第20話〜クラゲとビニールを間違えました〜
拠点の周囲は思っていた以上に荒れていた。獣よけの柵はところどころ崩れ、鳴子もそのほとんどが地面に落ちていた。畑に目を向ければ、芽吹いたばかりの作物は無惨に荒らされていた。
「やられたな。……まあいいさ、また作ればいい」
思わずため息が漏れるが、レントはすぐに頭を振って気持ちを切り替える。今は落ち込んでいる場合じゃない。まずは状況の確認だ。海岸の様子も気になる。
歩き出したレントの隣、肩ほどの高さに、黒を基調とし、金の模様があしらわれた帽子がぴょこぴょこと上下していた。
だが――
「……なんか、歩き方ぎこちなくないか?」
アリーナの歩き方は明らかにおかしかった。ぎこちなく弾むような動きで進んでいる。
「すみません、まだ歩くのに慣れていないもので」
「ああ、そっか……」
アリーナが錬金釜から人間の姿に変身してからまだ数時間しか経っていなかったとレントは少し納得する。
「じゃあ、屋根の応急処置とか大変だったんじゃないか?梁の上とか滑りやすかっただろ?」
「いえ、移動さえできれば高所の作業は触手で可能です」
「え、触手出せるんだ?」
「はい、マスター。ご要望であればお見せします」
「……いや、今はまだいいかな」
錬金釜として見ていた時はあまり気にならなかったが、この少女の姿から触手が伸びるのは、正直なところ想像したくない。心の準備が必要だ。
「とりあえず――右手と右足が一緒に出てる。逆にしてみろ」
「はい、ご指導ありがとうございます、マスター」
まるで人型ロボットが歩いているような、ぴょこぴょことした動きが、ほんの少しだけマシになる。
そんなやり取りを続けながら、二人は坂を下り――
視界の先に広がっていたのは、荒れた海だった。まだ波は高く、白い飛沫を上げながら何度も砂浜を叩いている。
その足元には、流木、海藻、貝殻。嵐が運んできた残骸が、無造作に散らばっていた。
「……すごいな」
その残骸を見たレントの声には、隠しきれない高揚が混じっている。
「こんなに資源があるなんて、宝の山じゃないか」
そう呟くと同時に、もう体は動いていた。足元の貝を拾い上げ、腰の袋に放り込む。次は砂にまみれた海藻を持ち上げ、軽く砂を落とす。
「これも持って帰ろう」
海藻を袋に入れ、後ろを振り返るとアリーナは初めての砂浜に悪戦苦闘していた。レントは構わず次々と拾っていく。ふと視線が止まった。波打ち際に、妙なものが転がっている。半透明で、ぬらりと光る塊。
「……あれは何だ?まさか、ビニール袋?……この世界にもビニールがあるのか?」
無人島に来てから、生きることに必死で無人島の外の世界のことなど考えていなかった。いや、少しだけ無人島から脱出することを考えたこともあった。だが、あまりにも情報が足りなかった。
海を見渡しても水平線が広がるばかりで、他の島の影など一つもなかった。闇雲にいかだで脱出にチャレンジするほど愚かではなかった。少なくとも方角と距離が分からなければと、半ば無人島からの脱出を諦めていたのだ。
だから、外の世界の文明に意識を向けたこともなかった。女神から聞いたのも、剣と魔法の世界ということだけ。しかし、もしかしたら剣と魔法の世界にも科学が存在している可能性だってあり得るのではないか?そう、異世界って案外そういう方向に進化してビニール袋が大量生産され、問題となり有料化されている可能性も――
「――クラゲです、マスター」
背後から、アリーナの無慈悲な答えが返ってきた。
「……クラゲか、だよね、わかってた」
こほんと小さく咳払い。
「ニュースでやってたもんな、ウミガメがクラゲと間違えてビニール袋を食べちゃうってやつ。てことは人間がクラゲをビニール袋と間違えるのも自然の摂理ってことだ」
誰にともなく言い訳をする。アリーナの表情は変わらない。完全なる無表情。鉄の女。いや、釜の女か。
「えっと、食えたりするのか?」
「推奨しません」
「だよな、わかってた。まあ、見た目からして美味しそうじゃないし」
あっさり引き下がり、少しだけ恥ずかしさを誤魔化すように、レントは肩をすくめた。
視線を横へと流すと、今度は岩場の方が目に入った。波に削られた岩の隙間に、銀色のものがいくつも引っかかっている。
「お、あれは……」
近づいてみると、打ち上げられた魚だった。
大小様々な魚がいくつも転がっている。
「これは当たりだな」
レントの顔が一気に明るくなる。一匹持ち上げて軽く観察する。
「全部持って帰ってもいいかな?」
「鮮度にばらつきがあります。腐敗が進んでいる個体は、摂取に適しません」
「なるほどな、まだいけそうなのだけ持って帰ろう」
