第3話〜錬金術は万能じゃありませんでした〜
釜の中の水面がかすかに光を帯びていた。
まるで生き物のように、内側から淡く脈打っている。
レントは呆然としたまま釜を見つめた。
「飲料水の精製?錬金?ってことか?」
言葉にしてみても現実感はない。
けれど、他に選択肢もない。
水がない。喉が乾く。
もし雨水が本当に安全な飲み水になるなら、やってみるしかない。
「あー、はい。お願いします。」
そう口にした瞬間、釜の紋様が柔らかく発光した。
《飲料水の錬金を開始します――MP3を消費します》
「MPって?」
言い終わる前に、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
息が詰まるような、でも痛みとは違う。
体のどこかからじんわりと何かが流れ出ていく。
血でも熱でもない。
力のようなものが抜けていく。
「うわ、なんだ、これ」
視界がわずかに霞み、頭がぼんやりする。
けれど、数秒後には光が収まり感覚が戻った。
《飲料水の精製に成功しました》
釜の中で水がほんのりと輝きを放ち、すぐに澄み切った。
透明で底まで見えるほど清らかだ。
ほんのり冷たい空気が釜の縁から立ちのぼり、潮の香りと混じる。
「本当にできたのか?」
レントはおそるおそる釜を傾け、手のひらに少しすくう。
無臭。
手触りは水そのもの。
唇に近づけ、ひと口、飲んでみた。
――冷たい。
乾いた喉をすっと通り抜ける。
海の近くなのに塩気は一切ない。
澄んだ山の湧水のように清らかだった。
「うまい」
思わず笑みがこぼれる。
この島に来て初めて、心から「助かった」と思えた瞬間だった。
「まさか、これが錬金術?」
釜の中の水面が淡く光を反射していた。
見た目はただの水だが、確かに錬金術で作った飲料水だ。
レントはその前で腕を組み、少し考え込む。
「さて、これどうしよう」
釜の中にはまだ飲料水が残っている。
せっかく作ったのに、このまま放置すれば蒸発するか、風や砂が入って汚れてしまうだろう。
かといって容器も何もない。
「ペットボトルを錬金してください」
軽い冗談のつもりで言ってみる。
しかし、釜の表面がわずかに光を放ち、機械的な声が響いた。
《素材が不足しています》
「やっぱダメか。素材って何が必要なんだろうな」
『無から有を生む』みたいなスキルじゃないらしい。
どうやら、この錬金術はもっと現実的な力のようだ。
「とりあえず器の代わりになるものを探してくるか。確か砂浜に……」
砂浜には大小さまざまな貝殻が散らばっていた。
白く磨かれたもの、虹色に光るもの、欠けているもの――。
「お、これ、けっこう深さあるな」
手に取ったのは掌に収まる大きさの二枚貝の殻。
ちょうど皿のような形で、内側は滑らかだった。
いくつか試しに拾って、釜のもとへ戻る。
「とりあえずの器ぐらいなら、これでいいか」
貝殻の一枚を両手で支え、釜の水をすくってみる。
このままでは砂や虫が入るかもしれない。
あたりを見回し、草原に生えている大きな葉を思い出した。
「あれ、使えるかもな」
草むらの中で大きな葉を数枚集めて戻ってきた。
それを貝殻の器の上にふんわりと被せ、即席の蓋を作る。
「よし。これでとりあえず蒸発防止にはなるはず」
集めた他の貝殻の中にも数口分ずつ水を分けていく。
それを日陰の地面に並べ、小さなキャンプのように整えて腰を下ろした。
「よし、飲み水は確保できたから――次は食料だな」
腹の虫が静かに抗議している。
レントは腰を上げ、釜を残して森の方へと歩き出した。
草原から少し進むと木々の密度が増していく。
湿った土の匂い、葉の擦れる音、どこか遠くで鳥の鳴き声。
「果物とかないかな?」
半ば独り言のように呟きながら、枝葉の間を覗き込む。
日差しを受けて赤く熟れた果実が数個ぶら下がっているのを見つけた。
「よし、食えそうだ」
慎重に手で摘み取り、持っていた葉の上に並べる。
他にも木の実や食べられそうな草を少しだけ採集していく。
どれも見たことのない種類だが、匂いに毒々しさはない。
「腹壊したくはないけど、飢え死にするよりはマシだろ」
そう呟いていると、不意に木の陰が、すっと揺れた。
「風か?」
だが、次の瞬間、地面の草が「ずるっ」と音を立てて動いた。
「蛇っ!マジかよ!」
反射的に一歩下がり、周囲を見回した。
近くにあった太くて丈夫そうな木の枝を掴み、呼吸を整える。
蛇がこちらに頭をもたげた――その瞬間。
「っ!」
枝を振り下ろした。
二度、三度繰り返す。
蛇が動かなくなる。
