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錬金サバイバル〜女神のくしゃみで無人島転生になりました〜  作者: 桜木まくら


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第29話……誰かに見られている気がしました。

「メイっ!」


悲鳴の残響を裂くように、レントは地を蹴った。肺が焼けるほど息を吸い込み、岩場を飛び越える。視界の先、上流の岩陰でへたり込んだ少女の姿が見えた。

白と黒のメイド服は、胸元から裾にかけて赤く染まっている。心臓が凍りついた。


「メイ、しっかりしろ!」


「……れ、レントくん……」


青ざめた顔が、ゆっくりとこちらを向く。瞳は潤み、怯えきっている。


「怪我は!?噛まれたのか!?どこだ!」


「え……」


自分の身体を確かめるように、メイは両手で胸元や腕に触れる。赤く染まった布地を見下ろし、震える声を漏らした。


「……いたく、ない……」


レントは息を呑んだ。慌てて肩、腕、首筋、足元まで視線を走らせる。裂傷はない。噛み跡もない。服は血に濡れているのに、肌には一筋の傷も見当たらなかった。


「……じゃあ、この血は……」


低く呟き、周囲へ目を向ける。足元に灰色の塊が転がっていた。

片耳の裂けた、小柄な狼。喉元から胸にかけて深く切り裂かれ、地面へ血を流している。四肢は投げ出されたまま微動だにせず、瞳からはすでに光が消えていた。


あの狼は確かに飛びかかったはずだ。あと一瞬でメイの喉笛へ届く距離だった。それが今、絶命している。


レントの視線が、ゆっくりと横へ動く。そこには、いつも通り無表情なアリーナ。地面に転がっていた一本の鉄ナイフを拾い上げる。刃先から赤い雫がぽたり、と落ちた。調理と解体に使っていた、メイのナイフだ。


「……アリーナ。何があった?」


「説明します。狼がメイさんへ跳躍。その直後、メイさんの身体が自律反応を起こしました」


「……自律反応?」


「はい。本人意思とは無関係に回避行動を実施。さらに腰部からナイフを抜刀。対象の喉部へ斬撃を確認」


「斬撃……?」


レントは絶句した。あの一瞬で。あの怯えていたメイが。視線を向けると、メイ本人がいちばん驚いた顔をしていた。


「あ、あたし……?」


細い手が震えている。ナイフを握っていた感触を思い出そうとするように、空を掴む。


「お、覚えて、ないの……怖くて……頭が真っ白で……気づいたら……血が、いっぱいで……」


怯えきった少女の泣きそうな顔。今にも倒れそうな細い肩。その足元には狼が死んでいる。


「……とにかく、無事でよかった」


その一言で、張りつめていた糸が切れた。


「……っ、こ、こわかったぁ……!」


メイは泣き声を漏らし、レントの胸へしがみついた。ようやく普通の少女に戻ったように、子どものように震えている。アリーナは二人を見つめ、静かに首を傾げた。


「メイさん、マスターへの接触は控えてください」


「え?」


「衣服および皮膚表面に付着した血液により、二次汚染が発生します」


「ひゃっ!?ご、ごめんなさいっ!」


「付近に湖があります。衣服と身体の洗浄を推奨します」


―――


湖へ辿り着くころには、張りつめていた空気も少しずつほどけていた。森に囲まれた小さな湖は、陽光を受けて静かにきらめいている。風が吹くたび、水面に細かな波紋が広がった。つい先ほどまで狼と死闘を繰り広げていた場所と同じ森とは思えないほど、穏やかな景色だった。


「うぅ、ベトベトして気持ち悪いよぉ……」


メイはそう呟きながら、自分の服へ視線を落とした。白と黒のメイド服は、胸元から裾にかけて赤黒く染まっている。乾き始めた血が布へ張りつき、ところどころ固まっていた。改めて見ると、ぞっとする光景だった。


