第17話〜雨は止まないままでした〜
丘の上の拠点。朝の光がまだ柔らかい中、レントは動き続けていた。
「時間がない、急がないと」
錬金釜で必要な材料を次々と加工し、木材を抱えながら屋根に駆け上がる。
「悪い、アリーナ、釘と木槌を取ってくれ」
「はい、マスター」
錬金釜の金色の紋様が動き出し、レントに道具を渡す。細い触手では木材を持つことはできないが、軽い物なら問題ない。
「触手、便利すぎるだろ」
アリーナから釘と木槌を受け取り、屋根の補強をしていく。木のきしむ音と、釘を打ち込む音が重なる。板を固定し、隙間に粘土を詰めて防水を強化。
次は壁の補強だ。錬金釜を使い、炭と土を素材に簡易モルタルを作る。モルタルを塗りながらも次の作業を考える。
「排水路も対策しないと」
「はい、マスター。雨水の流れを計算します」
アリーナの指示のもと、短時間で浸水対策が整った。
息を切らしながらも素材を取りに走る。空は徐々に暗くなり始め、風が時折吹き抜ける。遠くの雲は低くどこか重苦しい。
「間に合うか?」
「大丈夫です、マスター。残り時間を有効に使えば間に合います」
アリーナの言葉にレントは軽く頷く。休む間もなく作業は続く。拠点の強化は文字通り時間との勝負だった。
―――
時は少し遡る。
―――
湖のほとりにある半壊した小屋を探索してから数日が経った。拠点の周囲には切り出した木材が積まれ、石材も整然と並べられている。簡易だった設備も少しずつ手が加えられ、以前よりも明らかに拠点らしい姿になっていた。
「だいぶ形になってきたな」
作業続きで溜まった疲労が、じわりと身体に残っている。だが同時に、確かな手応えも感じていた。
レベルは9になり、MPは27。
錬金熟練度も9、素材の解放ははひとまず保留していた。
「アリーナ、ちょっと試したいことがある」
「はい、マスター」
レントは背を壁に預け、ゆっくりと目を閉じる。
「スキル『熟睡』『ショートスリーパー』『昼寝』」
目を閉じた瞬間、意識がすっと沈む。
……どれくらい経ったのか。
ふっと目を開けると体が軽かった。重く淀んでいた感覚が嘘のように消えている。
「アリーナ、今のでどのくらいMP回復した?」
「約22.5%の回復を確認しています」
「やっぱりか。通常は1時間で10%、睡眠時には1.5倍……さらに『熟睡』でまた1.5倍。それで22.5%。で、『昼寝』は強制的に1時間の睡眠を発動。さらに『ショートスリーパー』は必要な睡眠時間を半分にする。つまり、本来1時間かかる回復を30分で終わらせる」
「はい、マスター。非常に効率的で合理的なスキル構成です」
「そこまで言われると、ちょっと照れるな。次はどんなスキルを解放しようかな」
視界の端に映った小さな畑。自生していたイモ類や薬草を移植したものだ。順調に育てば食料の心配も減るはずだ。
そうなると気になるのは天気だった。1日目に雨が振って以来、ずっと晴れの日が続いていた。
「アリーナ、天気とかわかるか?」
一拍の間。
錬金釜の縁をなぞるように、金色の光が走る。
「はい、マスター。機能拡張による『天気予報』が解放可能です」
「よし、『天気予報』開放だ」
すると錬金釜が淡い光に包まれ、数秒後。
光がゆっくりと収束していく。
「アリーナ、明日の天気を教えてくれ」
「明日は昼ごろから『女神のくしゃみ』が接近します」
「女神のくしゃみ?」
「失礼しました。レント様の世界で台風と呼ばれるものがこちらでは『女神のくしゃみ』と呼ばれています」
「キュリシアさんのくしゃみってこの世界でも災害扱いされてるんだな」
「他にも『女神の涙』『女神の咳ばらい』『女神の閃き』『女神のゲンコツ』『女神の地団駄』『女神の怒髪天』などがあります」
「バリエーション豊かだな!女神っていうか悪神っぽいけど……って明日台風が来るなら急いで準備しないと」
―――
「マスター、手が止まっています」
その声で意識が引き戻される。目の前には作業途中の拠点。
「悪い、続けよう」
丘の上に風が吹き抜ける。空気が重い。遠くの雲が低く、速い。
ロープを掴み屋根へ駆け上がる。屋根を押さえつけるように、ロープを縦横に張り巡らせていく。杭となる木材を錬金し、地面に打ち込んでいく。最後のロープを杭に結び終え、手を離した。
