第26話〜水路を引くことにしました〜
それからの数日は、嵐で被害を受けた拠点を立て直すことに費やされた。
壊れかけていた柵は一本ずつ打ち直され、隙間は丁寧に埋められていく。吊るしていた鳴子も位置を調整し直され、風が吹けば小さく乾いた音を鳴らすようになった。
畑の崩れた土を均し、石を取り除き、水の流れを考えながら畝を作り直していく。弱った苗を選別し、まだ生きているものだけが丁寧に植え直す。
増築も、同時に進んでいた。アリーナが取り出す資材が、何もない空間から次々と現れるたびに、メイは何度か視線を止めたが、やがてそれにも慣れていったらしい。柱が立ち、梁が組まれ、屋根の骨組みが形を成していく。
力仕事はレントが担い、資材の管理と運搬はアリーナが行い、細かな調整や内側の構造はメイが整える。気づけば、三人で作業すること自体が当たり前になっていた。
鍋に入れられた肉が、じゅう、と音を立てる。焼きすぎず、しかし生焼けにもならない絶妙なところでひっくり返される。野草は後から加えられ、香りだけを引き出すように火を通される。出来上がった料理は、以前よりもさらに整っていた。味の輪郭がはっきりしていて、余計な雑味がない。
「……うまい。やっぱメイの料理スキルはすごいな」
「そうかな?ありがと」
レントが呟くとメイから自然な返答が返ってくる。以前のような、言葉を選ぶ間はほとんどなかった。
「俺もアリーナも、料理は壊滅的だからな。俺が作ると全部同じ味付けになる。料理のレパートリーもほとんどないし」
「私は知識はありますが、実際に調理したことは一度もありません」
「だから、メイがいてくれて助かったよ」
「ふたりが喜んでくれるなら、あたしももっと頑張るね」
小さく笑うその表情は、少しだけ自信を持ち始めていた。
裁縫もまた、メイの手で整えられていった。破れていた布は綺麗に繕われ、ほつれていた部分は補強される。余った布は無駄にせず、小さな袋や布巾へと形を変えていく。糸の通りはまっすぐで、縫い目は均一だった。引っ張っても簡単にはほどけない。
「これ、俺がやるとすぐ歪むんだよな……」
「力、入れすぎだよ。もう少しだけ……こう、引くだけでいい」
そう言って、メイが手元を軽く整える。
「……こうか?」
「うん、それでいいよ」
ほんの短いやり取り。それだけなのに、距離は確かに縮まっていた。
作業の合間、拠点の中も少しずつ変わっていく。道具は用途ごとにまとめられ、食料は種類ごとに分けて保管される。どこに何があるのか、誰が見ても分かる状態になっていた。
「これ、どこ置いたっけな……」
「そこ、右の棚だよ」
振り向けば、すでに手に取れる位置に置かれていた。
「……さすがメイだな」
「レントくんはすぐ置きっぱなしにするんだから。ちゃんと戻さないとダメだよ?」
胸を張る仕草はほんの少しだけ、誇らしげに見えた。
やがて、増築された空間にも形が見えてくる。中央には共有スペースが作られ、そこから左右に空間が分かれる。まだ完全ではないが、どこで何をするのかがはっきりと分かる作りになっていた。
風は遮られ、足元は安定し、どこか落ち着く。ただそれだけのはずなのに、不思議と居心地がよかった。
「……いい感じだな」
「居住環境は大幅に改善されています」
「……あとは、水路、引こうと思う。今までは海水を錬金してたけどさ。畑の水やりとか、生活用水とか……長い目で見たら、あった方が楽だろ……風呂も作りたいしな」
「合理的です。持続的な水源の確保は生活基盤の安定に直結します」
「だよな。川も見つけてるし、やるなら今のうちか」
「あたしも賛成」
少し遅れて、メイも頷いた。 以前のような遠慮は薄れ、言葉は自然に出てくる。
「じゃあ決まりだな。準備して行くか」
―――
森の道は、何度か通っているとはいえ、整備されたものではない。 草をかき分け、足場を確かめながら進んでいく。その中で、ひとりだけ、ほんのわずかに足取りの不安定な者がいた。
「大丈夫か?アリーナ」
「……問題ありません。進行可能です」
そう言いながらも、アリーナの足は微妙にぎこちない。木の根をまたぐ動きひとつとっても、どこか機械的で、滑らかさに欠けていた。
