第71話 東への一歩
西方配送網は、多くの人々の手によって自立し始めた。
満宿、給水所、そして隊商との共同運行。
もう誠司一人が走らなくても、西への道は生き続ける。
だから今、満タン便は第一配送者が果たせなかった最後の約束を胸に、東への道へハンドルを切る。
朝日が東の山並みを黄金色に染めていた。
誠司はいつものように荷台を確認する。
飲み物は満タン。
ガソリンも満タン。
そして運転席の隣には、小さな革袋。
その中には、一通の手紙が静かに眠っていた。
二十八年間、誰にも開けられることなく守られてきた手紙。
誠司は革袋をそっと撫でる。
「必ず届ける。」
誰に聞かせるでもない、小さな約束だった。
水車町の広場には、多くの人が集まっていた。
西へ初めて向かった日と同じように、皆が見送りに来ている。
ガランは新しく鍛えたスコップを荷台へ載せる。
「東の土は分からねぇ。」
「掘ることもあるだろ。」
エレナは分厚い帳簿を差し出した。
「東方との交易記録です。」
「百年以上前のものですが、地名くらいは残っています。」
カイルは丈夫なロープを束で渡す。
「谷、多いかも。」
森の年長女性は、小さな木の実を入れた袋を手渡した。
ミナが微笑みながら訳す。
「疲れた時、甘い。」
誠司は一つ一つ受け取り、深く頭を下げた。
「ありがとう。」
「西は頼む。」
バシールが大きく頷く。
「任せろ。」
その一言だけで十分だった。
満タン便は東街道へ入る。
西とはまるで違う景色だった。
乾いた風ではなく、湿った空気。
道の両側には背の高い木々が並び、小鳥のさえずりが聞こえる。
川も多い。
小さな橋をいくつも渡る。
ロウグが周囲を見回す。
「水が豊かですね。」
「ああ。」
「西とは真逆だ。」
帳面を開く。
青い線はまだ短い。
水車町から少し伸びるだけで、その先は銀色に消えている。
昼前。
最初の村へ到着した。
「柳渡の村」
十数軒ほどの小さな村だった。
誠司は荷物を届ける用事はない。
情報を集めるために立ち寄る。
村の広場では、老人たちが将棋のような遊びをしていた。
誠司は「風見の村」を尋ねる。
老人たちは顔を見合わせる。
「聞いたことがない。」
「昔はあったかもしれん。」
一人だけ、村一番の長老が静かに口を開いた。
「風見なら……東の風車だ。」
「風車?」
「大きな風車が回る村があった。」
「子どもの頃、父から聞いた。」
誠司は帳面へ書き込む。
すると地図へ小さな印が一つ灯る。
風見の村
旧地名候補確認
「少しずつだな。」
焦らない。
西で学んだことだった。
村を出る時、一人の少年が走ってきた。
手には小さな木箱。
「これ!」
中には風車のおもちゃが入っていた。
木で作られた、小さな風車。
羽根が風を受けてくるくる回る。
「じいちゃんが作った。」
「風見の村って、こんなのがいっぱいあったって。」
誠司は一本だけ買い取った。
「ありがとう。」
少年は嬉しそうに笑った。
午後。
街道を進むと、大きな石橋が見えてきた。
西の橋とは違う。
立派な石造り。
だが、人影がない。
誠司はトラックを止めた。
橋の中央には、大きな倒木が横たわっていた。
通れない。
帳面が光る。
東方街道
通行障害確認
誠司は倒木を調べる。
新しく倒れたものではない。
かなり前から放置されている。
斧の跡もある。
途中まで片付けようとした形跡もあった。
「途中で諦めたのか。」
ロウグは橋の向こうを見る。
「道は続いています。」
つまり。
道が悪いのではない。
使う人がいなくなっただけ。
西方街道と同じだった。
誠司は荷台からロープを下ろした。
一人では動かせない。
無理はしない。
帳面へ書き込む。
倒木撤去 要支援
「今日は戻ろう。」
ロウグは驚いた顔をする。
「進まないのですか?」
誠司は笑った。
「西ならどうした?」
「皆を呼びました。」
「そういうこと。」
無理をしても、道は続かない。
まず必要な人を集める。
それが満タン便のやり方だ。
夕暮れ。
水車町へ戻る途中、誠司は柳渡の村へ寄った。
長老へ倒木の話をすると、老人は少し笑った。
「若い者を出そう。」
「橋は皆で直すもんだ。」
その一言で、誠司の表情も明るくなる。
「ありがとうございます。」
夜。
帳面には新しい文字が浮かんだ。
東方配送路
共同復旧計画 開始
風見の村到達率 8%
そして、第一配送者の記録。
私は東へ急いだ。
約束の手紙を届けたかった。
だから一人で倒木を動かそうとした。
一日かけても動かなかった。
翌日、村人十人で来たら、
一時間で終わった。
急ぐとは、
一人で頑張ることではない。
助けを頼む勇気でもある。
誠司は静かに笑った。
「本当に同じことしてるな。」
ロウグも笑う。
「第一配送者は、たくさん失敗してくれています。」
「だから俺たちは助かる。」
帳面を閉じる。
革袋の中の手紙は、まだ届けられていない。
でも焦りはなかった。
約束は、急いで果たすものではない。
確実に届けるものだから。
翌朝。
荷台には飲み物のほかに、新しい荷物が積まれていた。
斧。
鋸。
滑車。
ロープ。
そして作業用の手袋。
今日は配送ではない。
東への道を、もう一度歩ける道へ戻すための便。
満タン便は朝日に照らされた東街道へ向かって、ゆっくりと走り出した。
第71話から、いよいよ東方編が本格的に始まりました。
西方が「水のない世界」だったのに対し、東方は「水はあるのに道が失われた世界」です。
対照的な課題を描くことで、物流とは単に物資を運ぶことではなく、「人が行き来できる状態を維持すること」だというテーマをさらに深めていきます。
次回、第72話では、東街道の倒木撤去作業が始まり、誠司は東の人々と初めて「道を直す共同作業」に取り組むことになります。そこから、風見の村へ続く新たな手がかりが見つかります。




