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壬玖  作者: 丹午心月


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36/39

三十、犯人の足跡

 結局、現場に行った時点で巻き込まれてしまった虹介は郡司に連れられて帰宅した。道中で買った酒を手土産に、郡司も戸二谷家に上がり込んで居間へ直行する。

「お疲れ」

「おう。これ酒な」

 そう言って祥介に瓶を渡していた。虹介は台所へ向かっていた。

「祥介も虹介が帰って来て一安心だな」

「まぁな。湯呑みを持って来る」

「おう」

 台所には虹介がいて、祥介が拵えていた物を装っていた。

「温め直さないのか?」

「腹が減っているからこのままでいいよ。時間が惜しい」

「そうか」

 水屋から湯呑みを出し、そのまま持って行った。虹介は残っている白飯はくはんを山盛りにした。

「うーん、足りるのか? 足りなそうだよな……。まぁいいか」

 野菜炒めと葱の酢味噌和えも盛りに盛って盆に載せ、居間へ行くと二人はもう始めている。腰を下ろして郡司を見た。

「郡司さんはさかなはいらないのか?」

「その小鉢の方くれよ」

「仕方がないな……。父さん、回して」

 祥介に箸と一緒に小鉢を渡して、祥介が郡司に渡した。

「ありがとう」

「どういたしまして。箸取って来るわ。父さんは肴はいらないのか?」

「俺はもう食ったからな」

「分かった」

 頷くと立ち上がり、箸を取りに台所へ向かった。戻って来ると、二人は既に二杯目を飲み始めている。

「いただきます」

 そんな二人を見ながら食事を始めた。野菜炒めはキャベツと玉葱と絹さやえんどうと豚肉が入っていた。それを少し頬張って、白飯も一緒に口一杯に頬張る。

「目撃情報が今の所なくて、本当に参るわ」

「……四人かぁ。これ以上被害者が出るようなら滞在しているか近くで潜伏になるな。まさか複数人が入れ代わり立ち代わりで、という事はないだろうな?」

「偶然が重なってそうなったという事はないな。残り香があったんだよ。な、虹介」

 郡司が虹介を見たが、頬を膨らませている虹介は頷くだけだった。

「うん」

 それを見た祥介が微笑んで酒を一口飲んだ。郡司は腕を組んで首を傾げていた。

「それにしてもあの臭いは何だろうな。香油とか石鹸とか、そういういい匂いじゃないんだよ。微かにしか残ってなかったが、くさい部類だな。あの臭いは初めて嗅いだ」

「うん」

 まだ咀嚼をしていたが虹介が頷いた。

「まぁ、これから背景を調べるけど、あの臭いがあった限り、連続である事に間違いはないんだよな」

「被害者は川下の住人という以外に共通点はないのか?」

「近所だったり、少し離れていたりしたが、顔見知りであってもそれ以上ではなかったな。絞殺、刺殺、毒殺、自殺で、絞殺と刺殺は凶器がなかったんだよ」

 ようやく口の中の物を飲み込んだ虹介が眉を顰める。

「関係のない父さんに話していいのか?」

「祥介だから平気」

「本当かよ……。とにかく俺は明後日には庚漆村へ向かうからな。帰って来てからなら捜査の手伝いをしてもいいけど、庚漆村に行っている間はしないからな?」

「分かったって」

 そう言って微笑んだ郡司の顔が胡散臭くて、虹介は嫌な予感しかせずに顔を顰めた。


 しかし、予感は予感でしかなく、何とか決めていた日に庚漆村に向けて出発出来て安心していた。

 今度の旅はくとさとくわいつの二頭のカルカルを連れて出た。虹介はくとさに乗り、くわいつには荷物を積んでいる。最短距離ではないが、二日で到着出来る道順を選んでいた。

 そして、懐にキュウはいたが仔等がいない分、休憩時間で時間を食う事もなかった。道中の食事はおじやで、キュウには干し肉を食べさせている。

 走りに走って行ける所まで行き、日暮れ前に天幕を張った。夕食を拵え、その後は白湯を飲んで寛ぎ、キュウと戯れてから後片付けをした頃、虹介の一日目が終わりを告げようとしている。

