三十一、痴態の動機
虹介は警備隊とは別行動を取っていて、商店街で臭いを嗅いだ事でキュウを懐に入れて商店街を幾度となく往復したが、キュウの反応は芳しくなかった。そのキュウは魚屋の前で興奮したり、気付いたら眠っていたりする事がありつつも、概ね精を出していたつもりだったが、虹介には伝わっていなかった。
商店街の近くにある環造公園で休憩をして、キュウを散歩に行かせていた。干し肉を食い千切りながら漫然と景色を見ていて、時折吹く風が心地良く、張り詰めていた神経を緩ませていたがキュウが戻って来ない。
(腹の中にずっと入っているから、仕方がないと言えばそうなんだけど、そろそろ戻って欲しいなぁ……)
キュウの分の干し肉も食い千切っていた。
ふと上からキュウの鳴き声に似た声が聞こえて見上げた。上空で鳥が旋回している。虹介は指笛を吹くと、それが南下して姿を消した。
(くわいつに乗って行った方が良さそうだな……)
残っていた干し肉を上着の衣嚢に突っ込みながら立ち上がり、近くのカルカル置き場へ走った。くわいつを外へ出して南下する。
上空を見ながら南下していると、キュウが旋回をして待機していた。指笛を吹くと更に南下をし始める。
(村の外に出るつもりか? どこまで行く気だ?)
村を出てからは、くわいつの速度を上げた。しかし、それもすぐに到着してしまう。
旋回していたキュウが虹介の元に戻り、鞍に留まった。
「ありがとう。ここにいるんだな?」
「キュルル」
ここは命潭湖付近にある廃村で、蜂軍が拠点にしていた場所だ。尤も、大介を斬った輩を捕えた事で拠点ではなくなったのだが、それはともかく、またもやここだ。
(やっぱりあの廃屋に潜伏しているのか? 一応そこへ辿り着く間の廃屋は見ておくか。それよりも早く顔を見たいな……。連続殺人事件を各村で起こす、と見せ掛けてここに潜伏する意味はあるのか? まぁ既に葵拾や砂漠や辛捌でもやっているのかも知れないけど……)
虹介はまだその犯人であると確定していないにも拘わらず、キュウの鼻を信じ切って思案していた。
くわいつから降りると、一番近い廃屋の側へ行き、建物に耳を当てた。しばらくそのまま音を聞き、何も響いて来なかった為、その廃屋に側にくわいつを待機させる。それから一軒ずつ同じ事をして、どの廃屋にいるのか、特定を始めた。
(あれ? 一番過ごし易そうな廃屋にいない? 嘘だろ……。蜂軍はここにいた筈なのに……)
虹介の顔が険しくなる。当てが外れてしまい、屈み込むと口を覆って思案した。
(キュウがここへ連れて来たから、ここには確実にいるだろう……。仕方がない。全部当たるか)
気を取り直し、細心の注意を払いながら残りの廃屋を調べて行く。廃屋の壁にくっ付いて耳を当てて音を聴く。音がしなくても、念の為に窓から中の様子を窺う。
残す所二軒となった時、命潭湖に一番近い廃屋から物音がする。虹介は咄嗟に隠れた。
(あんな所にいたのかよ。湖に一番近いって事は、水汲みを楽にしたいって事だよな? ガンだから体力がないのか?)
物陰から後ろ姿でも見ようと体勢を変えた。そして視界に入った上着、それには見覚えがあった。
「俺は専属の職人がいて、衣類はみーんな作ってもらってるんだよ」
そう言っていたのは奥村英太郎だった。それを思い出し、以前庚漆村で付けられた事も思い出す。そして、ズボンの衣嚢から以前ここで拾った小さな仏像を取り出した。
(英次の物かと思っていたけど、奥村さんの物だったのか……。……それにしてもどうして? 何故なんだ?)
それを握り潰したい衝動に駆られたが、小さくとも仏像だと知っている所為で出来なかった。
(あの時は偶然ここの付近に来て庚漆にいたという事になのか? 蜂軍と何らかの接触があったのか? ……時間的には接触していたと考えた方が良さそうではあるけど……。でも参加はしていなかったんだよな。どういう事だ? 本人の口から聞くか?)