「無理すんなよ。釜に戻れば背負っていけるぞ?」
「いざという時にマスターをお守りするのが私の使命ですので」
その直後だった。
「――っ」
足元の根に引っかかり、体が前に傾く。反射的に伸びた手がその腕を掴んだ。
「ほら、言ったそばから」
レントが軽く引き寄せると、アリーナは体勢を立て直す。
「……地形データは把握していますが、実際の歩行は別問題のようです」
「無理すんなって言ったろ」
少し呆れたように笑いながら手を離す。アリーナは一瞬だけ沈黙し、それから小さく頷いた。そのやり取りを、メイは少し後ろから見ていた。
……なんか、いいな。
胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。
やがて森が開け、小さな空間に出た。 以前、薬草を採取した場所だ。木々の隙間から光が差し込み、地面には柔らかな緑が広がっている。 風が通るたびに、葉がさわさわと音を立てた。
「ここで少し休むか」
「了解です、マスター」
三人は腰を下ろす。 そのまま、メイが手際よく包みを取り出した。
「簡単なものだけど……」
中から現れたのは、小さくまとめられた食事だった。焼いた肉を野草で挟み、持ちやすく、食べやすいように整えられている。
「相変わらず手際いいな」
「ありがと」
自然に返す声。 少し前までの、言葉を選ぶ間はもうなかった。
食事を終え、周辺を散策すると、足元に小さな花が咲いていた。白く控えめで、それでも確かにそこに在るその花に、自然と視線が引き寄せられる。
「……きれい」
しゃがみ込み、そっと指先で花弁に触れると、やわらかな感触が返ってきた。壊れてしまいそうで、それでいてしっかりと生きている。その小さな命を見つめているうちに、胸の奥がゆっくりとほどけていく。
こんなふうに何かをきれいだと思ったのは、いつぶりだろう。理由は分からない。それでも、ただ少しだけ嬉しくて、その感覚が静かに胸に広がっていった。
やがて立ち上がり、一歩踏み出したとき――
「〜〜♪」
小さな鼻歌が、自然とこぼれる。もう一歩踏み出すと、足取りがわずかに軽くなり、くるりと体を回した拍子に髪がふわりと広がる。光を受けて揺れるその感覚さえ、どこか心地よかった。
何故かは分からない。でも、楽しい。その実感だけが、はっきりとあった。
そのとき、草むらがかすかに揺れた。視線を向けると、小さな動物がこちらをじっと見ている。逃げる様子はなく、ただ興味深そうに首をかしげていた。
「……どうしたの?」
思わずしゃがみ込み、そっと手を差し出す。少しの間を置いて、その小さな影は一歩、また一歩と近づき、やがて指先に触れた。
「……っ」
くすぐったさに、思わず笑みがこぼれる。それをきっかけにしたかのように、周囲の気配が変わった。枝の上から小鳥がひらりと舞い降り、肩に止まる。さらにもう一羽、草むらの奥からは別の小さな影が顔を出し、気づけばいくつもの気配がメイの周りに集まっていた。
不思議だったが、不安はなかった。むしろ、どこかあたたかい。風が吹き、草が揺れ、小さな命たちがすぐそばにいる。その中心に自分がいるという感覚が、胸の奥をやさしく満たしていく。
もう一度くるりと回ると、小動物たちがそれに合わせるように動き、小鳥が軽く羽ばたいてまた肩に戻る。鼻歌は途切れることなく、自然と続いていた。
まるで、この場所そのものが自分を受け入れてくれているかのように。
「……楽しそうだな」
その声に、ぴたりと動きが止まった。振り向けば、レントとアリーナがこちらを見ている。その瞬間、小動物たちは一斉に散り、小鳥も枝へと戻っていった。
「ち、ちが……あたし……その……」
言葉がうまく出てこない。さっきまでの自分が急に恥ずかしくなり、思わず視線を逸らす。それでも、胸の奥に残ったものは消えなかった。少し迷ってから顔を上げる。
「……なんか、楽しくて。ここ……いいね」
そう言って、ふっと笑った。飾りのない、まっすぐな笑顔だった。その笑顔を見て、レントはわずかに目を細める。
――さっきまで動物たちが集まっていた理由が、少しだけ分かった気がした。