レントは鼻を近づけ、匂いを確かめながら選び始めた。
「これは……ギリいける……これはダメだな。完全にアウト」
「腐敗が進行しています。廃棄を推奨します」
そんなやり取りを何度か繰り返した後、レントはふと手を止めた。魚の尾に細い紐のようなものが絡みついている。
つまんで引き剥がす。濡れてはいるが、均一に撚られた繊維。自然のものとは思えない。
「……やっぱり、これ人の手で作ったものだよな?」
「可能性は高いと考えられます」
周囲には流木や海藻がまばらに散らばっている。その中にほんのわずかだが、違和感のあるものが混じっていた。少し離れた場所に、角の揃った木片が転がっている。近づいて拾い上げると、表面には削られた跡。端には金具が打ち付けられていたらしい痕も残っている。
「加工痕を確認。自然由来の流木ではありません」
いくつか目に入る木材は、どれも似た特徴を持っている。
「……嵐で船がやられたのかな……木材も貴重だし持って帰るか」
足元に落ちていた金属片にも目を向ける。歪に曲がった小さな破片だが、光沢は残っている。
「これも使い道あるだろ」
「加工次第で工具、または固定具として利用可能です」
「だよな」
さらに数歩進むと、砂に半分埋まったものが目に入った。引き抜くと、短く切れたロープだった。手で引っ張ってみるとしっかりしている。多少擦り切れてはいるが、まだ十分使えそうだ。
「強度は維持されています。再利用可能です」
「いいね。これだけでも来た甲斐ある」
軽く振り回してから肩に引っ掛け、さらに収穫がないか注意深く歩く。すると、不意に足先に何かが当たった。
「ん?」
足元の砂を軽く払う。現れたのは丸い金属の縁。指で掘り起こすと、手のひらほどの円形の物体が姿を見せた。表面にはガラスのようなものがはめ込まれている。中には細い針が一本。ゆらゆらと落ち着きなく揺れていた。
「……なんだこれ」
しばらく眺める。傾けると、中の針もふらりと動く。
「壊れた時計……って感じでもないな」
「航海用具の一種と推定されます」
「航海用具?」
レントはもう一度、手元のそれを見る。針はゆっくりと、一定の方向で止まろうとしていた。
「……ああ、なるほど、これ、方角分かるやつか」
「はい。磁針により一定方向を示す装置です」
納得したように頷き、軽く回してみる。針は揺れて、やがてまた同じ方向へ戻った。
「いいの拾ったな、これ」
「探索効率の向上が見込めます」
「だな」
しばらく手の中で転がした後、丁寧に袋へとしまう。視線を上げると、砂浜にはまだいくつかの漂着物が点在している。
「……思ったより当たり多いな。よし、もうちょい探すか」
使えそうなものを袋に入れていく。一通り確認を終えたところで、レントはその視界の端――岩場に近いあたりに、何かが引っかかっているのが見えた。
木片とは違う、まとまりのある影。
「……なんだ、あれは」
わずかに眉をひそめながら、足を踏み出す。近づくたびに、その輪郭が少しずつ露わになっていく。
「……っ、あれ……人、か?」
一瞬、思考が白く飛ぶ。次の瞬間にはほとんど反射的に駆け出していた。荒くなりかける呼吸を押し殺しながら距離を詰める。
「おい、大丈夫かっ?」
返事はない。倒れているのは若い女性だった。全身が海水と砂にまみれ、ぐったりと動かない。胸の奥にわずかな緊張が走る。だがそれを押し込めるように、一度だけ深く息を吸った。
「くそ……遅かったか……?」
膝をつき、首元へ指を当てる。数秒の静寂。かすかな脈と呼吸が指先に伝わった。
「……よかった、息はある。完全に手遅れってわけじゃなさそうだ」
「極度の衰弱状態です。低体温および脱水の可能性が高いと推測されます」
「回復の見込みはどうだ?拠点まで運べば助かる可能性はあるのか」
「迅速な搬送と保温、水分補給を行った場合、生存確率は大きく上昇します」
「なら、迷ってる時間はないな」
ロープを女性の体に回して固定する。運搬中に落とさないための最低限の処置だった。体勢を整え、慎重に女性を抱え上げる。軽い――だが、それが逆に危険信号だった。
「……かなり消耗してるな。見た目以上に体力が落ちてるみたいだ。急ぐぞ、アリーナ、ついてこれるか?」
「はい、マスター。お供します」
「よし、行くぞ、絶対に間に合わせる」
腕を支え直したとき、体勢が少し崩れた。濡れた袖から手首がのぞく。雪のように白く、細い手首――。そこにくっきりと残る、縄で締め上げられたような赤黒い痕だった。
視線を上げる。
泥と海水に汚れていても分かる。洗練された意匠のメイド服。
事情は分からない。だが――
「必ず、助ける」
揺れる視界の中、その決意を胸に砂浜を駆け抜けた。




