか。
落ち着いた表情をしている。
老人はゆっくりと説明する。
「この方は……。」
「前村長の娘です。」
誠司は息を呑んだ。
「では……村長さんは。」
女性は少し寂しそうに微笑んだ。
「十五年前に亡くなりました。」
その言葉に、誰もすぐには声を出せなかった。
二十八年前に届けられるはずだった手紙。
その宛先は、もうこの世にはいない。
誠司は革袋を握り締める。
間に合わなかった。
その事実だけが胸へ重く残る。
女性は封筒を見つめ、静かに言った。
「父は最後まで待っていました。」
「赤い車が、また来ると。」
誠司は驚いた。
「待っていたんですか。」
「はい。」
「毎年、風車の前へ立って。」
「今日は来るかもしれない、と。」
女性は涙を堪えるように笑う。
「だから私は、この手紙を受け取ります。」
「父の代わりに。」
誠司はゆっくり頷いた。
両手で封筒を差し出す。
「お届けに参りました。」
その一言だけだった。
配送屋として言うべき言葉は、それだけで十分だった。
女性は両手で手紙を受け取る。
二十八年。
ようやく約束が果たされた瞬間だった。
村人たちも静かに見守っている。
女性は封を見つめる。
青い蝋。
割られていない。
二十八年前のまま。
「……開けても、いいでしょうか。」
誠司は微笑んだ。
「もちろん。」
女性は静かに蝋を割る。
封筒から、一枚の便箋を取り出した。
少し黄ばんでいる。
だが文字ははっきり残っていた。
女性はゆっくり読み始める。
風見の村長様へ
いつも風車を守ってくださり、ありがとうございます。
この村の風車が止まれば、
東の道も止まります。
だから部品を届けに向かいます。
少し遅れますが、
必ず届けます。
それまで、どうか待っていてください。
第一配送者より
広場が静まり返る。
たったそれだけの手紙だった。
重要な秘密が書かれているわけでもない。
財宝の場所でもない。
未来を変える魔法でもない。
ただ。
「必ず届けます。」
その約束だけが書かれていた。
女性は便箋を胸へ抱き締めた。
涙が静かに頬を伝う。
「父は……。」
「最後まで信じていました。」
誠司は目を閉じる。
第一配送者は約束を破ったわけではない。
届けたくても、届けられなかった。
その続きを、自分が運んできたのだ。
その時。
帳面が今までで一番優しく光った。
文字が浮かぶ。
未配達郵便
配送完了
保管期間 二十八年
約束 履行確認
そして、ページがひとりでにめくれた。
新しい記録が現れる。
もし、この手紙が届いたなら。
私はもう、その場にはいないでしょう。
でも、届けてくれた配送者へ。
ありがとう。
配送とは、
荷物を運ぶ仕事ではありません。
約束を、
時間を、
人の想いを、
次の誰かへ渡す仕事です。
私は途中までしか走れませんでした。
あとは、お願いします。
誠司は静かにページを閉じた。
「……任せてください。」
自然と言葉がこぼれた。
昼頃。
村人たちは風車の周りへ集まっていた。
村長の娘が、手紙を皆へ読んで聞かせる。
若い人は第一配送者を知らない。
それでも皆、静かに耳を傾けていた。
「必ず届けます。」
その一文だけで十分だった。
約束は、二十八年遅れても約束だった。
帰る前。
村長の娘が、小さな木箱を持ってきた。
「これは父からです。」
中には古い真鍮製の鍵が入っていた。
錆びているが、美しく磨かれている。
鍵には小さく文字が刻まれていた。
東補給庫
誠司は首を傾げる。
「補給庫?」
女性も頷く。
「父は言っていました。」
「いつか赤い車が戻ったら、この鍵を渡せと。」
帳面が反応する。
東方補給庫 鍵を確認
第一配送者最終計画
解除条件 一部更新
ロウグが驚いた顔をする。
「まだ先があるのですね。」
誠司は鍵を大切に革袋へしまった。
「約束は、一つじゃなかったみたいだ。」
夕暮れ。
満タン便は風見の村を後にする。
バックミラーには、風車の前で手を振る人々の姿が映っていた。
昨日まで眠っていた村とは思えないほど、温かな景色だった。
夜。
帳面には、新しい数字が表示された。
第一配送網復元率 61%
そして、その下に一行。
東方補給庫の探索を開始してください。
誠司は小さく笑う。
「まだまだ終わらないな。」
ロウグも笑顔で頷いた。
「配送網は、生きていますから。」
誠司はエンジンを切り、夜空を見上げた。
西でつないだ道。
東で果たした約束。
そのどちらも、第一配送者が残した想いの続きを走っている。
明日の荷台も、きっと満タンになる。
そして今度は、一通の手紙ではなく。
**第一配送者が最後まで辿り着けなかった「東補給庫」**を探す旅が始まるのだった。
第74話では、本作の大きな節目となる**「二十八年越しの配達」**を描きました。
手紙の内容はあえてシンプルにし、「約束を守ること」そのものに物語の重心を置いています。
そして新たな鍵となる**「東補給庫の鍵」**が登場しました。
ここから先は、第一配送者が最後に残した計画の核心へ近づく、新たな章が始まります。




