第15話〜巨大イノシシを討伐しました〜
朽ちた壁の隙間から差し込む細い光が、床に積もった落ち葉を照らしている。その奥、暗闇の中で何かが動いた気配があった。
「……アリーナ、今の音、聞こえたか?」
「はい、マスター。小屋の内部に大型生物の反応を確認しました」
大型生物。その言葉に背筋を冷たいものが走る。
次の瞬間。
――ブフッ。
荒い鼻息と共に小屋の暗闇が揺れた。
巨大なイノシシだった。分厚い黒い毛に覆われた体は丸太のように太く、口の横からは鋭い牙が突き出している。
イノシシはレントを睨みつけると、荒く鼻息を吐いた。前脚で地面を掘る。落ち葉が跳ね上がり、土がむき出しになる。
「マスター、危険です。回避を推奨します」
「分かってる!」
だが、距離が近すぎる。イノシシが地面を蹴った。
黒い塊が、凄まじい速度で迫ってくる。レントは横へ飛び込み、地面を転がる。
「いてっ!」
転がった先に太い木があり、背中を強打する。さっきまで立っていた場所を、イノシシが突き抜けた。想像以上の速さだった。
「速っ!あんなものに正面から当たれば、ただじゃ済まないぞ」
イノシシはすぐに向きを変える。小さな赤い目が再びレントを捉えた。
逃げるか?いや、森の中であの速度から逃げ切れる気がしない。ならば――。
「アリーナ、錬金だ!」
「はい、マスター」
イノシシが鼻息を荒くし、再び地面を蹴る。
錬金釜が淡い光に包まれる。中から出てきた竹槍を掴み、背後の木に押し付けて固定する。
「かかって来い!」
巨大な体が突進してくる。
ドンッ!!
激しい衝撃。
錬金で作った竹槍の先端がイノシシの肩に突き刺さっていた。
メキッ。
嫌な音が響く。竹が耐えきれず、折れた。
「うそだろ!?」
折れた竹槍を弾き飛ばし、イノシシはそのまま突っ込んでくる。
距離、あと数歩。
「アリーナ、耐えられるか!?」
「問題ありません、マスター」
「なら――!」
レントは錬金釜を地面に下ろし両手で支える。
「『軽量化』解除!」
ドンッ!!
激しい金属音が森に響いた。
イノシシの頭が錬金釜に激突したのだ。衝撃が腕を通して全身に伝わる。
だが、イノシシもただでは済まなかった。鼻を強打したらしい。体勢を崩し、数歩よろめく。
今だ。
レントは錬金釜を放り出し、腰の石斧を抜いた。
手が震えている。
イノシシが頭を振り、再びこちらを見た。
一歩踏み込み、石斧を振り上げる。
そして――
振り下ろした。
ゴッ!!
鈍い音。
石斧の刃がイノシシの首の付け根に叩き込まれる。
骨ごと砕いた感触が腕に返ってきた。イノシシの体が大きく揺れ、そのまま地面へ崩れ落ちた。
静寂。
風が竹を揺らし、さらさらと音を立てる。レントはその場に立ち尽くしていた。心臓が激しく鼓動している。
「はぁ、やった」
大きく息を吐く。
「巨大イノシシの討伐を確認しました」
巨大な体。分厚い毛皮。肩には折れた竹が刺さったままだった。
「ようやく終わったぁ。これ、どうしよう」
解体すれば大量の肉と素材になるのは間違いない。しかし、体力も集中力も限界に近い。
「アリーナ、これ、インベントリーに入るか?」
「はい、マスター。収納可能です」
「マジか。じゃあ、頼む」
錬金釜をイノシシの体にかぶせると、一瞬淡い光に包まれ、その巨体はすっと消えた。
「ワイルドボアの収納を確認しました」
「イノシシが丸ごと入るとか、インベントリー便利すぎるだろ」
再び錬金釜へと手を伸ばし、持ち上げて背中に背負う。その瞬間だった。
背中に鋭い痛みが走る。思わず顔を歪めた。
「っ――!そうだ、さっき」
イノシシを避けたとき、木に叩きつけられた。じわじわと熱を持つような痛みが広がっていく。
「マスター、軽度の打撲および擦過傷の確認があります。応急処置を推奨します」
「応急処置か、けど、包帯なんてないしな」
「提案があります」
「ん?」
「薬草と脂を使用し、傷薬の錬金が可能です」
薬草はさっき採取したものがある。そして脂はさっきのイノシシ。
「なるほど、やってみるか」
腰の袋から薬草を取り出し、錬金釜に放り込む。
「素材の一部を抽出します」
アリーナの声と共に、イノシシの脂が分離される。
錬金釜に淡い光が広がった。
やがて光が収まり、中には緑がかった粘り気のある軟膏が残った。指先で少しすくい取ると、わずかに草の匂いがした。
「初級傷薬の錬金に成功しました」
「初級、ね。まあ、今は十分か」
服を少しずらし、背中の傷に手を伸ばした。
……届かない。
どうやっても、ちょうど傷の位置に手が届かない。
「……無理だこれ。アリーナ、どうしよう」
「はい、マスター。APを使用し、錬金釜の拡張機能を解放することで対応可能です」
「お、きたな。拡張機能って?」
「はい。『触手』の解放を推奨します」
確か、女神キュリシアからAPシステムの説明を受けたとき、機能一覧の中に、そんな名前があった気がする。
そのときはネタ枠だと思っていた。
「まさか、本当に触手を解放することになるとは思わなかったな。それで、背中に薬を塗れるってことか?」
「はい。対象部位への塗布が可能です」
背中の痛みを意識すると、じわじわと熱を持つような不快感。このままでは探索どころではない。
「よし。触手、解放だ」
「了解しました。拡張機能『触手』を解放します」
錬金釜の表面を走る金色の紋様が、淡く光を帯びていく。紋様がゆっくりと形を変えていき、やがてその一部が釜の側面から浮かび上がった。
細い金の線が、空中で揺れる。それは次第に厚みを持ち、二本の細長い触手へと変わった。触手はゆらりと揺れ、まるで周囲を探るように動いた。
「拡張機能『触手』、正常に起動しました」
「本当にこれでいけるんだよな?」
「はい。傷薬をお持ちください」
軟膏を差し出す。触手の一本がするりと伸び、器用に軟膏をすくい取る。
「おお……」
触手が背中へ回り込む。
「塗布を開始します」
ひやり、とした感触。思わず体が強張るが痛みはない。じんわりと熱が引いていく。
触手は滑らかに動き、傷のある箇所へと正確に軟膏を塗り広げていく。
「処置完了しました」
背中に残るのはひんやりとした感覚と、わずかに軽くなった痛み。
「さっきよりだいぶ楽だ」
触手はするりと戻り、再び金色の紋様へと変わっていく。何事もなかったかのように錬金釜の表面に溶け込んだ。
「便利だけど、見た目ヤバいな、これ」
苦笑しながら視線を上げる。視界の先には半壊した小屋が静かに佇んでいる。
「さて、もしかしたら使えるものが残ってるかもしれないな」
ゆっくりと小屋へ歩き出す。足元で枯れ葉がかさりと音を立てた。入口は半ば崩れている。中は薄暗く、奥までは見えない。
「それじゃあ調べるか、アリーナ」
「はい、マスター」
静かに奥へと歩を進めた。
薄暗い小屋の中へ。