 この二年、黒豹の巣で生活をして来たが、この生活の方が楽だった。狩りに神経を尖らせないで済む生活は本当に気楽だ。

(何だか腑抜けになった気分だなぁ……)

 気の抜け切った生活をこの数日していた感想がそれだった。

(どちらも時間に追われる毎日だけど、峻剣しゅんけん山の方が断然厳しいよなぁ)

 二年の間に味わった生活もまた、こうして離れてみると懐かい物に感じたが物思いに耽るでもなく、漫然と満天の星を眺めていた。

 その頃、庚漆村では連続殺人事件が起きていた。殺人犯は虹介の先を行っているが、虹介がそれを知る日は今から三日後、杉村家のある赤葉あかば山から村へ下りた時だった。


 杉村と戸井の三人で買い物をする為に村の商店街へ行っていた。戸井は百を一つ越えていたが、未だ矍鑠かくしゃくとしていて三年前から全く衰えていないように見えた。

 三人は久し振りの再会で楽しく買い物をしていたが、警備隊隊長の赤井と出くわしてしまう。

「虹介か! 懐かしいな? 元気にしていたか?」

「赤井さん、お久し振りです」

 虹介に笑顔で頷くと、他の二人にも顔を向ける。

「杉村さんも戸井さんもお久し振りです」

「何か事件でもあったか?」

 戸井が明け透けに訊くと、赤井は場所が場所だけに苦笑した。

「ええ、まぁ、あったと言えばありましたけどね」

「大変じゃなぁ……」

 他人ひと事の戸井はだらしなく笑った。

「わし等には何も手伝える事がないから、虹介連れて行け」

 すかさず杉村が言うと、虹介が顔を顰める。

「えええっ、今日はじんじいしん爺の所に来てるんだけどな?」

「大変そうだから、手伝ってやれや」

「虹介が来てくれたら百人力で助かるなぁ!」

 杉村が言った後、すかさず言った赤井も乗り気になってしまい、虹介はただただ不満気にした。しかし、容赦なく赤井に連れて行かれる。杉村と戸井は手を振っていた。

「ちょっとちょっと、腕を引っ張らなくても歩くよ」

「折角の駒に逃げられたら困るからな」

「駒と困るって……、駄洒落かよ」

「あはは、そういう積りじゃなかったんだが、まぁいいか」

 庚漆村は商店街の北に警備隊隊舎がある。赤井はそこへ向かっていた。結局、虹介は腕を掴まれたままでそこに到着する。


 隊長室に連れて来られ、椅子に座って茶を飲んで話を聞いた。

壬玖じんく村は四人、五日前に死体が出ていたけど方法が一緒だな? 絞殺と刺殺と毒殺と自殺だよ」

「何、壬玖もか。それよりも五日前に壬玖村? ……という事はだ、東へ向かっているのか? 日数的には南側の村へ行っている感じではないし……。もしかしたら戊伍ぼご村に出るかも知れないな」