虹介は逡巡している内にその場に座り込んでいた。
キュウが頭の上を掠めて飛んで来た。仕方なく右腕を出すとそこに留まる。
「あーあ……、見付かるじゃないか」
「キュルールルール」
「腹が減ったのか? あーさっき食っちまったわ。少ししか残ってない」
衣嚢から干し肉を出して、食い千切って食べさせ始めた。
「良く噛めよ?」
キュウは瞬きをしながら虹介を見るが、然程噛まずに飲み込んだ。
「まぁお前はそうだよな。ふ……」
思わず顔が綻んだ。落ち込んでいた気分が少し晴れると、纏まらない思考を放棄した。
(うん、直接聞こう。下手の考え、休むに似たりだな。奥村さんは毒系を使うようだから、何かが臭ったら即逃走すればいいか。飲み物も飲まない、……よりも外へ出せばいいか)
心が決まり、顔が引き締まった。
(問題は、だ……、歓迎されるかどうかなんだよなぁ……)
それでも行く気は変わらなかった。キュウが干し肉を食べ尽くすと、懐に入れて奥村のいる廃屋へ向かう。
建付けの悪い玄関の戸を開けて、大きく息を吸う。
「奥村さーん、いるんだろー?」
声を張り上げる。廊下の奥まで見通せるが、手前の部屋から顔が出て来た。
「早いと思ったらお前か……」
虹介は手にしていた仏像の入った小さな巾着を投げた。奥村の近くに落ちると、無言でそれを拾う。
「ないと思ったらお前が持っていたのか。どこで拾ったんだ?」
「前に庚漆村で付けられた時だな」
極まりの悪い顔をすると小さく溜息を吐いた。
「……上がれよ」
「外に出ろよ」
奥村は舌打ちをしながら顔を引っ込めた、それから少しして廊下に出る。ゆっくりと玄関に向かって来る姿を見て、虹介は玄関口から離れる。
(得物を持っているな……)
思わず鼻で笑い、玄関口にいる奥村を見た。
「用事は何だ?」
「あれだけの事を仕出かしておいて、用事は何だ、か」
「何の事だ?」
「惚ける気かよ」
「俺には全く思い至る事がないな」
「ガンになっているだろう? 臭いが残っていたぞ。同じ臭いがする。それも相当臭う。大分進んでいるな?」
「……」
ここまで淀みなく話していたが、虹介は図星を突いたのだろう。
「自分がじきに死ぬからって、人を殺しまくったらいけないだろう」
「ふん、お前には分からなくていいんだよ。それにしてもどうやって臭いを辿った? 風で消える筈だが」
虹介は苦笑した。
「その風に乗った臭いをキュウが拾ってくれた」
「鳥かよ……」
そう言って再度舌打ちをする。
「鳥も意外と臭いを拾うんだよ。凄いぞ。俺もそれで居場所を特定されるからな」
「ふん」
二人はしばらく話さなかった。風が沈黙を遮り、足元の草や近くの木の葉擦れの音と共に、爽やかな緑の香りを舞い上げた。
虹介は命潭湖の方を見ていて、後ろに奥村の気配を感じている。事件を起こした理由を知りたくないような気持ちになっていたが口を開く。
「それで、どうして殺人を? 処刑執行人としての仕事ではないんだろう?」
腕を組んでいた奥村は左手で右肘を支えて頬杖を突いた。
「……依頼としてはあったが、処刑とするには弱い理由、もしくは軽い罪だったから見逃していただけだ」
「それじゃあやっぱり殺人じゃないか。仕事じゃないんだろう? そのまま放置しておけよ。どうしてしなかった?」
「俺には俺の都合があるんだよ」
「お前の都合で殺された人等は堪ったものじゃないだろうが」
「虐待、性的虐待、不倫、買春、売春、児童強姦、小児愛性障害などなど、殺しても大丈夫ではあるがな」
「その中で殺せるのは性的虐待と児童強姦と小児愛性障害だろうが。逆にそれを放置していた事の方が驚きだぞ……」
「こういう事は処刑執行人の裁量で決められるんだよ」