さらに屋根に重しとなる石を配置する。屋根から飛び降りると、風が一段強くなっていた。
木々がざわつき枝が鳴る。視線を走らせる。積んだ木材。立てかけた竹。
ロープで資材を一気に束ね、杭に縛り付ける。地面に打ち込み動きを殺す。
「あとは、食料の備蓄はどうだ?」
「はい、マスター。干し肉や魚の塩漬け、木の実やイモ類など十分に備蓄してあります」
「木桶や壺いっぱいに水は入ってるし、大丈夫そうだな……準備は終わりだ」
―――
ゴォォォ――。
低く唸る風の音が拠点全体を包み込んでいた。最壁を撫でるようだった風は、いつしか叩きつけるような圧力へと変わっていた。
レントは部屋の中央に立ち、無意識のうちに呼吸を浅くしていた。
「風が強くなってるな」
言葉にした瞬間、まるでそれを肯定するかのように外で鈍い破砕音が響く。風に煽られた木々が耐えきれず折れる音だ。
その余韻が消える前に、衝撃が壁を叩いた。家そのものがわずかに揺れる。
レントの視線が窓へ向いた、その直後。破裂音とともに木の窓が内側へと弾け飛ぶ。破片が床に散り、同時に長い木材がそのまま室内へと突き刺さった。部屋の半ばまでめり込んだ状態で止まる。次の瞬間、風と雨が一気に流れ込んできた。まるで外と内の境界が消えたかのようだった。
「くそ……っ」
レントは反射的に駆け寄り、突き出た木材に手をかける。力を込めて引くがびくともしない。外から押し込まれ、楔のように食い込んでいる。
風が吹くたびにわずかに奥へと押し込まれていく感触があった。このままでは窓枠ごと持っていかれる。
「マスター、外へ出るのは危険です」
扉へと視線を扉へと向ける。外では風が吠えている。あの中に出れば、立っていられる保証すらない。
「そうだな。中で処理しよう」
すぐに思考を切り替える。鉄の斧を掴み、木材の根元、窓枠に食い込んでいる部分へ刃を当てる。雨が吹き込み手元が滑る。それでも構わず振り上げ、振り下ろす。軋む音が響く。外からの圧力と、内側からの切断。そのせめぎ合いの中で少しずつ繊維が裂けていく。風が一段強くなるたびに、刃が跳ねる。
鈍い破断音とともに木材が折れた。室内側に突き出ていた部分が短くなり、ようやく扱える長さになる。
ロープで縛り上げて動きを殺す。これ以上揺れて被害を広げられてはたまらない。隙間に板を当て、釘で打ち付ける。完全には塞げない。だが、先ほどまでのように風が吹き抜ける状態ではなくなった。
「ひとまず凌げるか」
そう呟いた瞬間、上から嫌な音がした。引き剥がされるような、抵抗が限界に近づいたときの音。ゆっくりと顔を上げると、屋根が浮いていた。その隙間から、細い雨が糸のように入り込んでいる。次の突風で完全に開く。そう直感できる変化だった。
「マズいな」
言葉にした直後、衝撃が来た。屋根全体が押し上げられ、隙間が広がる。そこから叩きつけるように雨が流れ込んできた。
ここを放置すれば、内部は保たない。壁に手をかけ、滑りそうになる足場を踏みしめながら梁へと身体を引き上げる。手に触れる木材はすでに湿っており、指先がわずかに滑る感触があった。それでも構わず、屋根の内側へと体を押し込む。開きかけた板に手を当て押し戻す。外からの圧力が腕にのしかかる。
「これ以上、開かせるか……」
「マスター、危険――」
だが、その声が最後まで届くことはなかった。
風が変わった。
それまでの連続した圧力ではなく、一瞬にして叩きつけるような塊となって襲いかかってくる。
屋根が軋み、押さえていた板ごと腕が弾かれる。踏ん張っていた力の支点が消え、身体が一気に崩れる。踏み直そうとした瞬間、足が滑る。
体が宙に浮いた。
視界が回転する。
次の瞬間には床が目前に迫っていた。
鈍い衝撃が全身を貫く。
肺から空気が押し出され呼吸が止まる。
音が遠ざかっていく。
ぼやけた視界の中で、天井の隙間が見える。
途切れることなく水が落ちてきていた。
一滴、また一滴。
やがてそれは線となり、容赦なくレントの身体を打つ。
冷たい。
その感覚だけがかろうじて残る。
意識が沈んでいく。
抗う力はもう残っていなかった。
雨は止まない。
ただ静かにレントを濡らし続けていた。