 赤井が眉を顰めていた。

「それじゃあその後は丙参へいさん村、乙弐おつに村と続いて南側の村へ行くのでは、という事か?」

 何の気なしに訊くと、虹介を一瞥した赤いが小さく頷く。

「十分有り得るが、途中から南へ行くという事も考えられるな。虹介、追ってみるか?」

「えっ、無理だろう? 足跡を追う事は出来なくもないが、当たりを付けて無駄足になる可能性もあるぞ? それに昨日の事件だろう?」

「それはそうなんだが、……うーん、俺としては葵拾きじゅう市や砂漠でも殺人事件が起きているのか、それも知りたいなぁ。各村に人を送るしかないな」

「俺は行かないぞ?」

 赤井は難しい顔をしている虹介を見て笑った。

「それは頼まないぞ」

「ならいいんだけど。でも辛捌しんはつ村へは行かないのか?」

「どうだろうな? 壬玖、ここと来て南へ行くなら、近さから言って辛捌も有り得るが、そこは捨てて己陸みろく村という事も考えられるからなぁ……」

 腕を組んで眉を顰めると、「うーん」と唸った。

「やはり全村に人を送るか。虹介は別で戊伍へ行ってみるか?」

「俺はここに残って調べる手伝いをするよ」

「えー、勿体無い。虹介なら出くわしても倒せるぞ?」

 虹介は思わず右手を出して横に振る。

「いやいや、俺は警備隊じゃないんだから……」

「色目の宿命だな。警備隊ではなくとも駆り出される」

「……うーん、万屋だと分かるけど、俺はそれにすらなっていないからな?」

 赤井は苦笑する。

「そんな事は関係ないんだよ。色目という理由で十分だからな」

 言い含められるように言われてしまい、虹介は諦め気味に溜息を吐いた。

「所で、壬玖村の現場でも妙な臭いが残っていたか?」

 神妙になった赤井が、その臭いを思い出しながら言った。

「あの独特の臭い、……あれは嗅いだ事がないんだよな」

 虹介はそれに釣られて思い出す。微かに臭った、あの不思議な臭い。臭いと言い切れる程には臭くない臭い。

「壬玖でもあった。どちらかと言えば|臭くて、それも微かにしか残っていないから嗅げた印象はあるな」

「ああ、薄いから嗅げたのかも知れないな……。手掛かりはこれだけか」

「何と言うか、肉、……焼いた肉が腐ったような感じがした」

「焼いた肉が腐ったような? それはまた限定的だな」

「うーん、臭いに関しては獣の方が断然上なんだよなぁ。キュウは連れて帰って来ているけど、現場に行った時はいなかったからなぁ……」

「それじゃあキュウを連れて現場へ行くか? 全部回ろう」

 虹介は笑顔の赤井を見ると、苦笑する。

「散歩に行っているし、赤葉山の杉村さんの家へ行かないと……。行ったとしても帰って来るまで待たないといけないんだぞ」

「それじゃあ連れて来てくれよ。それから一緒に現場へ行こう。現状維持させる」

「あー、決定か。……それじゃあ連れてくる」

「今日中に来いよ?」

「なるべく早く、気持ちだけ来る」

 そう言いながら戸の方へ向かった。

「あはは。待っているぞ」

 虹介の後ろ姿に声を掛ける。

「それじゃあ後で」

「またな」

 戸を閉めながら軽く挙手をした虹介は、閉め終えると足早に去った。


 先ずはくとさを預けてあるカルカル置き場へ向かう。その為、商店街を小走りで通ったが、ふと鼻先を掠めた風にあの臭いがした。

 思わず足を止め、周りを見回したが、怪し気な人物がいなかった。

(……どういう事だ? まさか犯人がまだここに潜伏しているのか?)

 更にゆっくりと、つぶさに見回す。

(偶然似たような臭いがした、という事も有り得るけど……)

 ゆっくりと鼻で息を吸い、臭いを確かめる。臭わない事を確認してから、再度小走りで進み出した。

(もしかして、気の所為だったか?)