「嘘を吐くなよ……。俺が若いからって馬鹿にするなよ?」
「お前、クルーより強いのか?」
「クルーより強い。父さんよりも強い。伝説の黒豹も、対峙した奴は負かして来た」
「何だよ……、最強かよ。詰まらねぇな」
そう言うと得物で肩を叩きながら、その場に座り込んだ。
「で、どうして殺す事にしたんだよ? 放置していたんだろう?」
しばらく肩を叩き続けていたが、ようやく止まった。かと思えば、今度はそれで左手を打ち始めた。
「お前、お袋の話は聞いたんだろう?」
「英次から聞いた」
「仮にも実の兄だろうが」
「それは英次と俺の問題だ。それで母親が何だ?」
「英次に母親を殺させたのは俺だ」
虹介はようやく奥村を見たが、一瞥しただけだった。
「ふーん、それで?」
「俺はよ、英次が処刑執行人になりたいと言い出して、その試験の為に誰を始末させるか考えたんだ。それで選んだのがお前等の母親だよ。捨てたとは言え実の母親だから、英次も諦めると思ったんだよ。でも英次はやった」
「はぁ、それで?」
奥村は眉を顰めて手を止め、虹介の背中を見た。
「それでって……、お前の母親だぞ?」
「俺を捨てた産みの親が死んでも、なーんの感情も湧かない。俺の父さんは父さんだけだし、兄ちゃんも兄ちゃんだけ。母さんはいないけど代わりはいる。英次は英次であって、兄ちゃんじゃないんだよ」
「……そうか」
少し声色が暗くなったが、虹介はどうでも良かった。
「だから英次が産みの母親を殺しても、どうでもいいんだよ。それを奥村さんが仕向けていても、やっぱりどうでもいいんだよ」
奥村は小さく溜息を吐き、「そうか」と小声で言って項垂れた。
「それはともかく、そう仕向けた俺は、英次にとって酷い育ての親になるだろうが」
「はぁ、それで?」
「実の親を殺させた俺を、恨んで殺して欲しい訳よ!」
「なるほど。それで正当な理由で、英次に奥村さんを殺させるために殺人を犯したと……」
虹介は舟を漕いでいるキュウの頭を見ていた。
「そうだ」
「はぁ、馬鹿らしい……。英次がそんな事に拘ってるなら、母親を殺していないと思うわ。何だかんだと言った所で、自分が病気で苦しんで死ぬよりも、さっぱりと少なめの痛みで死にたいだけだろうが」
「お前は何を聞いていたんだ? 人を殺す職業に進む切っ掛けになった俺を恨めって話なんだが」
再度得物で肩を叩き始めた。それも小刻みに叩く。
「そう言うお前は英次の何を見て来たんだ?」
虹介は座り込んでいる奥村を見下ろした。虹介は暫く見ていたが、奥村は命潭湖を眺めている。
「……言いたい事は沢山あるけど、これ以上話した所で分かり合える気がしないから、この話はこれで終わりだ。ここで俺が引導を渡してやる。立てよ」
「おーおー、最強様にあの世へ送って頂けるのならば、願ったり叶ったりだ」
立ち上がると抜刀して鞘を放り投げ、腰を落として構えた。
虹介も腰に携えている剣を逆手で抜いて構える。
風が止んで葉擦れの音が消えた。
柄頭を奥村の鳩尾に叩き込んだ虹介は、その場に崩れ落ちた奥村を再度見下ろした。
「殺気はおろか、ヤル気すらなし……」
奥村を担ぐと廃屋へ入って行った。
虹介は杉村家へ戻り、一夜を過ごして出発した。
翌朝は二人に見送られて赤葉山を下り、村へ行って買い物を済ませ、廃屋に寄って大きな荷物を積んでから壬玖村へ向かう。大きな荷物には時折食事を与えながら進み、二日掛けて帰宅した。
「ただいまー」
縁側に荷物を置きながら叫ぶと、障子が開いた。
「おかえり」
祥介が寝転がったままで障子に手を伸ばしていた。
「思ったより早く帰って来たんだな」