「衣服の洗浄を開始しましょう」


「え、あ、うん……そうだよね」


メイは頷きながら、ちらりと木立の向こうを見た。レントは見張りをすると言い残し、二人から離れた岩場の向こうへ姿を消す。こちらの様子はまったく見えない位置だった。本当に見ていない……たぶん。


「じゃ、じゃあ……その……」


頬を赤くしながら、メイはメイド服の留め具へ手を伸ばした。血で汚れた上着を脱ぎ、スカートを外し、薄い肌着だけの姿になる。アリーナはまったく気にした様子もなく、自分の衣服をするすると脱いでいく。


「血液は乾燥前の処理が有効です。速やかに実施します」


「う、うん!」


アリーナが膝をつき、湖水へ服を沈めると、メイも慌ててしゃがみ込み、血染めのメイド服を水へ浸す。赤い色がじわりと広がり、透明な湖水へ溶けていった。


その瞬間、メイの表情が変わる。


先ほどまでおろおろしていた手が、迷いなく動き始めた。汚れの濃い箇所を見極め、布地を傷めない力加減で揉み洗いし、血の染みた部分だけを的確に押し出していく。袖口、裾、襟元。場所ごとに洗い方を変え、汚れの流れ方まで読んでいるような手際だった。


「すごいですね、メイさんの洗浄技能、極めて高水準です」


「え、そ、そうかな……?」


「はい。汚損除去速度が私と比べて2.7倍です」


「そ、そういう見方するの……?」


メイは少し照れながらも、手は止まらない。近くの平たい石を洗濯板代わりに使い、泡立てた石鹸を布へ滑らせる。汚れを落としながら皺まで伸ばしていく動きは、もはや職人だった。


「……なんか、こういうのは身体が覚えてるみたい」


家事の動きは体に染みついている。自分が何者だったのか、その欠片だけがそこにある気がした。アリーナも自分の衣服を洗いながら、小さく頷いた。


「有用な記憶です」


さっきまで血に染まっていたメイド服は、少しずつ本来の白さを取り戻していった。


「では、身体の洗浄に移行しましょう」


洗濯を終えた衣服を岩へ広げたあと、メイはそっと湖水へ足を入れた。澄んだ水が足首を包み、膝へ、腿へと静かに上がっていくたび、肌が小さく震えた。先ほどまで身体にまとわりついていた血の感触が、水に溶けるように薄れていく。


両手ですくった水を首筋へ流す。胸元、腕、肩。泡立てた石鹸を指先でなじませると、白い泡が肌の上をすべり、乾いた血の跡をやさしくほどいていった。


少し離れた場所では、アリーナも淡々と身体を洗っていた。髪を濡らし、石鹸を泡立て、肩から腕、指先まで順に洗い流していく。ためらいも羞恥もなく、まるで道具の整備でもするかのように正確だった。


対照的にメイは何度も木立の向こうを見回してしまう。岩場の先にいるはずのレントの姿は見えない。見えないと分かっていても、風が葉を揺らすたびに胸がどきりとした。


「……レントくん、ほんとに、見てないよね?」


「視認不能位置です。現在の配置では、マスターは我々を確認できません。もう少し近距離で警戒任務を行うべきなのですが……」


「だ、だめだよ!近かったら見られちゃうし!」


「見ていてもらわないと意味がありません」


「そういう意味じゃないの!」


メイは慌てて顔を洗うふりをした。冷たい水を頬へ当てると、熱くなった顔が少しだけ落ち着く。


つい先ほどまで死と隣り合わせだったことが、遠い出来事のように思えるほど穏やかな時間だった。空を見上げ、小さく息を吐く。


その時。


……背筋がくすぐられるような感覚がした。


誰かに見られている――そんな気がして、メイは森の奥を振り向く。隣のアリーナも、無言のまま同じ方向へ視線を向けていた。


「……レントくん…?」


だが、そこには風に揺れる木々しかない。

静まり返った森の奥で、何かが息を潜めていた。


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