第34話〜床下収納は地下への入口でした〜
朝の拠点には魚の焼ける香ばしい匂いが漂っていた。窓から差し込む光の中、レントは木の椅子に座りながら、昨夜から気になっていた灰色の球を手のひらで転がしていた。傷一つない滑らかな表面は、朝日に照らされても相変わらず正体不明のままだ。
「……見れば見るほど、何なんだこれ」
「未鑑定物体です」
「そのまんまだな」
テーブルに肘をつきながら、レントはため息をついた。昨夜ルビーが口にした秘密基地という言葉が頭から離れない。
湖の近くの小屋。そこに住んでいたという人物。よくこの球を持って通っていた場所。偶然にしては、出来すぎている。
「じゃあ今日は探索するの?」
台所に立ったまま、メイが小首を傾げる。
「候補としてはな。いきなり突っ込む前に、まず場所と話を聞きたい」
「賛成です。情報収集は重要です」
「おーい、みんなー!」
元気な声と共に、廊下の向こうから足音が近づいてきた。次の瞬間、勢いよく扉が開く。ルビーだった。桃色の髪は寝癖で跳ね、耳はぴんと立ち、尻尾は朝から忙しなく揺れている。
「見て見て!朝ごはん追加でもってきた!」
両手いっぱいに抱えているのは、色とりどりの木の実だった。
「朝から森行ってたのか、お前」
「働かざる者食うべからずってレント言ってた!」
「意外と律儀なやつだな、お前……」
呆れながらも、レントは差し出された木の実を受け取る。艶のある赤い実に、黄色い小ぶりな果実。昨日食べたものより種類が増えていた。
「採集能力、高水準です」
「でしょ!」
ルビーは胸を張る。褒められると機嫌が良くなるあたり、実に分かりやすい。メイは笑いながら籠を受け取り、台所へ運んでいく。
「あとで切って出すね」
「やったー!」
そのまま椅子へ飛び乗ろうとしたルビーを、レントが片手で止める。
「座るなら普通に座れ」
「はーい」
素直に座り直したルビーは、すぐにテーブルの上の球へ目を向けた。
「あっ、それ!」
「昨日の続きだ。聞きたいことがある」
レントは球を持ち上げ、ルビーへ見せる。
「これ、その人が秘密基地に持ってってたんだよな?」
「うん、そうだよー」
「秘密基地って、どこにあるんだ?」
「湖の小屋の近くにあるよ!ちょっと歩いたとこ!」
「中には何があるんだ?」
「んー、石のおうちがいっぱいあったよ!」
「石の家……他にも誰か住んでたのか?」
「んーん、おじいちゃんしかいなかったよー!」
「住居ではなく、施設と推定されます」
レントは腕を組む。湖の近くの小屋。その近くに石造りの施設。謎の老人。そして鑑定不可の球。やはり偶然とは思えない。
「よし。今日の予定は決まりだ。小屋まで行って、秘密基地とやらも確認する」
「いくの!?やったー!」
ルビーは椅子から飛び上がり、尻尾をぶんぶん振った。
「じゃあ、お昼も持っていこうか」
「ああ、助かる」
「探索時の食事確保、重要です」
「さんせー!」
―――
湖へ向かう道は、朝の光を受けて静かに輝いていた。木々の隙間から差し込む日差しがまだらに地面を照らし、湿った土の匂いが鼻をくすぐる。先頭を歩くルビーは上機嫌で、鼻歌まじりにぴょんぴょんと進んでいた。桃色の尻尾が左右に揺れ、そのたびに草葉が揺れる。
「こっちこっち!はやくー!」
「走るな。転ぶぞ」
「だいじょーぶ!」
言ったそばから木の根に足を取られ、ルビーは前のめりに転びかける。だが寸前で体勢を立て直し、何事もなかったように胸を張った。
「ほらね!」
「今のを大丈夫って言うのか……」
レントは額を押さえた。後ろではメイがくすくす笑い、アリーナは無表情のまま、ぴょこぴょこと歩いている。
「移動速度、良好です」
「お前も転ばないように気をつけろよ」
やがて視界が開け、湖が見えてきた。穏やかな水面が朝日を受けてきらめいている。そのほとりに、以前探索した半壊の小屋が変わらぬ姿で立っていた。
屋根は崩れ、壁板は歪み、風が吹くたびにぎしりと音を立てる。だが今は、ただの廃屋には見えなかった。
「ここだよ!」
ルビーは迷いなく小屋へ駆け込み、扉のない入口から中へ飛び込んだ。