「こっわ。でも、仕方ないよな」
恐怖と安堵が入り混じる。
しばらくその場に立ち尽くし、蛇を見下ろした。
「そういえば蛇って、たしか食べられるんだよな?」
半信半疑ながら、昔どこかで見たサバイバル番組を思い出す。
あれも、焚き火で焼いて食べていた気がする。
「まあ、やってみるしかないか」
レントは枝の先で蛇の体を持ち上げる。
そのまま木の実と果実を集めた葉をもう一度確認し、まとめて抱え込む。
砂浜に戻ると、海から吹く風が生ぬるく肌を撫でた。
「ふぅ、なんとか戻ってこられた」
レントは大きな葉の包みをそっと地面に下ろす。
中には森で拾った木の実や果実、そして――さっき退治した蛇。
「改めて見ると、やっぱ見た目やばいな。けど食えるはずだし。まぁ、タンパク質だよな」
半ば自分に言い聞かせるように呟き、額の汗をぬぐう。
「飲み水もある。食料も一応確保。ってことは、次は――」
視線の先には、あの錬金釜。
砂の上にどっしりと鎮座し、存在感を放っている。
「火をどうにかしないとな」
レントは果実や蛇をそばの石の上に並べ、腰を下ろした。
昨日は木の枝を擦って火を起こそうとしたが、結果は惨敗だった。
「でも、今回は違う。この釜がある!」
レントは釜を両手でどんと叩いた。
金属のような石のような低い音が響く。
「飲み水を作れるくらいだし、火打ち石くらい余裕だろ。な?相棒」
軽口を叩きながら、砂浜で拾ってきた石を数個取り出した。
白っぽいの、灰色の、黒くて硬そうなやつ。
その中でも一番硬そうな石を選び、釜の中に放り込む。
カラン、と乾いた音。
「よし、素材は投入完了。さて――」
釜の前に立ち、軽く拳を握った。
「火打ち石を錬金してください!」
釜がわずかに光を帯びる。
「お、きたきた。やっぱり反応した!」
だが、次の瞬間。
《熟練度が足りません》
冷たい声が昼の静寂に響いた。
「は?いやいやいや、熟練度?なにそれ?そんなパラメータいつ出てきた?聞いてないんだけど?」
釜の中では石がただ転がっているだけ。
光も、熱も、何の変化もない。
「うそだろ?水はあんなに簡単にできたのに」
しばらく釜をにらみつける。
もちろん返事はない。
まるで機嫌を損ねた機械みたいだ。
「えーっと、じゃあ、熟練度を上げるには、何か作りまくるとか?経験値稼ぎ的なやつ?」
額に手を当てて、考え込む。
「まぁ、すぐに火が出せるとは思ってなかったけどさ。やっぱり万能ってわけにはいかないか」
小さくため息をつきながら、釜のそばに腰を下ろす。
「ま、焦らなくていいか。まだ昼だし、やれることはいっぱいある」
釜の表面が太陽の光を受け、きらりと光った。
「次は、何を錬金できるか試してみるか」
レントは釜の前に立ち、森から採ってきた木の枝を拾い上げた。
「まずは拠点だよな。木材くらいは必要だ」
枝を数本、釜の中に放り込む。
カラン、という軽い音。
「木材を錬金してください」
《木材の錬金を開始します――MP2を消費します》
釜が淡く光り、白い光が内部を満たす。
胸の奥から何か軽く引かれる感覚。
最初は驚いたが、これがMPを消費する感覚なのだろう。
「これくらいなら平気だ」
数秒後、光が収まる。
《木材の錬金に成功しました》
釜の中には形の整った木材が数本、きれいに並んでいた。
「おお!」
思わず声が出る。
手に取ると、乾いていて丈夫そうだ。
「よし、いける。なら――」
レントは勢いづき、次の枝を放り込む。
「もう少し作っておこう。床とか、壁とか、最低限の拠点は欲しいしな」
《木材の錬金を開始します――MP2を消費します》
再び成功。
さらにもう一度。
《木材の錬金を開始します――MP2を消費します》
釜は応えるように光り、板が出来上がる。
「いいじゃん、いいじゃん!」
拠点の形が、頭の中で一気に広がる。
雨風をしのげる小屋。
焚き火を置く場所。
寝るための床。
「もう少し、あと何回かやれば――」
錬金術を発動した、その瞬間。
胸の奥が、ずしりと重くなった。
「あれ?」
さっきまでとは違う。
引かれる、ではない。
吸い取られる。
一気に、深く。
《木材の錬金を開始します――MP2を消費します》
「ちょ、待っ――」
視界が急激に暗くなる。
足元の砂が遠のき、身体の感覚が抜け落ちていく。
息ができない。
頭の中がぐらりと揺れた。
《MPが不足しています》
「っ、しま――」
言葉は最後まで届かなかった。
膝が崩れ身体が前のめりに倒れる。
砂の感触すら感じない。
世界が音も色も失っていく。
――そして。
意識は完全に途切れた。




