第15話 荷台の奥の小さな扉
満タン便に第一集荷所ができ、運行は安定し始めた。
その翌朝、帳面に浮かんだ「新規機能」の文字。
そして荷台の奥には、これまで存在しなかった小さな扉が現れていた。
荷台の奥に現れた小さな扉は、最初からそこにあったかのように自然だった。
けれど、田村誠司は知っている。
昨日まではなかった。
何度も荷台を整理した。
飲料ケースを動かした。
棚を付けた。
工具箱を置いた。
その壁には、ただ白い金属板があっただけだ。
今は違う。
腰の高さほどの位置に、四角い継ぎ目がある。
取っ手はない。
鍵穴もない。
ただ、薄い線だけが浮かんでいる。
ロウグが後ろから覗き込んだ。
「隠し棚ですか?」
「知らない。俺のトラックに、こんなのはなかった」
山の集落の少女も、水車町の受付係も、少し離れて見ていた。
少女は興味津々で、今にも触りそうだ。
「待て」
誠司は手で制した。
何が起きるか分からない。
飲み物が満タンになる時点で、このトラックは普通ではない。
だが、これまではまだ使い方が分かっていた。
飲み物が戻る。
ガソリンが戻る。
地図に道が浮かぶ。
帳面に依頼が出る。
どれも奇妙だが、配送の役には立った。
でも、扉は違う。
中に何があるか分からない。
誠司は帳面を開いた。
昨日浮かんだ文字の続きが、まだ残っている。
運行安定度 上昇
新規機能 解放条件達成
その下に、新しい一文が浮かんだ。
保冷区画:使用可能
「保冷区画……?」
ロウグが首を傾げる。
「冷たさを保つ場所、という意味ですか?」
「たぶん」
誠司は扉に手を近づけた。
触れる直前、継ぎ目が淡く光る。
カチリ。
音がして、扉が少しだけ開いた。
冷気が流れ出した。
水車町の朝の空気より、ずっと冷たい。
少女が「ひゃっ」と声を上げて後ずさる。
ロウグも目を見開いた。
誠司はゆっくり扉を開けた。
中は小さな収納庫だった。
奥行きはそれほどない。
だが、内部の壁には白い霜が薄くついている。
完全な冷凍庫ではない。
冷蔵庫に近い。
「本当に保冷区画だ……」
誠司は中に手を入れる。
冷たい。
だが痛いほどではない。
飲み物を冷やすには十分。
薬や食材も保存できるかもしれない。
ロウグの目が商人の光を帯びた。
「これは、とんでもない価値です」
「だろうな」
「肉、薬、魚、乳製品、傷みやすい品が運べます」
「問題は量だ。そんなに入らない」
誠司は収納庫の中を確認した。
入るのはせいぜい小箱二つ分。
大きくはない。
だが、小さいからこそ扱える。
使いすぎずに済む。
帳面に新しい規則を書く。
保冷区画は薬・傷みやすい食品・緊急品のみ。商人の高額品独占は禁止。
ロウグが苦笑する。
「私が何か言う前に釘を刺されましたね」
「言うだろ」
「言いましたね、きっと」
その日の受付所では、保冷区画の話は伏せることにした。
見せすぎれば依頼が殺到する。
まずは試験運用だ。
最初に使う荷物は、薬師の薬だった。
水車町の薬師が、北砦へ届けたい熱冷ましの薬を持ってきた。
これまでは暑い日だと劣化が早かったらしい。
薬師は保冷区画の中を見て、震えるほど感動していた。
「神の箱だと言っています」
ロウグが訳す。
誠司は即座に首を横に振った。
「神じゃない。冷蔵庫だ」
「その冷蔵庫というものが、こちらでは神の道具なのです」
言い返せなかった。
薬瓶を布で包み、小箱に入れ、保冷区画へ収める。
扉を閉めると、カチリと音がした。
帳面に文字が浮かぶ。
保冷輸送:一件登録
誠司はため息をついた。
「本当に配送システムみたいになってきたな」