「おい、一人で先に行くな!」
レントたちも後を追って中へ入る。薄暗い室内には、以前と同じく落ち葉と湿気の匂いが満ちていた。床の崩れた場所も、そのまま残っている。レントはその穴を見下ろした。
「球があったのはここだ。床下収納みたいな穴だったはずだが……」
「ちがうよ?」
ルビーがきょとんとした顔で言う。
「ここ、しまうとこじゃないもん」
「……は?」
ルビーは穴の縁へしゃがみ込み、木枠の一部へ手をかけた。そこには泥と埃がこびりつき、一見するとただの棚にしか見えない。だが彼女は慣れた手つきで力を込める。
ギギ……ギギギ……。
鈍い音と共に、床下収納に見えていた棚状の部分が横へ滑った。
「なっ……!?」
レントが目を見開く。棚ではなく、偽装の引き戸だったのだ。その奥には、人ひとりが通れるほどの石造りの階段が、地下へ向かって口を開けていた。ひんやりとした空気が、暗闇の底から流れ出してくる。
「秘密基地、ここだよ!」
ルビーは得意げに胸を張った。メイは目を丸くし、そっと階段の奥をのぞき込む。
「すごい……こんなの、気づかないよ……」
「擬装精度、高水準」
「つまり、よく隠されてたってことだな」
レントはゆっくりと息を吐き、石階段へ視線を向ける。前に来たときは、ただの廃屋だと思っていた。だが今は違う。この小屋は、何かを隠すための入口だったのだ。
「ルビー、お前ここに入ったことあるんだな?」
「あるよ!」
元気よく頷いたあと、ルビーは少しだけ懐かしそうに笑った。
「おじいちゃん、よくここ連れてってくれたの。ないしょだぞーって」
その言葉に、場の空気がわずかにやわらぐ。レントは肩をすくめた。
「秘密基地って歳でもないだろうに」
「でも、楽しそうだね」
メイが柔らかく言うと、ルビーは嬉しそうに耳を揺らした。
「うん!おやつ食べたり、かくれんぼしたりした!」
「ふふっ、ルビーちゃんにとっては遊び場だったんだね」
小屋の外では風が鳴り、古びた壁板が軋んだ。地下へ続く階段は静まり返ったまま、何も語らない。だが、その沈黙こそが不気味だった。レントは腰の道具袋を確かめ、足元の石段へ一歩近づく。
「……行くぞ。今日の本番はここからだ」
「おー!」
「う、うん……!」
「はい、マスター」
石造りの階段は、深く地下へと続いていた。一歩降りるごとに外の光が遠ざかり、代わりに冷えた空気と静寂が四人を包む。松明の火だけが、揺れながら暗闇を押し返していた。
やがて階段の先に、広い空間が姿を現した。天井まで伸びる柱。壁に沿って走る太い管路。床に刻まれた溝は水路にも見え、幾本もの通路が規則正しく奥へ続いている。
「……本当にあったんだな」
「人が長く生活していた形跡は見られません」
「……確かに石のおうちって感じじゃないな」
ルビーはよく分かっていない顔で首を傾げた。
「おじいちゃんと来たとき、ちょっと違う気がする!」
その一言で、全員の足が止まった。レントが振り返り、暗闇の奥を見つめるルビーに問いかける。
「違うって、何がだ?」
ルビーは、かつての温かい記憶と目の前の冷たい景色を比べるように、小さく耳を伏せた。
「前は、もっと楽しかったもん!」
「……そうか」
レントは松明を掲げ直し、その火が作る影の揺らめきを見つめた。
「まあ、今は明かりもなくて薄暗いしな。昔とは勝手が違うかもな」
「長期間の放置により堆積した塵埃や異臭が、不快感に繋がっていると推測されます」
「アリーナちゃん、もうちょっと言い方……」
メイが困ったように苦笑しながら、ルビーの震える手をそっと握った。
「でも、寂しいのは当たり前だよ。おじいちゃんと一緒だったときは楽しかったんだもんね。今日はあたしたちもいるから大丈夫だよ」
「うん!そうだよね、メイ!」
メイの言葉に、ルビーの尻尾が再び小さく揺れ始めた。レントはそれを見て一つ頷き、再び前方へ視線を向ける。通路の奥はさらに深く、暗く沈んでいる。
「よし、行くぞ」
その一言が、静かな地下空間に落ちた。そして四人は、闇の奥へと踏み込んでいった。




