第61話 西方第一便
満宿が建設され、旧西方街道には少しずつ目印柱が立ち始めた。
まだ道は完全には戻っていない。
それでも、その努力を待っていた人がいた。
二十八年もの間、配送が途絶えていた西方乾燥地帯から、初めて正式な配送依頼が届く。
朝。
水車町の集荷所は、いつもより少しだけ静かだった。
理由は皆が知っている。
今日は「西方第一便」が出る日だからだ。
誠司は荷台の前で、何度も積み荷を確認していた。
飲料は満タン。
ガソリンも満タン。
しかし今日の荷物は、今までとは違う。
水の樽。
薬師が調合した熱中症対策の薬草茶。
塩。
保存食。
布。
予備の口布。
小型補給箱。
交換用の灯籠。
そして、木札。
木札には大きく書かれている。
第一便
ロウグが笑う。
「少し緊張していますか?」
「そりゃな。」
誠司は苦笑した。
「橋を渡る時とも違う。」
「知らない相手だからな。」
西方乾燥地帯。
帳面では「配送途絶二十八年」と記録されていた土地。
どんな人が待っているのか。
誰も知らない。
だからこそ慎重だった。
荷物は必要最小限。
売るためではなく、繋ぐための荷物だけを積む。
出発前。
水車町の人々が見送りに来ていた。
ガランは新しく鍛えた工具を手渡す。
「砂は金具を痛める。」
「これなら分解して掃除しやすい。」
エレナは羊皮紙を渡す。
「乾燥地帯で取れる鉱石の記録です。」
「もし交換できるなら。」
「無理はしません。」
誠司は頷いた。
「まずは挨拶だ。」
「商売はその後。」
北砦のカイルは水袋を差し出す。
「乾いた風。」
「思ったより水、飲む。」
森の年長女性は、小さな袋を渡した。
中には乾燥させた薬草。
ミナが訳す。
「砂を吸いすぎた時に煎じる。」
誠司は深く頭を下げた。
「ありがとう。」
これまで繋いできた道が、今日の第一便を支えている。
その重みを感じながら、エンジンを始動した。
西方街道。
目印柱は朝日に照らされ、一本ずつ赤く光っていた。
風向板が静かに回っている。
満宿へ到着すると、建設中の宿にはすでに兵士が待機していた。
「異常なし。」
カイルが親指を立てる。
井戸の水位。
風向き。
補給箱。
灯籠。
すべて確認済みだった。
誠司は帳面へ記録する。
満宿出発
西方第一便開始
帳面の地図で、青い線が満宿の先へ少しだけ伸びた。
「行こう。」
満宿から先は、本当の未知だった。
地面は乾き、砂利が増え、草はほとんど生えていない。
乾いた風が車体を揺らす。
誠司は速度を落とした。
急げば砂煙が大きくなる。
砂煙は視界を奪う。
ゆっくり。
一定速度。
それが一番安全だった。
途中で第一の目印柱を確認。
異常なし。
第二。
第三。
第四。
どれも無事。
その先には、まだ何もない。
誠司は荷台から新しい柱を降ろした。
今日の仕事は配送だけではない。
道を延ばすことでもある。
ガランから預かった杭を打ち込み、柱を立てる。
ロウグが距離を測る。
帳面へ書き込む。
第五目印柱設置
青い線が、また少し伸びた。
昼近く。
地平線に何かが見えた。
小さな建物。
いや、石造りの壁だ。
近づくにつれ、それが集落だと分かった。
建物は低い。
屋根は平ら。
風除けの壁が高い。
乾燥地帯特有の造りだった。
トラックが近づくと、人々が警戒しながら集まってくる。
子どもは大人の後ろへ隠れる。
老人が前へ出た。
言葉は通じない。
だが誠司は急がない。
まず荷台を開けない。
両手を見せる。
敵意がないことを示す。
それから木札を差し出した。
第一便
ロウグがゆっくりと共通語で話す。
老人は分からない。
だが、一人だけ反応した若い女性がいた。
片言だが、共通語を話せる。
「……配送?」
「そう。」
「水車町から来た。」
女性は驚いた顔をした。
そして何かを思い出すように空を見上げる。
「昔……赤い車。」
誠司の胸が高鳴る。
「知ってるのか?」
女性は首を横に振る。
「私じゃない。」
「祖父が話してた。」
「毎日、水をくれる車。」
第一配送者。
この土地にも確かに来ていた。
誠司は荷台を開ける。
水を一本だけ渡す。
売らない。
まず飲んでもらう。
女性は戸惑いながら受け取り、小さく口をつけた。
冷たい。
その瞬間、目を大きく見開いた。
周囲がざわつく。
老人も少しだけ笑った。
誠司はその笑顔を見て、第一配送者の日記を思い出した。
水を欲しがる人に一本渡した。
ありがとう、と笑われた。
まったく同じだった。
集落の長が現れた。
白い布を頭へ巻いた老人だった。
若い女性が通訳する。
「歓迎します。」
「長い間、誰も来なかった。」
誠司は深く頭を下げた。
「今日から少しずつ。」
「急がず。」
「道を繋ぎます。」
長は静かに頷いた。
荷物は全部渡さない。
今日は水と薬草茶だけ。
残りは次の便。
一度に生活を変えない。
それが満タン便のやり方だった。
長も理解したようだった。
代わりに差し出されたのは、小さな石だった。
青く透き通る鉱石。
エレナが話していた乾燥地帯の特産品らしい。
誠司は一つだけ受け取る。
「次の便で、また話そう。」
女性が笑う。
「はい。」
帰り道。
誠司は何度もバックミラーを見た。
集落の人々が、小さく手を振っている。
第一便。
たった一本の水。
たった一つの挨拶。
それだけで十分だった。
帳面が静かに光る。
西方第一便 完了
乾燥地帯第一集落 仮登録
第一配送網復元率 38%
夜。
第一配送者の記録が現れる。
私は最初の日、
何を届ければいいのか分からなかった。
だから、水を一本だけ渡した。
それで十分だった。
最初の配送とは、
荷物ではなく、
「また来ます」という約束を届けることだった。
誠司は静かに帳面を閉じた。
トラックの荷台は空になっている。
だが、明日の朝にはまた満タンになる。
そして今度は、約束を守るために西へ走る。
異世界の空には、満天の星が広がっていた。
その下で満タン便は、新しい道の最初の一歩を、確かに刻んだ。
第61話では、西方乾燥地帯への第一便が描かれました。
派手な取引ではなく、「まず一本の水を届ける」という第一配送者と同じ始まりを、誠司も選びます。
次回、第62話では、西方集落の暮らしを知るための滞在と、「水を運ぶだけでは解決できない問題」に向き合うことになります。物語はいよいよ、西方乾燥地帯編へ本格的に入っていきます。