その日の便は、北砦補給路だった。
水、スポーツドリンク、缶コーヒー、包帯、干し肉。
そして保冷薬。
助手席にはカイル。
水車町を出る前、少女が誠司の袖を引いた。
彼女は自分を指差し、荷物棚を指差す。
手伝う、という意味だ。
だが今日は危険路だ。
誠司は首を横に振った。
少女は不満そうに頬を膨らませた。
ロウグが笑う。
「名前を決めてあげた方がいいのでは?」
「名前?」
「いつまでも“山の集落の少女”では不便です」
確かにそうだ。
誠司は今さら気づいた。
少女は胸を叩き、自分の名を言った。
「ミナ」
短く、明るい響き。
「ミナか」
誠司が繰り返すと、少女――ミナは嬉しそうに頷いた。
「分かった。ミナ、今日は留守番。受付を頼む」
言葉は通じきらないが、ロウグが訳すと、ミナはしぶしぶ頷いた。
満タン便は北へ向かった。
森の中継所には異常なし。
前回置いた水も少し減っている。
誰かが使ったらしい。
カイルが補充用の水を棚に置く。
減ったものを補う。
誠司にとって、それは一番落ち着く作業だった。
砦に着くと、薬師の保冷薬はすぐ治療所へ運ばれた。
砦の治療係は、薬瓶の冷たさに驚き、何度も確認した。
「これなら効きが落ちにくい、と言っています」
カイルが訳す。
隊長も深く頷いた。
「満タン便に、冷たい薬も頼めるのか」
「必要な時だけだ。量は少ない」
誠司は念を押した。
隊長は理解したように頷く。
戦場に近い砦では、薬の価値が分かっている。
無駄にはしないだろう。
帰り道、カイルがぽつりと言った。
「満タン便、どんどん強くなる」
誠司はハンドルを握ったまま苦笑した。
「強くなるのはいい。でも、使い方を間違えたら危ない」
「危ない?」
「便利すぎるものは、奪われる。頼られすぎる。壊すこともある」
カイルは完全には理解していないようだった。
だが真剣に聞いていた。
水車町へ戻ると、受付所は騒がしかった。
ミナが誠司を見るなり駆け寄ってくる。
受付係の若者も慌てている。
ロウグが木札を受け取り、表情を変えた。
「魚です」
「魚?」
「川下の漁村から、水車町へ魚を運びたいという依頼です。ただ、これまでは途中で傷むため、近場でしか売れなかった」
誠司は荷台の奥を見る。
保冷区画。
小さい。
魚を大量には運べない。
だが、試験的に少量なら。
ロウグが言った。
「これは新しい商売になります」
誠司はすぐに首を振った。
「まずは薬優先。魚は試験。量を決める」
「分かっています」
ロウグは笑った。
「しかし、道がまた伸びますよ」
帳面を開くと、案の定、新しい文字が浮かんでいた。
第四配送候補:川下の漁村。保冷輸送試験。
誠司は額を押さえた。
「今度は漁村か……」
ミナが横から帳面を覗き、目を輝かせる。
新しい場所。
新しい荷物。
新しい仕事。
満タン便は、また広がろうとしている。
だが誠司は、保冷区画の小さな扉を見た。
便利になればなるほど、守るルールも増える。
次は冷たい魚を運ぶ。
それはきっと、町の食卓を変える。
そして同時に、満タン便の価値をさらに高めてしまう。
「慎重に行こう」
誠司はそう呟き、帳面に新しい規則を書いた。
満タン便規則四:新機能は、試験運用から始めること。
文字は静かに紙へ染み込んだ。
まるで、トラック自身も同意しているようだった。
第15話では新機能「保冷区画」が解放されました。
薬や魚など、傷みやすい荷物が運べるようになり、満タン便の可能性がさらに広がります。
同時に、便利すぎる力をどう制限するかが重要になります。次回は川下の漁村へ向かいます。