「うん。仁爺も真爺も元気だったけど、会うのは最後だな」
「山へ行くのか?」
「うん。明日準備して、明後日には行くよ。一応俺が群れの頭だからなぁ。後を譲って来ていないから、一旦戻らないとクロアオが心配だ。せめてあいつ等が成獣の大きさになってくれれば……」
「そうだな。まぁ茶を入れるよ」
「ありがとう」
虹介は祥介から荷物に視線を移した。大きな荷物はカル舎に置いてあったが、祥介が台所へ行くと自室へ移動させた。
しかし、祥介の鼻を誤魔化す為にカルカルの糞玉を袋に掛けてあり、強烈に臭かったが隠すにはこうするしかなかった。窓を開けて外に出し、窓はそのまま開放しておいた。
祥介に怒られたが、上手く誤魔化した虹介は当分留守をする為、祥介との時間を大切に過ごした。
深夜に窓の下でおじやを拵えて、荷物に食べさせた。荷物は伝説の黒豹に食わせると言われていて、割と大人しくしていた。
(結局の所、病気で死ぬ前に死ねればそれでいいと思っているのか)
虹介は冷めた目で奥村を見ていた。
(殺人犯がこいつだって事、いずれはバレるんだろうなぁ……)
生垣で見えないが、隊舎の方を向いている虹介を見て、後ろ手に手を縛られている奥村は「おい」と声を掛ける。
「食べさせてください、だろ」
虹介は匙でおじやを掬い、奥村の口へ運んだ。
この日は雨が降るでもなく、奥村は布袋に入れられた上に毛皮を掛けられて、軒先で一夜を過ごした。
翌日、虹介は戸二谷家にいる時の日課をしっかりとこなし、それから買い出しに向かうが、その前に嘉納家に寄って覚と会い、話をしてから商店街へ向かった。
針と糸と布を買い、調味料も買い込んだ。蜂蜜を探したがある訳もなかった。
今度はきちんと大介にも行く事を告げ、夜は澤川家で食事会となる。
「また虹介がいなくなるの? 寂しくなるねぇ……」
すっかりと細くなっていた尋子がか細い声で言う。虹介は胸が痛んだ。
「また服が古くなったら下りて来るよ。それまで元気でいてくれよ、な?」
「頑張るわ」
力なく笑った。
(この尋子さんを毎日見ている兄ちゃんは凄いな……。俺には出来ない)
虹介は尋子の隣にいる翠に目を向けた。
「すいちゃんの飯、本当に久し振り。やっぱり旨いな」
「そう? ありがとう」
翠が笑うと場が華やぐ。
「この煮物は俺が作ったんだぞ?」
「兄ちゃんの味がすると思ったらそうだったか」
「後出しは狡いだろ」
小さな笑いが起きた。穏やかな時間が流れ、虹介はすっかりと気分が解れていた。
(いつまでもこの時間を味わっていたいなぁ……)
食べ終えて酒を飲んでいる祥介に目を向けると、祥介がそれに気付いて湯呑みを呷った。
「ご馳走さん」
「俺も帰るよ。ご馳走さまでした」
「おう。次はいつ帰って来るんだ?」
大介が居直り、翠もそうしている。
「次か……。それは分からないな。二年か、三年か……。服がまた着られなくなったら戻るよ」
「そうか」
「虹介、これ持って行って」
翠が虹介に紙袋を渡す。
「これは?」
「私が織った布が入ってるから使ってよ」
「本当に嬉しい。すいちゃん、ありがとう」
翠が笑顔で頷くと、虹介は立ち上がった。祥介は既に障子を開けて縁側へ向かっている。虹介も障子まで行くと振り向いて軽く挙手をした。
「帰って来るまで元気でな。尋子さんに宜しく」
「おう、おやすみ」
「またね」
「おやすみ」
障子を閉めて、縁側の沓脱石にある靴を履いた。
翌朝、大きな荷物を凝視している祥介に見送られて峻剣山へ戻る。
(あれは気付かれているな……)
気まずさを抱えながら深麓川の側を歩いた。
英次への手紙を置いて来た虹介は、それがいつ英次に届くのかが今一番の心配事だった。