 流れる景色を気に留めず、とにかくカルカル置き場へ向かった。

 くとさに乗ると急いで杉村家を目指す。


 杉村家へ到着すると、真っ先に家の中へ入った。靴を脱いで式台に上がり、廊下は静かに歩く。

「裏切者ー! 俺を売るなんて酷いぞー!」

 奥から笑い声が聞こえて来た。虹介が居間に到着すると、二人は茶を飲んで寛いでいた。

「おかえり。事件はどうだったんだ?」

「真爺! 俺を売りやがってー!」

 杉村は虹介が本気で怒っている様子を見て笑い出した。

「あははは。そう怒るなよ」

「それでどんな事件よ?」

 そう言って戸井が急かす。虹介も座って背嚢を降ろし、溜息を吐いた。壬玖村での殺人事件から話したかったが、そうもいかない。

「殺人事件だよ。気になる臭いがあるから、キュウを連れて現場へ行こうかと思って戻って来た」

「そうか。キュウは戻って……」

 杉村が戸井を見る。戸井は杉村から虹介を顔を向けた。

「来てないわ。虹介の懐で窮屈な思いをしとったからじゃろう」

 それを聞きながら杉村が立ち上がり、台所へ向かい掛けるも虹介に顔を向けた。

「昼は食ったのか?」

「まだに決まっているだろう。色々と話をして、キュウを連れて来るって出て来たからな」

「そうか。飯食えよ。残り物だが、持って来るわ」

「うん、ありがとう」

 二人で台所に消えて行く杉村の後ろ姿を見送る。

「臭いってどんな臭いよ?」

「焼いた肉が腐ったような臭いじゃないかと思うんだよな」

 虹介は戸井を見ると目が合った。

「そんな臭い、良く知っとるなぁ……」

「焼いてあるから大丈夫だと思って食わなかったら、傷んだ事があって」

 苦笑した虹介を見て、戸井が真顔で頷く。

「なるほど。それが残り香になっとったのか」

「そうなんだよ」

 虹介は釣られて真顔になったが、戻って来る時に臭って来たあれを思い出していた。

 難しい顔になって行く内に、杉村が昼食を持って来た。

「難しい顔しとらんと食えよ?」

「あ、ありがとう」

 持って来てくれた盆に載っている箸を手にする。

「いただきます」

 虹介が黙々と食べている間、二人は臭いの話をしていた。あの独特な臭いの正体を知る人物はそういないのではないかと思っていたが、杉村が知っていた。

「分かる。嗅いだ事があるからな。あれは癌と言うヤツよ」

「ガン?」

 白飯を口に頬張ったままで訊いた。戸井が何度も頷いた。

「聞いた事あるわ。細胞がどうにかなる病気で不治の病じゃったな?」

「そう、それ。細胞が死ぬから、それで臭いんだな」

 二人が話している間、虹介は慌てて口の中の物を飲み込んだ。

「病院を洗い浚い調べたら犯人に行き着くのか?」

「それは当然病院にかかっとったらな。病気に罹っとるとは知らんままに犯行を重ねとるんかも知れんぞ」

「ああ、それもあるか」

 戸井の言に納得する。

「壬玖村からは犯行後に遠ざかって次の犯行現場へ移動したのに、なぜ待機なのか? それとも偶然ガンになってる人がいたのか?」

 大真面目な虹介に、戸井が苦笑する。

「考察よりも先に食えよ」

「ああ、うん」

 杉村と戸井が情報の整理をし始めた。虹介はそれに耳を傾けながら食事を続けていたが、山菜の味に気を取られ、途中から聞いていなかった。

「真爺、この山菜の味噌和え、旨いわ!」

「虹介、話を聞いてなかったのか?」

「何か言っていたのか? 飯に夢中になっていたからごめん」

「わはははは!」

 戸井が豪快に笑うと杉村も笑い出した。虹介は苦笑していたが、空になった茶碗に茶を入れてもらっい、それを飲んで内容を聞く。癌に罹る割合が極端に低い事から、逆に臭いから犯人を見付け出す事は容易だろうという事だった。


 寛いだ後は外へ出て指笛を鳴らす。下りて来いの合図を鳴らし続けるのみ。

(うーん、来ないな……。これはもしかして相当遠くへ行っているな)

 カル舎の中でくとさとくわいつと、他にいる二頭とも戯れていた。

 微かに鳴き声が聞こえたような気がすると、すかさず指笛を鳴らすがキュウは戻って来なかった。

 柵に肘を置き、上空を見ていた。小さな白い雲がちらほら出ているがそれで陰る事もなく、傾いて行く日差しが眩しかった。

 羽ばたく音が聞こえ、それが何度も聞こえると虹介の腕にキュウが留まった。

「遅いぞ。ずーっと待っていたのに……」

「キュルルールル」

「よし、行くか」

 キュウの腹に手を入れて持ち上げ、右腕から離れてもらって上着の中へ入れる。それから家へ行って玄関の戸を開けた。

「キュウが戻ったから村へ行って来るー!」

 同じ事を三度叫び、奥から「おう」と聞こえると戸を閉めた。


 くわいつに乗って村に下り、隊舎へ直行する。

 隊舎に到着するとカル舎にくわいつを預け、隊長室へ行き、赤井と連れ立って殺人現場を回る。庚漆村では壬玖村と違って、商店街に近い住宅地の中にもあった。

 それからキュウに臭いを嗅がせ、それを覚えさせる。虹介では辛うじて臭う程度だが、キュウならもっと嗅ぎ分けられている筈、と強く信じるしかない。

 これを残り三ヶ所でもやったが、キュウが共通している臭いを認識したかどうかはまだ分からない。

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